タツマゲドン2020/05/29 04:12
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どこまでも白い廊下を駆け抜ける、対照的な一つの黒い人影。

 監視カメラのレンズが向けられるが、被写体となる“彼女”が気にする事ではない。少なくとも、あと二十分は。

 仲間の一人が、遠隔でこの施設内のシステムコンピューターに侵入・操作している。監視カメラが姿を写しても映像記録には残らす、その他監視・警報システムも切られている。

 それを知っていても、“彼女”は気を緩めず素早く動く。少しでも役に立ちたい一心、緊張で歯を食いしばっている。

 彼女、この施設に忍び込む前、仲間から「アンジュ」と呼ばれた少女の脳内は、緊迫と使命感で埋められていた。

 彼女の任務の一つは、可能な限りこの施設が持つ機密を盗み集める事。外側からハッキングしてくれる仲間が言うには、外部から侵入出来ない独自の回線や紙媒体によるものは調べられない、との事らしい。

 “可能な限り”とは、この施設を破壊する予定があるからで、任務開始から三十分、コンピューターへの侵入が知られると予想される時間までがこの任務の終了時間であり、攻撃開始時間でもある。また、同時に攻撃し易くするためにも、この施設内に爆薬を設置する任務もある。

(流石ハンさんですね。お蔭で任務が捗ります)

 監視システムがダウンしているとはいえ、内部の人員等に見つかれば意味がない。服装は動作によって生じる音を最小限に留める、身体にフィットする特殊な黒いボディスーツだが、透明でもカモフラージュでもない為、視認されるリスクが一番大きい。

 それでも、彼女は運良く誰かに遭遇する事は無かった。というか誰も見当たらないのでむしろ不審に思った位だ。

(どうして誰も居ないのかしら? 少しぐらい歩いている人が居てもおかしくないのに……)

 疑問に思ったまま十数分、彼女は数々のドアを出入りし、それっぽい情報媒体をかき集めてはウエストポーチに詰める。中には彼女が全く知らない物質の薬品らしき名前のある書類まであった。同時に、リュックサックからリモコン式爆弾を出して設置も忘れない。

 生気を感じぬ純白の廊下、少女は不安を覚えながらも、仕事を確実に終わらせている。

(爆弾も順調ね。情報ももっと手に入れば良いんだけど……)

「お前に与える物は此処には無い」

「ひゃっ?!」

 突如、少女の考えに対するように、背後からの声。短い悲鳴を上げ、飛び退く。

 少女の頭一個半以上は大きく、横に広がる長めの茶髪と青い目、金属複合カーボン製のプレートアーマーを全身に纏い、存在感を見せつけるかの如く堂々と立っていた。

「若く経験が足りんな。何より出来が悪い」

(そんな、ちゃんと注意していたのに……)

 腕時計は爆破まで残り十分を示していた。緊張と不安に震えた、華奢な身体で構える。

「無駄だ」

(こうなったら……)

