Chapter 3 - 始まりはいつも雨③
ようやく人も掃けてきた頃に会館に入る。
一番先頭の列の自分の座っていた席に向かう。数分もかからないうちに椅子の下に収められた一台のカメラを見つける。
電源を入れて中のデータを確認する。そこにはスポーツ選手と思しき人物と姉貴の写ったツーショット写真が表示される。
どこでこんな写真を撮って貰ったんだか、と思いながらもこのカメラが自分の持ってきたものであると確信する。
それと同時に写真を撮り忘れていたという現実も突き付けられる。
カメラを回収しても怒られる事には違いなさそうだが、失くしてしまうよりはよっぽど良い。
「ふぅ、良かった」
しっかり回収できたことに安堵しつつ、力のない溜息を零す。
ここからさっさと出て教室に向かおうとすると背後から声が聞こえてきた。そちらを向くと、壇上の出入り口となっている扉が開き誰かが出てこようとしていた。
「では、私は教室に向かいますね」
「ええ、くれぐれも気を付けてね、志乃ちゃん」
「今はその名前はダメですよ」
「ふふ、そうね」
志乃ちゃんと言われた人を見る。そこに立っているのは今朝に見た女子高生――東雲美咲だった。一連の会話を耳にしてこの状況に居ることが決して良くない状況であるのはなんとなく察しが付く。
出来る限り足を忍ばせて会館を出ようとする。だが、この広い会館のど真ん中を歩く自分は例え音を忍ばせようと目立つ。
「そこにいるのは誰?」
自分の存在に気付いたのだろう。恐らくマネージャーだと思われる人はまるで不審者を見たかのように(傍から見たら不審者だっただろうが)、やや怒鳴り気味の声で呼ぶ。
声を掛けられても振り向きもせず、足も止めない。寧ろ歩を早めて会館を後にするのだった。
校舎の中は窓が多く光が入ってきやすい。今日のように晴れ渡った日は非常に気持ちのいい日差しが入ってくるのは容易に想像ができた。階段から見える中庭も一面緑であり、あの緑の上で日向ぼっこをしたらどれほど気持ちのいいことだろうか。
各階の階段前にはその階の見取り図がある。
それによると、一階は主に来賓客用の部屋や多目的室、会議室などが中心となっている。二階は職員室など。そして三階は一年生の教室がメインだ。四階は二年生。五階は三年生となっているらしい。
自分の教室を見つけ中に入る。
会館を出たのが最後なので当然と言えば当然だが、教室には殆どの生徒が着席しており、席が前後左右の者同士で話しをしている者、読書をする者など様々だ。
その中で花山がこちらに向き直り、軽く手をひらひらさせる。それに同じように手を振り返し、空いている机に貼られている出席番号と名前の紙を見る。
出席番号十八番 時枝 翔。
窓側から三つ目の最後列。どうやらこの場所が自分の座席らしい。
場所としては申し分ない。教室全体が見渡せて、かつ教師からも注目されにくい位置取りだ。
別に、内職が出来るから、とか授業中に寝る事が出来るから、というわけではなく、目立たないことが重要なのだ。
時計は十時三十分を指した頃、最後の生徒が入って来る。
何気なく目をやる。それは東雲だった。さっと目を逸らし、手元のオリエンテーションのしおりをしげしげと見つめる。特に何か声を掛けられるわけではなく、自身の机に着席する。
もしかすると身バレしていないのだろうか。
確かに見られはしたが向こうから見れば自分は背を向けていたわけで、間近で見たわけじゃあるまいし三百人近くいる生徒の中から自分だと断定するのは難しいだろう。
彼女が部屋に入ってからそう時間がかからずに教師が入って来る。ホームルームの時間が始まった。
入学式初日の学内活動時間はさして長くない。精々一時間程度だろうか。
翌日以降の細かな内容や授業カリキュラムなどの説明が主だ。それ以降の時間は各々親睦を深めようとする者、帰宅しようとする者など様々だ。誰かと率先して仲良くなろうということはしない自分はもちろん後者だ。
プリント類を鞄にしまい込みそそくさと教室を出ようとする。
「時枝は帰るのかい?」
別の新たな友達と談笑していた花山が声を掛けてくる。花山に返事として手を小さく上げて返した。
この学校はかなり広い。
この教室のような一般的な学校設備のある進学棟、技術室や音楽室などの特別教室が主にある専門棟、運動部室が集められた部室棟、特別なときに使用する特別会館、体育館くらいが大きな建物だろうか。
オリエンテーションで言っていたのはこれくらいだろう。
他にも小さな建物はあるようだがそこまでいちいち覚えていられない。後は、旧校舎もあるようだが、まあ立ち寄ることはないだろう。
進学棟一階、中庭が見える付近で肩をポンポンと叩かれる。
「あの、時枝……さん?」
入学式初日で、まだ教室に誰がいるかも把握していないであろう状況で声を掛ける人物などほとんどいない。
心当たりがあるのが二人。そのうちの一人は教室にいるだろうし残りは一人しかいない。それを知ったうえであえて知らない振りをする。
「えっと、どちら様?」
振り向くと予想通り東雲が立っている。少し話しにくそうにしながらもじもじしている。
「話がないなら家に帰りたいんだが」
そう言うと彼女は慌て始める。
そして次に周りを見渡す。何をしているのかが全く理解できなかった。
そうして何かを見つけたのだろうか。そこに向かって走り出す。しかし、そのとき東雲は自分の手も引っ張っていく。まさか走り出すとは思わず一瞬こけそうになる。
「おわっ」
その声に反応してか東雲は足を止め「大丈夫ですか?」と後ろを振り返る。
しかし、それがいけなかった。今度は自分の動き出した体はすぐには止まれない。そのまま東雲を押し倒す形で倒れ込んでしまった。
間一髪で手が出たおかげで体の接触は免れたが、まるで自分が東雲に襲いかかったかのような形となっており、傍から見れば割とまずい状態であることは容易に想像できた。
入学初日から生徒指導室に呼び出されるのは勘弁だ。
「悪い」
すぐに東雲の上から体をのける。東雲もすぐに立ちあがり砂を払い落とす。
「すみません。私も急に手をつかんで走ったりしてしまって」
決して自分が何かを能動的に行ったわけではないがどうしても申し訳ない気持ちになる。
「ごめん」
小さくつぶやく。
「こちらこそ急にごめんなさい。……あの、少しお話いいですか?」
何の事かは大凡察しが付く。無言で頷き、先導されるまま中庭のベンチの方へ向かった 。