WitchCraft-砂の国で見た景色を僕たちは決して忘れない
Chapter 5 - 5.魔女の森の夢
1991年、ソビエト連邦崩壊。
ゴルバチョフ政権による、グラスノスチ、ペレストロイカと言った改革により、核の脅威に怯える東西冷戦の終結。
東西ドイツ統合、核廃絶といった世界にとっては祝福されるべき動きの一方で、周辺国は混迷を極めていた。
三民族が集まり構成されていた国は、それぞれの民族の排斥を掲げ、それまでの隣人と血で血を洗う戦争をはじめる。崩壊した独裁政権下ではこれまで民衆をさげすんできた特権階級達が女子ども問わずリンチされる。これを機会にと他国への侵略を行う国もあれば、他民族を大虐殺する私兵集団が現れる。
ソビエトという圧倒的な権力を持つたがが外れたことにより、数々の紛争が勃発し、多くの血を流れ、大量の難民と孤児達を生み出す結果となった。
日本に住んでいると決して分からない、国境を接した大陸の国々の紛争。
昨日までの平和な生活をあっという間に奪われ、銃火の下を必死に生き延び、長く苦しい野天での生活を長期間強いられる。
第二次大戦以降も、世界は様々な紛争、戦争に見舞われてきた。
そんな東欧の中でも、長年永世中立を標榜し、大国の圧力に屈することなく自治を貫いてきたその小国は、そんな激動の時代でも、かろうじて平和を保っていた。
東欧の森林地帯にある世界最小の国連参加国。
世田谷区程度の大きさの山岳と森林地帯と都市部。文化や技術的な面も欧米諸国にひけをとらないほど発展している。
政体は中世からの公国制をとっており、ある一部の特殊な貴族の中から女王が選ばれていた。
現在も形式上は女王がいる君主制だが、国自体は社会主義と資本主義の中間といった政策をとっており、政治自体は民主的だった。
永世中立を標榜しているため、軍役もあり規模は小さいながら最新兵器が装備された軍隊を持つ。国家非常事態宣言が発令されれば、一般人も自宅のロッカーからアサルトライフルを取り出して戦闘に加わることが国民の義務となっており、憲法にも定められている。
共産党政権が圧力を増してきた東西冷戦時においても、地形による侵攻の難しさと、山岳部にひっそりと忘れられたかのように存在した小さな公国だったため、歴史の軋轢に巻き込まれることは少なかった。
もっとも、この地のもう一つの名と住人の存在が、二次大戦中、人体実験で有名なナチスの研究部隊による、ある意味執拗な侵攻を、女性だけの民間部隊で撃退を続けていたことは、口伝えに伝承されている。
かつて魔女達の森と呼ばれた国。
その懐かしい故郷の街と森が紅蓮の炎に包まれている。
銃声と爆音、火炎放射器が放射される不気味な排出音。
生きたまま焼かれる民衆の叫び声があちこちから絶え間なく聞こえてくる。
仲の良かった隣の家が榴弾で粉々に吹き飛ばされる。
乳飲み子を抱えた母親に容赦なく銃弾がたたき込まれ、紙くずのようになって血だまりの地面に倒れ込んだ。
「殺せ!殺せ!写真に写っていた女ども以外は皆殺しにしろ!二度と我々に反抗できないよう、殺しまくってやれ!余裕ができたやつから、女どもは犯してから殺してもかまわんぞ!」
指揮官らしき男の笑い声に続き、男達の下品な笑い声が響く。
逃げ惑う住人達。
公国軍の最高司令官と、本来は女王を守るべき近衛精鋭部隊が、現女王に反旗を翻した、突然のクーデーター。
外部から招き入れられたロシア製の最新の装備を持った軍隊との連携で、女王派の公国軍は組織だった抵抗も出来ないまま、分散して各個に撃破されていった。
そんな中、一般人、それも普段着のままの女性の集団が混乱する街を早足で進んでいた。
中心にいるのはこの国の王女、母の姿を認めたときに、戦慄が走る。
これは夢?それとも現実?まるでテレビの中の出来事を見ているよう。
狂気に歪んだ顔で無秩序に殺戮を繰り返す戦闘集団の一角がそれを見つけると一斉に取り囲む。