 すると、少女は耳にはめ込んでいるイヤホン型通信機に手を触れ、言った。

「リョウさん、ばれました! 爆破します!」

『おい、アンジュちゃ……』

 早口で言い終え、スピーカーが返事終える前に、彼女は同時に取り出したリモコンのボタンを押し終えていた。

「なぬ……」

 突如、廊下の奥から見える爆炎――施設内を轟音と振動が駆け巡る。

 咄嗟に身を守るべく、男は姿勢を低くし、腕を胸の前で交差した。

 爆風で体が揺さぶられ、爆炎がチリチリ熱を伝え、残った煙と粉塵が視界を塞ぐ。

 塵に視界を奪われている中、男は見回していた。まるでそこにある物が見えているかのように。

「自爆と見せ掛け、『障壁』を広く展開し、爆発を防ぎ逃亡か。不意を突かれたとはいえ、考えも『能力』も中々だ。いや、突発的なアイデアだろうか」

 粉塵の舞う中を男が感心する最中、施設内は遠くでの断続的な爆音と、侵入者の存在を告げる警報が響いていた。






『もうバレちまったのか?! やべえな……』

「ごめんなさい、不注意でした……」

 耳に当てた通信機から聞こえる驚き声に少女は真っ先に謝った。

『今は気にすんな。でも爆弾は仕掛け終えたんだろ? じゃあ予定より少し早く脱出すりゃ良い』

「はい、ありがとうございます」

『そういやハンには言っておいたか?』

「あ、しまった!」

『オッケー、俺が伝えるぜ。帰ったら温かいコーヒーでも飲もうぜ』

 少女は二度も感謝し、通信が切れると、急ぎ足をスピードアップさせた。

 途中、施設内の人員やロボットに遭遇したが、彼女の前には無意味に等しかった。常人の目には捕らえられないスピードで走り、銃弾は当たらず、あるいは弾かれる。先程の彼女の気配を察知した男やそれと“同じ”人物に遭遇しない限り、順調に脱出して、外で待機している味方達がこの施設を思い切り攻撃出来る筈だ。

(絶対進めなきゃ!)

 少女は使命感に囚われていた。

『アンジュ、話は聞いたよ。予定より五分早める、それで大丈夫かい?』

「あ、大丈夫です! ハンさんありがとうございます」

 感謝で返し、通信に合わせ腕時計のタイマーを五分早めた。

 残り四分と僅か。

 実質的に妨害は無く、出口への行き方もきちんと分かっている。

 この少女は目的を達成しなければならない時、もしもその行為によって人命が失われるなら、彼女は間違いなく命を助ける行動を選択する。

 だから、彼女は足を止めた。

 今まさに目の前に気絶している誰かが横たわっている、それだけで彼女の疾走を止める理由には十分だった。

 少年だ。

 顔も名前も知らない。比較的小柄で、病人着のような服装。近くでは担架のような台車が、黒焦げになって倒れていた。爆発に巻き込まれたのだろう。

 ここに居るのなら“敵”かもしれないが、彼女はそれすらも考えなかった。

「大丈夫?!」

 傍に寄り、生きているかを確認する。心拍はあったが、脈打つペースが遅い。触っても体が冷たく反応が無い。腕はだらりとしており、呼吸も非常に浅い。

(助けなきゃ!)

 所属など関係ない。人を助ける事に理由なんか要らない――無意識が彼女へと命令を下していた。

 少女より少しだけ身長が高い程度の少年をおぶり、全速力で走る。

 腕時計は残り四十秒を示していた。しかし、重荷を背負った今のペースでは、出口へ到達まで一分程掛かるだろう。

『アンジュちゃん大丈夫か?!』

「今、あとちょっと……」

 仲間からの心配気味な通信。向こうは既に脱出完了らしい。自分を“ちゃん”付けされた事に反論せず、汗が額を流れている。

(早く!)

 その時だった。

 自分の意志ではない――体が進行方向へ急加速。体験した事もないスピードに驚きながらも、止まらない。

 背中越しで見えないが、少年の身体が一瞬光ったような気がした。

(彼の力なの?)

