Chapter 20 - 十九噺 想い
キィン。
星空から落ちてきた銀色のコインが岩の大地とぶつかり硬質な音を放つが、私もソルマも一瞥さえくれることはなかった。
「フンッ!」
唸るような低い声と共に、ソルマの真っ赤な全身から燃え盛るような炎が噴出する。彼の周囲に生えていた草木は、その圧倒的な熱量に耐え切れず一瞬で燃えて塵となった。
そしてソルマは燃え盛る炎をこちらに向けて放射する。流石にこのまま喰らっては私でもひとたまりもない。
私は懐から植物の種を取り出し、それを前方へとばら撒くと同時に魔力を加え急成長を促す。スルスルと大人の身長程まで成長した植物は、先の方に黄色いつぼみのようなものを付けている。
そのつぼみがソルマの方を向くや否や、つぼみの先から大量の水が凄まじい速度で打ち出される。高圧で噴射される水が向かってくる炎を打ち消し、白い霧の中で水の蒸発する音が連続する。
「やはりその植物は厄介だな……ならばこちらから行かせてもらう!」
魔法の打ち合いにしびれを切らせたソルマは炎の出力を上げ、同時にこちらへ距離を詰めるべく地面を蹴って飛びかかってくる。私は足元へ種を撒き、ソルマの振るった拳を大袈裟に跳び退いて十歩分程後ろへ下がる。
周囲に撒いておいた種を急成長させソルマを囲み、水のつぼみで一斉に攻撃する。
「甘いわっ!」
だがソルマは瞬時に炎熱を周囲に放射し、迫りくる高圧の水を蒸発させる。
一方の私もこの程度で決着を付けられるとは思っていない。足を止めた一瞬を突き、ソルマの足の下にある植物の種を急成長させる。
「ぬうっ!」
彼の身体は植物の凄まじい成長速度によって空中へと放り出される。辺りに生やしてある黄色のつぼみは、空で身動きの取れないソルマへ向かって一斉に水を打ち出す。
派手に水しぶきが上がり、あたりに雨のように水が降り注ぐ。視界が悪くソルマがどうなったかは視認できない。だがソルマの魔力は確認できるため、まだ決着は付いていないことだけは確かだ。
かつての決闘の頃のレベルであれば、これだけの攻撃で決着を付けれていたのだが……。
「これまでの我と、一緒にしてくれるなよ」
ドン、という何かが落ちた音と共に、正面から低く唸るような声がした。
大粒の雨が止みそこに立っていたのは、どろどろとした、だが凄まじい高熱を放つ赤い泥のような何かを纏ったソルマ。
「……まるで、生きた溶岩のようだな」
ぽたぽたと彼の身体から滴り落ちる溶岩は、地面を溶かしてなおその熱を失っていない。
追撃するべく周りのつぼみへと魔力を送り水を発射させるが、ソルマに触れるかどうかといったところで白い霧となって蒸発してしまう。
「ハッ!」
更にソルマが溶岩の拳でつぼみの植物を殴ると、爆炎に包まれあっという間に燃え尽きてしまう。
魔力を送り水を掛けたところで高熱に阻まれ、まさに焼け石に水。辺りに生えていたつぼみは次々と炎に沈んでいった。
「どうしたゴテル! こんなものか!」
ソルマは声を荒げながら拳を構え、大地を蹴ってこちらへと飛びかかってくる。圧倒的な熱量を放つ溶岩の拳で殴られれば、それこそ私の命が危ういだろう。
私は懐から先程までとは違う植物の種を取り出し、それを正面にばら撒いて魔力を送り急成長させる。
灰色の木がいくつか生えてきて近付くソルマを遮るが、高熱の溶岩を纏ったソルマは私に接近しようと木々の柵へと突っ込む。
「そんなもの、吹き飛ばしてくれよう!」
ソルマが高熱を纏った拳を突き立て、灰色の木が爆炎に包まれる。しかし。
「それはどうかな」
「何……っ!?」
そこにあったのは無傷――どころか更なる急成長を遂げ、大木と見まがうほどに大きくなった灰色の植物である。
そして私は巨大化した植物に魔力を込め横薙ぎに動かし、質量の一撃でソルマを吹き飛ばす。
「熱を吸収して自らの糧にする……作るのに苦労したが、効果は折り紙付きだ」
そう、この植物は耐熱性は勿論だが、それ以上に熱を吸収して栄養源に出来るように改良したものである。どれだけの熱を加えても燃えずに吸収できる仕組みを作るのに相応の時間を費やしたが、結果は想定以上のものであった。
「ぐ……」
