【短編集】妖怪女子、様様に暮らし

Chapter 1 - 雪女サマーパニック!

壱原優一2020/06/02 12:12
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 ガラは、うだるような暑さと、肌に張り付いたタンクトップの不愉快さで目を覚ました。

 六畳間の中央に長々と陣取った布団の上で、大の字のまま呻き声。


「う゛ー……」


 いつもは元気にウニョウニョする頭の白蛇たちはヘニャリとして微動だにせず。

 当の本人もまるで起き上がろうという気にならなかった。


 |蜷局山《トグロヤマ》ガラ代は妖怪である。

 蛇女である。寒いのは苦手だし、暑いのも苦手。


 だから昨晩は、お天気お姉さんが『寝苦しい夜になるでしょう』と言っていたこともあるし、クーラーをつけたまま寝たはずだった。

 築四十年、木造二階建て、1Kの安アパートにも生命維持装置エアコンくらい、ついている。


 ガラ代は仰向けのまま、半目で天井隅を睨みつけた。

 エアコンはどういうわけかピッタリと口を閉ざしていた。


 枕元のリモコンを手に取って、スイッチ・オン。

 それでも彼は沈黙を守り続ける。


 ガラ代の腕が、力なく落ちた。


「雄弁が金でしょうがよ、アンタはぁ」


 その声は、まるで示し合せたかのように鳴き始めた蝉にかき消された。

 ジリジリと焼けるような空気のなか、彼女は静かに目を瞑る。

 大の字のまま。無駄な体力を使わないように。ただ待つ。


 今は朝の十時だから、あと七時間か、八時間もすればマシになるだろう。

 どこか涼める場所を求めて外へ出る気力もない。


 ――良い考えがある。


 頭の中の司令官がそう言った。

 残念ながら、経験上、彼女の提案が素晴らしかったことは、あんまりない。

 だが|藁《わら》にもすがる気持ちで、内なる司令官の言葉を拝聴することにした。


 ――|霜乃《シモノ》の部屋に行こう。


 ガラ代はガバッと起き上がる。

 そいつは名案だ。司令官に敬礼を。

 そうと決まれば善は急げ。急がば回れ。

 布団の周りをぐるぐる二周してから部屋を飛び出し、二つ隣の部屋をノックする。


 まさか他所の部屋のエアコンまで壊れているはずはないだろう。

 それに彼女、|氷河崎《ヒョウガサキ》|霜乃は雪女だ。


 少し前までは傍にいると冷えてしょうがないから避けていた。

 けど、夏真っ盛りともなれば話は別だ。

 今ほど彼女が恋しいと思ったことはない。

 もう夏の間は一緒に寝たいくらい。


 ガラ代はたいそう自分勝手なことを思いながら、待てども待てども、一向に返事がない。

 冬の間、邪見にしていたから拗ねてしまったのだろうか。

 いや、とガラ代は首を横に振る。


「そんなに器の小さいやつじゃあないし、冷たいやつでもないな」


 まだ寝ているのだろう。

 クーラーの効いたなかで、スヤスヤと。

 なんて羨ましいやつ。


 ガラ代はドアノブを捻ってみる。

 ガチャガチャやれば目を覚ますかと思ったのだが、


「はあー? 不用心め」


 鍵が掛かっていなかった。


 そういうことなら、しょうがない。

 中から閉めてやる必要がある。ついでに涼んでやろう。


「しゃあねえなぁ。おっ邪魔ー」


 ルンルン気分で玄関をあがり、キッチンを通って部屋に入ったまでは良かった。


「|暑《あっつ》い」


 ここも全く冷房がきいていないではないか。

 さっと見回すまでもなく、誰もいないことがわかる。

 トイレにでも入っているのなら別だが、その様子もない。


 外出中だったらしい。この暑いなか。