 自分でも驚くべきスピードを得た少女はそのまま施設の出口を飛び出し、慣性のまま大地を駆ける。腕時計は残り五秒を示していた。

「撃って下さい!」

 通信機に叫び終わったのとほぼ同時、少女の正面に見える山から、大量の微弱なオレンジ色のフラッシュが瞬いた。

 数十秒後、施設の外壁が爆発する。壁が剥がれ、破片が宙を舞う。しかし爆風は途轍もない速さの少女に追いつけなかった。

 少女は走る事を止めず、振り向かない。爆音も聞こえなかった。

 助ける、その一心のみ。






「本当にすみません!」

「大丈夫だよアンジュ。攻撃は成功した。君の設置した爆弾もあっての事だ。機密も持ってきたみたいだし。悪い事は何も無いさ」

 背中まである灰髪を揺らしながら頭を下げる少女と、合わせて首を横に振る坊主頭を少し伸ばした程度の短髪の男性。

 ようやく頭を上げた灰髪の少女の名は、アンジュリーナ・フジタ、一七歳。

 肌は白く、目鼻立ちはスラヴ系に近いが、日系要素もあってか平均的な白人よりは鼻が低いし目つきも柔らかいだろう。

 身長は百六十センチメートル強といったところか。日本人女性としては少し高めの身長だが、白人としては低めだ。

 彼女は、“敵”の研究施設へ侵入をばらしてしまった事を悔やんでいたのだ。

 目の前の男性は安心したように責めず、許すと言っている。それでも少女は重圧に押し潰されそうに眉をひそめている。

 身長百七十五センチメートルもある、アジア風の男性の名前はハン・ヤンテイ、二十六歳。中国人と韓国人のハーフ。

 スッキリした短髪と余裕のある優しげな表情が、堅実さと友好さを醸し出している。

「落ち着いてアンジュ、でも彼は無事なんだろう? それは紛れもなく君が助けたいと思ってした行動であり、彼を助ける事が出来た。君が望んでやった事が君の『人を助けたい』という願いを叶えたんだよ」

「ハンもそう言ってるし、いい加減立ち直れよアンジュちゃん。可愛い子には笑顔の方が似合うぜ」

 横から馴れ馴れしい声が介入して来たのは不意だった。反射的に振り返り反論する少女。

「もう、何時になったら“ちゃん”付け止めるんですか?」

「死ぬまで、いいや死んでも言う。だって可愛いだろ?」

 声の主、リョウ・フロイト・エドワーズ、二十八歳。日系の名前に似合わず、彫りの深い顔と赤系統に近い茶目茶髪が目立ち、茶髪は肩に掛かる程長い。

 身長は少女より頭一個分高く、百八十七センチメートル。ボサボサな髪や顎髭は大雑把な性格に見合うものだ。

「酷いですう……」

 アンジュリーナはわざと頬を膨らませた。一方でリョウは「待っていた」とばかりに満足げな笑顔を見せ返す。

 彼女自身は「アンジュ」という愛称を気に入ってはいたが、子供扱いされるのが気に食わなかったのだ。かといって子供らしい行為をするのもどうか。

「すまんすまん。で、アンジュちゃんが連れて来た奴だが、見に行くか? ハンも来てくれよ」

 軽薄な謝罪をよそに、日系人に連れられた二人は簡素な布のドームで覆われたテントの内部へ入る。やがて三人は、一人の小柄な体躯が横たわる粗末なベッドの前まで来ていた。

 青がかった黒い髪、表情どころか動作すら垣間見せない顔。見ただけでは生きているのかどうかすら分からない。

 色素を失ったような白い皮膚に触れても最小限の熱しか感じず、脈はあれど二秒に一回という非常に遅いペースだった。

「まるで人形だな。本当に生きてるのか?」

「リョウ、不吉な事は言わんでくれ……弱々しいが、生きているのは確かだ」

「大丈夫なんですか? チャックさん」

「詳しい事は言えないね。体内には生体活動を抑える薬があったが、中和し終えた。しかし、不思議にも数時間診ただけでは、昏睡状態からは良い方へも悪い方へも動かなかった。何かを待っているんだろうか、まるでこの少年は目を覚ます機会を窺っているみたいだ」

「待っている、ですか……」

 アンジュリーナの質問に答えたのは、チャックと呼ばれた白衣を着ている中年男性。

 名はチャック・ストーン。アイルランド系の顔付きで、西洋人としてはやや小柄で横に広い彼は、内科外科問わず、医師を“主な”生業としている。

 髪と同色の茶髭を撫でながら、彼は更に付け加えた。

「それと、『チップ』が見つかった。早く摘出しなければ」

「それってこちらの居場所がばれてるって事じゃないですか?!」

 少女が急にヒステリックに呼びかけたが、隣の中華系青年が穏やかに制する。

「慌てないで。『管理軍』の『チップ』は位置情報を伝えるけど、その為に向こうの施設を破壊したんだから。向こうが戦力を用意してもすぐには来れないよ」

「でももし今こちらの居場所がばれていて向こうに戦力が残っていたら……」

 不安に押し潰されそうな少女の肩に、中年男性の手が置かれた。

「悲観的になるなアンジュ。まあ確実な事は言えないがね……手術はすぐ行うとするよ。ちょっとそこのメスと麻酔を……」

 慌てるように、アンジュリーナは近くにあった、手術道具一式の入ったトレーを渡す。ハンの方は離れ、兵士達と何かを喋り始めた。残ったリョウはテントを出て、あてもなく何処かへと消えたのだった。