大木に吹き飛ばされ立ち上がれないソルマに最後の一撃を加えるべく、手に握った種に魔力を込め狙いを定める。
「これで終わりだ」
だが、決着を付けようとした瞬間、突如第三者が影からスルリと現れた。
私は初め、その存在に気付くことが出来なかった。それは岩陰ではなく、まるで本当に影の中から出てきたような……。
「ソルマ様は……ソルマ様は!!」
その人物……いや、真っ黒な悪魔のダンは、叫びながら決死の表情で一直線に向かってくる。
ソルマはそれを制止しようと声を荒げるが、そもそも私に吹き飛ばされたのだから体勢が整っていない。
私は加減が出来ない距離まで近付かれてしまったことで、不意打ちの対処に躊躇してしまった。
「うああああ!!」
「やめろ、ダン!」
そして。
グサリ、と。
私の横腹には、ナイフが深々と刺さっていた。
~
「――っ、まだ痛むか……」
あの満月の夜からしばらく経過したある日、自分の城の一室で腹に包帯を巻き直しながら、私はソルマとの決闘のことを思い返していた。
「あんな攻撃も避けれないとはな……」
溜息を吐きながら余った包帯を巻き取っていく。
いくら平和ボケしていたとはいえ、あの程度の不意打ちを受けてしまったのは不甲斐ない。
……いや、私の敵じゃないと高を括ってダンの力を見誤っていただけか。どちらにせよ油断していた自分自身が情けなかった。
私がナイフで刺された直後、ソルマは決闘の邪魔をしたダンを思いっ切り殴り飛ばした。そして「今回は私の負けだ、そしてこのことは貸しにしておいてくれ」と気絶したダンを担いで夜の地平線へと消えていった。
刺された私の心配など全くしていなかった。まあ現に致命傷ではないのだが、もう少し気にかけてもバチは当たらないと思うぞ、ソルマよ。
ともかく、あの時ダンは私を刺したナイフに特殊な毒を塗っていたらしく、そのせいか傷の治りがかなり遅い。
私は様々な毒に耐性を付けているためあまり重症にはなっていないのだが、直りにくい上に痛みはするためどうしたものかと悩んでいる。とりあえず汎用の痛み止めを塗ってはいるが、まだ動かすと痛みがあるので何か特効薬でも作った方がいいかもしれない。
しかしもう幾ばくもなくラプンツェルの出産が始まるので、毒の研究に時間を費やす訳にもいかない。初産であるし気になることもあるので手伝ってあげたいのだ。
私が王子との子を公認するような行動をとるのは不自然なのが問題ではあるが、変装して接触を図るのが妥当だろう。
「準備するとしよう」
最近私があの小屋へ行く頻度を減らしていることもあり、困っている人が訪ねてくるなりすれば、彼女はきっと小屋の中へ入れてしまうに違いない。声を変えるのに必要な飴を小さな袋に入れながら、私はどのような設定でラプンツェルに会うか計画を練ることにした。
~~~
日差し弱まらぬ砂漠にぽつんとある小屋の中、肩までかかる美しい金髪を持つ物憂げな少女が一人。
ラプンツェルは小屋の中でベットに横たわり、窓の外を眺めていた。その腹部を見れば、彼女の身体がほっそりと小さいことを考慮しても異様なほど大きく膨らんでいた。
満月が登ったある夜以降、ゴテルはほとんど小屋に来なくなった。自分が母親になるという重圧も重なり、ラプンツェルは不安で押しつぶされそうになっていた。
ただ砂漠の砂粒を眺めるのも見飽きたラプンツェルが、ひたすらに本を読み漁り続けていたそんなある日。
コンコン。
小屋の扉から鳴るはずのないノック音が響いた。
初めは幻聴かと思ったラプンツェルはほどなくして再び耳にしたノックを聞いて、少なくともゴテルではない誰かがここに来たのだと確信する。
王子の件もあり多少の警戒心はあったものの好奇心と寂しさに負けて扉を開くと、そこに立っていたのは大きな荷物を背負った若い女性だった。
「いきなりの訪問失礼します。私は旅商人を生業としている者なのですが、旅路……というかこの砂漠が予想以上に厳しくて」
商人を名乗る女性ははっきりと、溌溂とした声で顛末を語る。会話を生業にしているのだろうか、とラプンツェルは推測した。
「水が尽きて干からびる所だったんですけれども、この小屋に備わっている井戸を見つけまして。すみませんが水を分けて頂けませんでしょうか、勿論お礼は致します」
