空洞について考える。それはただの穴というにはあまりにも巨大だった。それでも。それはやはりただの穴なのだ。私から見れば。例えば小石を握る。小石が隠れるように。そのとき。その小石は手のひらの穴と言うにはあまりにも暴力的だった。だから本物の空洞というものはどうしても物質的な空間が必要だということになる。いや、それすらも疑ってしまうのは――。
――やはり人間的なのか。
照りつけるような太陽。
冷たい夜。
体をなぞっていく風。
煙草の灰。
見渡す限りの深淵。
それをわたしは空と呼ぶ。
それはたまに宇宙になる。
星が流れる。
その下に。
命があふれている。
有限の。
限りある循環。
繰り返されない爆発。
(思えば暑さが痒さに変わったとき、わたしはここにとどまることにした。揺れて、流れて、内包して、蒸発して、固まって、溶けて、殺して、産んで。一つだけ違う概念から見える世界はきっと誰にも想像できない光景であり、きっと誰もが夢に見る光景だから。しかし、それすらも飽きてしまうのはわたしに人間の血が流れているからなのか、それともここが人間主体の星だからかは分からないけど、飽きたことに気がついてしまうのはとても卑屈だと思う。みな、必死なんだ。生きることに)
わたしが地球を包んでいるのか、地球がわたしを抱きしめているのか。
どっちだと思う?
わたしが生まれたから命が生まれたのか、命が生まれたからわたしが生まれたのか。
どっちだと思う?
ねえ、あなたは好き?
ときどき、目を閉じると、見る夢がある。まぶしいほどの光をキラキラと反射している真昼のショーウィンドウの前を照れくさそうに歩いている女の子の後ろ姿を。彼女はこれからデートかもしれないし、小さな冒険をしているだけかもしれない。憧れの眼差しは陽炎を揺らして、アスファルトから他人を消してしまう。風だけが彼女の友達だ。そこは真っ白な世界。自由な世界。お洒落なカフェが気になるのか、ガラスの向こうにどんな人がいるのか気になるのか、自分の容姿について考える余裕はまだあまりない。だから彼女はいつも迷っている。美容院に行けばいいのか、雑誌に載っている服を買えばいいのか、それとも読書する時間を増やせばいいのか。甘いものをいくら食べても根源的な満足は得られないとは知っていても、それでもチョコレートの甘さで強制的な幸福が得られるのならどうしてそれがいけないのかも彼女は分かっている。財布の中身を確認する。その財布を前回取り出したときの記憶を探る。いったいなにに使えばいいのだろうか。牛の反芻のように、彼女は一つ一つの過去をいつも反芻する。だから気がついたら、日は傾いて、夕暮れ、街路樹の影が彼女の背丈の何倍にも伸びた頃に、彼女は声を掛けられる。いや、それは幻聴だ。だから彼女はすべてを無視する。無視して無視して、気がついたら電車に乗って、家に帰ればいいのかを反芻して、そして夜、どこかの町の海にやってくるのだ。
海。
波の音が弱々しく。
見渡す限りの闇。
煙草に火をつける。
その灰が砂と混ざる。
いつまで続くか分からないふりをする。
心の中が子供だとしたら、口から出る言葉はいつも動物だ。
誰かの命がなくなっても、世界はなにも変わらないのだから。
(いや、不定形だから愛されるのかもしれない)
形がないという形。
概念がないという概念。
なにもないという有限。
――海。
わたしは海だ。
だからわたしは海が好きだ。
少し前に。
大きな爆発があって。
誰かがわたしの上にリフトを作った。
それに乗っている子がたまに笑う。
とても楽しそうだ。
さらにその上をずっと飛んでいる概念がある。
彼が死んでいるかどうかは彼が決めることだ。
だからわたしはそっとしておく。
この地下にもそんな人間がいる。
土中人間。
彼は天才だから。
きっと大丈夫。
海はまだもう少し。
海のままだから。
いま、ここに、こうして。
揺れながら。
吐きながら。
飲み込むながら。
また夜が来る。
その反対側に朝が来て。
眠れないまま。
こうやって地球を騙し続ける。
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