 雪女がどこに行ったか知らないが、折角のエアコンを使わない手はない。

 そもそも用があるのは、そっちのほうだ。


 さて、リモコンはどこだろう。

 探し始めてすぐ、あることに気付いた。

 敷きっぱなしの布団が、じっとり湿っている。


 イヤな想像が頭をよぎった。


「……まさか、ね」

 単なる杞憂だ。


 そのことを証明するべく、ガラ代は急ぎ枕元のリモコンに手を伸ばす。

 けれども、エアコンはうんともすんとも言わなかった。

 湯だった頭が急速に冷えた。


「いやいや、そんな、いや、いやいや、おい、まじか、まじか!? ……え、ほんとに? 霜乃。溶けちゃったの……?」


 愕然と立ち尽くす。

 蝉の声が、馬鹿にうるさい夏の日のことだった。


 ……。


 …………。


 ………………。


 ガラ代はハッと我に返ると、辺りを見回した。

 鳴き声に混じって、かすかだけれど、別の声が聞こえたのだ。


 自分の名を呼ぶ声が。


 目端に捉える、ピンク色のテーブル。

 布団を敷くにあたって角に移動させたのだろう。

 その上に透明なコップがあった。

 水がいっぱい近く入っている。


 慌ててにじり寄って中身を覗き込む。


「霜乃!? 霜乃!」


 水面に見知った顔が映り込んだ。

 ガラ代本人の、ではない。


「はろう、ガラちゃん」

「のんきな挨拶!」


「どうやら昨晩、エアコンが壊れてしまったみたいでね」

「偶然の一致!」


「危なかったわ。気付いた時にはもう、ほぼ水でね。でもコップを片し忘れていて良かった。ご覧の通り、ナイスバディからはかけ離れてしまったけれど、意識はハッキリばっちりよ」

「体型って意味では大して変わらないから大丈夫。つるっとしてるし、慣れたら、元からまあ、こんなもんだったかなって気がする」


「復活したら凍らしてやる」

「てーか、右手分くらいしか残ってねえわりには余裕じゃん?」


「そうでもないわ。じわじわ蒸発してるのがわかるもの。蒸発死よ、蒸発死。溺死はそこそこ苦しいらしいけれど、これは苦しくはないんだけれど、すごく恐怖ね。一歩ずつ死に近づいている感覚がすごいわ」

「新しい拷問かな?」


「というわけだから、ほんっと貴女が来てくれて助かったわ。ご覧の通り手も足も出ないもの。あとでカキ氷おごったげる。五十杯くらい」

「冷凍タマゴ五十個のほうが良いかなー、っと」


 ガラ代はコップを掴んだ。


「うわっ、ぬる! 雪女の欠片もねえな!」

「実際、欠片も残っていないし。ギリよ、ギリ」

「昔話だと夏場も暮らしてるっぽいのに」

「|里《うち》のお年寄りみたいなこと言わないで。あれ、いつの話よ。今と平均気温が段違いでしょ。それを最近の子はゆとりだなんだって……まったくもうよ、まったくもうっ」


 それから一人と一杯が向かったのは、霜乃の部屋の下。

 ガラ代はチャイムを鳴らす。とりあえず三回。


 無反応。

 よくあることだから、いるのか、いないのか、わからない。


「よわ|姐《ねえ》さーん」


 呼びかけてみて、ようやく「はぁぁい」と甘ったるい声が返ってきた。

 ドアが開き、ガラ代はひんやり冷気に和む。


 それも束の間のこと。

 部屋の主を見て顔をしかめた。


「酒くさ! えぇー、いつもよりずっと酷い」


 赤い髪して、額には一本角。背高く、胸|大《だい》なり。

 種族、鬼。なのに柊模様のパジャマを着ている。


 よわ姐さんこと|鬼怒川《キヌガワ》 |枠那《ワクナ》は、ふにゃりと笑う。


「ひとり酒してたところだからぁ」

(そういえば、ここ三日くらい見てなかった気が……)