恭しく頭を下げるその姿にどこか懐かしい空気を感じたラプンツェルは、ゴテルの監視が緩まっているということも相まって、その商人の娘を小屋の中に入れてしまった。
「お腹大きいですね、もうすぐご出産ですか?」
「うん……かなり不安だけどね」
片付いているとはいえ狭い小屋に過ぎないため、ラプンツェルは商人を名乗る女性とかなりの近距離で話し合っていた。ラプンツェルはベッドに腰かけ、商人はその正面で素朴な椅子に座っている。
「こんなところで一人だし……あっ」
「……いえ、深くは尋ねませんよ、商人は信頼が第一ですからね」
失言したと口を噤んだラプンツェルに、商人は笑いながら大丈夫だと返した。
「ただ、お困りのようでしたら、私に助産師の代わりを務めてさせて貰ってもよろしいでしょうか。ああ勿論お代は頂きません、宿代……には足りないでしょうが、その足しとして勘定して頂ければと」
商人の思わぬ提案に、ラプンツェルはこれ幸いと頷いた。しかし少し気恥ずかしくなったのか、またここまで優しくしてくれる商人に少し疑問を抱いたのか、今度はラプンツェルが商人に向かって問いかける。
「私のお腹はいいんだけど……あなたのお腹の傷、どうしたの?」
「ああこれは……少し前に、私の荷を狙った盗賊に襲われまして」
商人の服が少しめくれた時、横腹に何か刃物で刺されたような傷があるのを見つけていたラプンツェルは、酷く心配そうな目でその傷を見つめる。
しばらく見つめている間に、この小屋に来なくなる直前のゴテルが、普段と違い腹部を庇うような動きをしていたことをラプンツェルは思い出した。体をひねったり、腹筋に力を入れたりするような作業をするたび、少しだけ顔を歪めていたのを彼女は見逃していなかった。
そして示し合わせたかのようなタイミングで現れた助産師、いや自称商人の腹にはナイフで突き刺されたという傷がある。
ここまで情報が揃っていて気付かないラプンツェルではなかった。
「……」
「あの……そんなに酷い傷ではないですから、大丈夫ですよ?」
何も言わずに商人の姿のゴテルに抱き着いたラプンツェル。商人はオロオロとしながらも彼女を安心させようと声をかけているが、当の本人に聞いている様子はなかった。
ラプンツェルにとっては久々に感じたゴテルの体温。そして彼女は傷を負ってもなお、ラプンツェルのことを守ろうとしてくれている。
ゴテルからにじみ出るぬくもりに懐かしい安らぎを感じ取ったラプンツェルの目からは、本人も気付かぬうちに涙がこぼれていた。
その涙がゴテルの腹部の傷にかかるや否や。
突如、眩い光が二人を包んだ。
「……!!」
力強く、だが優しい光。商人は目を見開き驚きを顔に浮かべる。
「傷が、治ってる……?」
「これは……」
光が収まった後、傷の変化に気が付いたラプンツェルと、その現象を見て絶句する商人。
「あ、あのこれは、その……」
しばらくして何が起こったのか察したラプンツェルは、自らが起こしたであろう現象の正体を知られてはいけないとしどろもどろになってしまい、最終的には黙り込んでしまった。
「……この事は、他言無用にしておきますね」
その様子を見た商人はすっと人差し指を立て、それを自らの唇へと当てた。
「商人は信頼が第一、ですから」
にこりと微笑む商人の笑顔を見て、ラプンツェルは再び彼女に抱き着いた。
~
「う……ううっ!」
「もう少しですよ! 頑張ってください!」
苦痛に声を上げるラプンツェルと、彼女を応援する商人。
やがて、二つの産声が上がる。ラプンツェルのか細い両腕に抱かれていたのは、男の子と女の子、性別の違う双子だった。
「では、私はこれで……ありがとうございました」
荷を纏めた商人は、スヤスヤと眠る双子を抱えたラプンツェルに向かって一礼した後、扉を開き砂漠の果てへと歩いて行った。
ふと部屋の隅を見ると彼女の荷の一部、というよりは大部分が残されていた。商人としてのお礼のつもりだろうか、はたまた……。
「……ありがとう、おばあちゃん」
閉じられた扉に向かって、ラプンツェルは静かに頭を下げた。
二人の赤子を抱える少女のか細い声は震え、青い瞳からは大きな雫が零れた。