「全員、そこで全裸になって四つん這いになれ!そうしたら命だけは助けてやる!」
隊長らしき男がいやらしい笑みを浮かべながら怒鳴った。
瞬間、その男の顔が八つ裂きになって消し飛んだ。
危険を察知した兵達が一斉アサルトライフルを斉射するが、彼女達にたどり着く前に銃弾はすべて空間の途中で凍り付いた。
「!!?」
驚くのもつかの間、人を効率良く殺すための徹底した訓練を受けた兵士達が一斉に倒れ込む。全員喉をかきむしり、口から泡を吹いている。
集団の戦闘に立つ女性が、額の汗を拭った。
使用率30%で使用できると言われる、分子構造変化、空間制御。
気管と肺から酸素を取り入れることができなくなった兵士達は二度と立ち上がることはない。
炎に赤く染まった顔を街の外れへと向ける。敵の中枢である前線基地一気に押さえ、少人数で指揮系統を一気に制圧する計画のようだ。
しかし、小隊の全滅を聞きつけた機甲部隊が、あと一歩のところでその前進を阻んだ。
ウクライナで設計されたソビエトの最新鋭戦車T-90。複合装甲の包まれた偉容と存在感は見る者に圧倒的な畏怖を抱かせる。
「ターゲットを発見しました」
戦車隊の隊長がヘッドセットで指示を仰ぐ。
「戦車砲くらいでは死なんはずだ。せいぜい歓迎してやれ」
T90の砲身が一斉にこちらに向けられる。
その黒々とした砲身の発射口は、そのまま死の世界に繋がっているよう。
砲身の奥が赤く光った。
「お母さん!!」
国の言葉で叫び、手を伸ばしたその先は、暗闇の中に見える寮の天井だった。
「エリサ!どうしたの?!」
驚いたマユミが二段ベッドの上から覗いている。
夢とも現実ともつかない感覚が強烈に残っている。
「ああ…」
言いながら止めどなく流れる涙を拭った。
「うん、大丈夫」
心配して降りてきたマユミに泣き顔を見られないようにして横を向くと、マユミの手がエリサの頭を優しくなでた。
「もし、何か悩みがあるなら言ってね。私で良かったら聞くよ」
この一歳年上の日本人女子高生は本当に優しい。
ただ、自分たちの国とその周辺の不安定である意味、常に死の危険をはらんだ地域とその中で生活する人々のことを、この平和な国の住人がどれだけ理解できるだろう?
少しの均衡が崩れれば、民族同士が対立し、大国が蹂躙し、家族がレイプされ虐殺されるような、不安定な世界。
「ううん。大丈夫。怖い夢をみたんだ」
そっと、まゆみの手をとって押し返す。
心配そうに覗くマユミに微笑んでみせる。
その時、ベッドの横でついていた間接照明が消えた。
というより、部屋で光っていたラジカセのランプや外の街灯の光まで消えている。
寮全体が一気に闇に包まれた。
「停電?」
不安げにマユミが寄り添ってくる。
寝ぼけ眼の智子がむっくりと起き上がると目をこすった。
「なあにー。地震?」
智子がベッドの横に足を降ろしてこちらを向いた時だった。
これまで聞いたことがない甲高い破裂音が響き、続いて男達の怒号と女性と達の悲鳴が聞こえてくる。
「何?!」
智子が二人のところに飛んでくる。
騒ぎは下の階から確実に、マユミ達の階へと近づいているようだ。
階下に自分と同じ種族の気配を感じ、エリサが戦慄する。
ここにいては、二人を巻き込んでしまう。
まだ、会ったばかりだが、遠い異国から来た自分を数年前から友達だったように接してくれた二人を傷つけるわけにはいかない。
エリサが立ち上がり傍らにあったジャージを着込んでドアに向かう。
「エリサ危ないって、ここにいよ?!」
止めるマユミににこやかに微笑むと、
「大丈夫。ちょっと見てくるだけ」
と言って、引き留める間もなく外に出てしまう。
「ちょっ、エリサ!?」
続いて出て行こうとするマユミを智子が後から抱き留めた。
「まゆ!行っちゃだめだよ!私一人だと恐いよ」
半泣きでしがみついてくる。
薄く開けたドアの向こう、エリサの姿は暗闇の中、もうどこにもなかった。
To be continued.