 たいそう気持ち良く酔っ払っているように見える彼女だけれど実はそうではない。

 その名の通りに枠なのだ。

 知人からは畏怖の念をこめて、よわ姐さんと呼ばれている。

 果たして何時間、飲み続けていることやら。

 そんな疑問は、部屋にあげてもらい、散乱した空き缶や瓶の山を前にすると、どうでも良くなった。


「よわ姐さん、氷はありますよね?」


 無類の酒好き。常備しているはずである。

 そう確信して来たものの、現状を見るに、使い切ってしまっている可能性も否めなかった。


「あるわよぉ。食べる?」

「いえ、これ見てくださいよ。なんだと思います?」

「あらぁ、お水持ってきてくれたのぉ? わざわざ悪いわねぇ」


 急に伸びてきた鬼の手から、慌ててコップ(雪女入り)を守る蛇女。


「うわぁっ! 違いますって。飲んだらダメです! これ、霜乃です」

「もう、からかってぇ。|霜《シモ》ちゃんは雪女よぉ? 水女じゃないわぁ」

「溶けちゃったんですよ。エアコンが壊れて。で、氷いただけませんか?」

「そうなのぉ。ちょっと待ってて~」


 枠那は適当に缶と瓶を蹴散らして、空いたスペースにガラ代を座らせた。

 そして部屋の端に置かれた小型の冷蔵庫へ向かう。

 そこまでの道は日常的に作られているようだ。


 この部屋も他と同じく1Kなため、キッチンにはもう少し大きな冷蔵庫を置けるのだけれど、彼女のそれは、内部が一種の異界になっている特注品だ。

 膨大な容量を有している。

 そのため部屋から出ずに飲み続けることも不可能ではないのだ。


 枠那がロックアイスの袋とウイスキーの瓶を持って、ガラ代の前に座った。

 そして袋の中で氷を握り潰したかと思えば、瓶の首を素手でねじ切り、そこに粉々になった氷を注ぎこんだ。

 ウイスキーに口をつけながら彼女は、ニコニコ顔で余りをくれた。


「助かります、よわ姐さん」


 氷の袋にコップの中身をぶちまける。

 雪女水がたちまちパウダーアイスに染み込んでいく。

 間もなく氷原が盛り上がりを見せ、親指ほどの大きさの、白髪の和服少女が降り立った。


 ガラ代はホッと一息つく。

 目論見通り、多少の力を取り戻せたようだ。


(ドールハウスにでも飾りたくなるわね。氷のドールハウスがあればの話だけど)


 ちんまい霜乃が伸びをして言った。


「ありがとうございます、よわ姐さん」

「いえいえ~、困ったときはお互い様よぉ」

「元に戻ったら、あれ、作りますよ。過冷却ビール」

「いいわねぇ! 夏って感じ」

「ガラちゃんもありがとう!」

「ま、タマゴくれるんなら、お安いご用よ」


 あとはこうして駄弁りながら、涼しい部屋で氷を継ぎ足せば、霜乃(大)の出来上がり。

 めでたし、めでたし。



 …………のはずだったのだが、翌日。

 ガラ代は朝っぱらから霜乃に叩き起こされた。


「お酒のにおいがするわ! 体から!」


 肉体を再形成する過程で酒気むんむんの部屋にいたことで、染み込んでしまったらしい。


「近寄るな、くさい」

「は、はぁー!? 澄んだ匂いですー! ほれほれ嗅いでみなさいよ!」

「うへぁ」


 抱きついてくる彼女を引き剥がして、ガラ代は提案。


「作り直すしかないでしょ」

「それしかないかぁ……。今日はこっち泊まらせてよ」

「うちもダメなんだって」

「あぁぅ、そうだった。じゃあ、またね」


 肩をガックリ落とし、霜乃は帰っていった。

 ガラ代は額の汗を拭って麦茶を一口。


 窓から空を仰ぎ見た。

 憎たらしいほどに清々しい青空と、白い雲。

 蝉もミンミンうるさい。


「……あっついなぁ」


 今年の夏はいつもより暑くなりそうだ。

 氷がコップに当たり、カラン、と小気味良い音立てた。


「エアコン、大家に言わないとな。霜乃がまた溶けちまう前に」




     (了)