
カムカムエヴリバディ
「カムカムエヴリバディ」な日々
今日の朝ドラ「「カムカムエヴリバディ」では主人公の安子(上白石萌音)さんが同級生の兄が外国人と英語で話す姿を見て感動している場面が出てきた。とても懐かしい。
私が初めて外国人を見たのは昭和40年代の名古屋駅構内でのことだった。父が
「おっ、外人だ」
と言った目線の先に大柄な白人家族が歩いていた。あの頃は、名古屋のような大都市でも外国人は滅多に見られない珍しい経験だった。
白人の姿と言えば「宇宙家族ロビンソン」のようなドラマ以外では見ることがなかった。1970年の大阪万博に出かけても記憶に残っているのはオーストラリア館で白人女性の案内係にサインをお願いしたら断られたくらい。
四日市高校にはオーストラリアからの留学生がいたが、悪友たちと図書館で勉強しているジェニファーさんに近づいて話しかけたくらいの記憶しかない。
私が最初に英語がペラペラの日本人に出会ったのは、大学時代の夏休みにアメリカに旅行に行かせてもらった時のことだ。神戸女学院から来たというNさんという子は本当に英語が上手だった。なんでも校内の英語の弁論大会で優勝して旅行費用はタダだということだった。それにしても、私の両親は金持ちではなかった。旅行費用の50万円はどうやって工面してくれたのだろう。あとで、親戚から借金していると聞いた。私のせいだったのだろうか。
長々と書いたのは、私は突然英語に憧れて英語講師になったのではないということをお伝えしたかったからだ。小さい頃から外国への憧れーと言っても、それは「アメリカ」のことだったかもしれないがーを抱き続けていたからだ。
生徒指導をさせてもらっていると、中学生でも
「絶対に医者になる」
とか、
「獣医になりたい」
と、言う子がいる。そういう強い思い入れがないと受験でも最後の一押しが効かない場合が多い。
受験勉強は問題集を解き続けるのが大切だから、忍耐力も必要だ。その忍耐力を支えるのは、理屈じゃない。金が欲しいとか、名誉が欲しいでも悪くはないが、やはり明確な目標が大切。できれば、明確な人物が望ましい。
私は、英語に関してはNさん。数学に関しては高校時代に学年トップだったOくん。少林寺拳法に関してはブルース・リーという明確な憧れがいた。人生全般に関しては「織田信長」をイメージして生きてきた。
塾講師として受験技術を教えることが仕事だが、雑談を喜ぶ生徒も多い。私の雑談は、上記のような「すごい人」の話が多くて生徒の方の動機づけを高めるようなのだ。やはり、生徒の方たちも強い動機づけを求めているのだ。
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