【怪談】歯と猫と私【短編】


壱原優一2020/06/02 17:35
Follow

歯が痛い友人の話

歯と猫と私

 六月だった。

 外で、発情期の猫がやけにうるさく鳴いていたから、よく覚えている。


 友人のYさんはそんな風に話し始めた。


 彼はある日、ふと、奥歯に違和感を覚えたそうだ。

 右下のほう。ずくずくと疼くような痛みがあった。

 鏡で覗いてみると奥歯よりも、もっと奥の、歯茎が少し赤くなっていた。


 まあ、すぐに引くだろう。


 そう思ったらしいが、日に日に痛みを増していった。

 腫れた歯茎が奥歯の上に乗っかるようになってしまっていたらしい。


 これはとても痛い。

 私も同じような経験があるからわかる。


 それから猫。

 Yさんはそう言った。


 最初は遠くの方で、か細く鳴いていたんだけど、その頃には近所迷惑なくらいで。

 朝から晩まで鳴いて鳴いてうるさくて、ろくに寝られなかった。


 それで、やむなく歯医者へ行くことにしたんだそうだ。

 せめて歯の痛みだけでも取らないとって。


 医者はレントゲンを撮って「親知らずが悪さしてるんでしょう」と。

 なにやら彼の親知らずは、完全に埋没した状態で、しかも斜め下に向かって生えていたらしい。上下左右、四本とも。


 私と全く同じだ。

 ただ……私はそのとき抜かなかった。手術が怖くて。

 完全に埋まってるから歯茎を切り開いて、砕いて取り出さなきゃいけない。

 薬でとりあえず腫れを引かせた。

 次は抜くからね、と言われた。

 その次は、どうやら『今』だったようだけど、まだ勇気がでない。


 Yさんは私と違った。

 すぐに抜いてくださいと、自分から言ったらしい。


 で、手術になって。

 麻酔をするから口のなかでなにされてるかなんて、わからない。


 でも医者が一々言ってくれる人だった。

 だから歯茎を切り開いて、いよいよ砕くってときになったのも、わかった。


 そのとき

「うえええぇぇぇん!」

 と赤ちゃんの泣くような声が耳元で一際おおきく聞こえたんだ。


 まあ、麻酔のせいかな。

 幻聴が聞こえたんだ、って彼は笑った。

 医者もなにも言わなかったしって。それまでお喋りだったけど。


 だから私は言ったんだ。

 ところで、それって結局、誰の赤ちゃん? って。


 すると彼はこう答えた。

 わかるわけないだろ、だって『親知らず』だぜ? って。


 ……Yさんは気付いていたのか。それは、わからないけど。

 発情期の猫の鳴き声って、まるで赤ちゃんみたいだよね。


 今、聞こえてるからそう思うんだけどさ。

 でも、これが本当に猫のものなのか。

 本当に外から聞こえてくるものなのか。

 今、私は、確証が持てずにいる。



【了】

Share - 【怪談】歯と猫と私【短編】

Support this user by sending bitcoin - Learn more

Follow

0 comments

Be the first to comment!

This post is waiting for your feedback.
Share your thoughts and join the conversation.