「終活」を考えるきっかけ


キョウダイセブン2021/10/12 02:05
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人はいつ終活を意識するのか

「終活」を考えるきっかけ

 30代になった頃、授業中に白板に説明を書いていたら生徒が

「先生、頭のてっぺんが少し薄くなってる」

 と、言った。まだ20代の気持ちだったので

「そんなわけがあるか!光の反射のせいだろう」

 と、笑い飛ばしておいた。

 

 私は少林寺拳法の練習が毎日の日課となっている。40歳になった頃からハイキックをすると、足の筋がつっぱる感じがした。疲れた時にそういうことがあったので

「ちょっと疲れているのかな」

 と、思った。しかし、徐々にきつく感じるようになってハイキックは練習メニューから外した。

 

 若い頃は本を読み続けていたらピントが合わなくなることがたまに合った。しかし、それが慢性的となり100均で老眼鏡を買ってかけてみたらハッキリ見えるではないか!

「もう老眼鏡の歳か・・」

 と、残念だった。

 

 50歳になったある日、突然足に激痛が走った。それで、病院に行ったら痛風の発作という診断がついた。それから、4年ごとくらいに痛風発作が起こった。肉が良くないというので、出来るだけ肉を食べるのを避けるようになった。食事の量も細ってきた。

 

 その頃、娘たちが全員大学に行ったり経済的に独立して家から巣立っていった。しばらくすると、孫が生まれた。私は塾を始めた頃は生徒の「お兄ちゃん」だった。それが、いつの間にか「お父さん」になり、とうとう「お祖父ちゃん」の年齢帯に突入した。

 

 父と母が亡くなって、年金をもらう歳になり腰が痛くなってきた。激しい練習をすると、たまに腰が痛くなることはあったがそれが慢性的に痛みを感じるのだ。昼間の時間が空いている時は名古屋に出て非常勤講師をさせてもらっていたのだが、以前は即採用だったのが年齢がネックになって採用されないようになってきた。

 

 先日は、銀行のカードローンの年齢制限で契約終了という連絡が送られてきた。

 

 人間は、こうやって現役から退場させられるんだなぁ。3年前に大学の時代から親しかった友人が脳出血で亡くなった。漫画を描いてくれていた漫画家さんが病気で長期療養になった。周囲から家族や知人がいなくなっていく。

 

 ブルース・リーや坂本龍馬は30代で亡くなったけれど大きな足跡を残した。織田信長は49歳で亡くなるまでに歴史に残る大事業を成し遂げた。私より若くして偉業を成し遂げる人も増えてきた。自分は現役から退場させられそうだけれど、何が出来たのだろう。

 

 非業の死をとげた同級生のことを思うと、大学に行かせてもらい、アメリカで生活でき、好きな教育関係の仕事で生きてきて、本当に恵まれていると感謝している。なのに、何もできないまま現役の舞台から降ろされるのだろうか。

 

 いや、まだ諦めない。平均寿命まで15年以上あるのだ。最期までやり残したことを追いかけていきたい。

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