一章:悲しみはいつも夢の中
首吊り自殺の計画を立てた。
雪がよく降る十二月の夜だった。
ここは、私達家族が借りているアパートの一室。
椅子に登って天井に縄を括る。
準備が出来たら輪っかに首を通す。
ふと、色んな思いが頭をよぎる。
走馬灯を脳内再生しながら、
呼吸が荒くなり始める。
大人気なく涙を流し、過呼吸を起こす。
まだ吊る前で、悶える時間じゃないのに...。
そこに数人の警官が来る。
理由は分からないが、近所の人が通報したようだ。
子供達がいるからと説得されたが、
正直私にはどうでもよかった。
私はまた、失敗した。
……………………………………………
いじめとは、
肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力や差別、いやがらせなど、被害者が精神的な苦痛や不快感を感じるすべての行為、などによって一方的に苦しめることである。
弱いから。
キモいから。
許せないから。
いじめる側は、理由なんて適当でいい。
「ただいま」
僕こと “黒澤咲月” は、小学三年生の少年だ。
ただいまと言っても返事は無い。
さっきクラスメイトに殴られた箇所を庇いながら、声のする方に向かう。
台所では、今日も義両親が喧嘩をしている。
借金や生活費の工面をどうするかについて、
言い争っている。
いつも通りの光景だ。
義父が、義母に向かって酒瓶を投げつける。
悲鳴をあげる義母。
これもまた、いつも通り。
僕はここの家族に嫌われている。
僕を産んだ母親は、僕が生まれた時に亡くなった。
皆が僕を嫌うのは、悪魔の子供だからなのかもしれない。
皆と同じように人として生まれていたら、
家族の接し方も違っていたのかな?
そんなくだらない事ばかりが頭をよぎる。
義母の白く痩せた肌は 痛々しく腫れ、
顔がいつも以上に疲れていた。
僕は ただ ドアの影から見ていることしかできなかった。
食事が終わり 、食器を洗っている義母に前から思っていた事をたずねてみた。
「ねえ 義母さん、どうして義父と結婚したの?」
義母は一瞬、動揺した素振りを見せたが、
俯きながら何も答えなかった。
…………………………………………
夜勤明けの帰り道。
いつも通り、家へと向かう。
今日も 朝に借金取りの対応や 家事 、昼間のパートや夜の仕事で休む暇もなく働き 疲れきった身を引きずり帰宅する。
台所へ行くと 酔っ払った夫が テーブルに肘をついてお酒を煽っていた。
「貴方、 帰ってたのね」
今食事の準備をするから
私は 買い物袋を床に置き、夕飯の支度をしようとした途端、
夫が突然立ち上がり 私の頬を殴った。
「痛い!」
「酒...」
「え?」
「酒持ってこい!」
「もう その辺にしといた方が…」
「うるせー!
誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ!」
「きゃ!」
私は夫に髪を引っ張られながら 必死に抵抗した。
「で、でも もう今月の生活費が…」
そう、借金をして なんとか生活繋いではいたけれど、
夫のタバコとお酒で 今月分の家賃の支払いもできず、
生活費も危ない状況なのである。
そのことを夫に話そうとするが、 聞く耳を持たない夫は、
こうして 暴れるばかりだ。
その後も私は 、何度も顔や腹部を殴られた。
食後、 食器を片付け 部屋に戻ろうとした時、
ふと、テーブルに置いてあった家計簿とレシートに目をやった。
借金返済の事や生活費のことがびっしり書いてある家計簿と、
夫のお酒やタバコの購入したレシートを交互に目を通す。
涙が溢れた。
そして 私は 、食後に咲月が言った事を思い出した。
私は なぜあの人と結婚したのだろう。
そもそも あの人は 今も昔も変わらず、
浮気癖はひどいし 、私を愛してくれなかったし 、
何一つしてくれなかった。
そのくせ機嫌が悪くなれば、
私に暴力をふるってくる。
だいたい、
この人とは 親同士の紹介で知り合った仲、
何も知らない垢の他人、
好きなんて感情は一切なかったけれど、
それでも 親がしつこくて 仕方なく結婚したけれど、もう、潮時なのかもしれない。
周りに頑張ってないと言われた。
怠惰な奴だと思われていた。
その場ではおどけてみせた。
ついこの間までは、それで何とかなったのに…
「違う!違う!違う!違う!!!」
誰もいない部屋で独り、
何度も、何度も、何度も、
自分で自分を傷つけながら泣き叫ぶ。
自分の汚い声が、虚しく木霊するだけだった。
目の前の鏡には、醜い化け物が写っていた。
私は思った。
痛みを知らない奴らほど、
声が大きいわよねって。
アフリカと比べないでよ。
失礼な奴らだ。
目の前の涙に気づかないなんて、
世間知らずはあんたらの方だ。
私は憎い。
私よりも幸せな癖に、世界を語る奴らの事が。
殺したいくらい憎いんだ。
何も知らない癖に、何も聞こえない癖にって。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
いったい何時から?
私の今までしてきた努力はいったいなんだったのだろうか?
誰とも付き合わず休みの日も図書館で勉強をし 、
いい大学に行き、結婚して、やっとの思いで幸せになれると思っていたのに、
娘を産んで、 義理の息子を引き取ってから徐々に何もかもおかしくなって…。
この子達さえいなければ あの人さえいなければ、
こんなことにはならなかったのよ。
「そうよ いっその事殺してしまえば 、
なかったことにしちゃえばいいのよ」
私は、息子の首に手をかけた。
苦しみもがく息子を鬼の形相でにらみつける。
「あんたさえいなければ…」
ハッと目を覚ますと 、自分の部屋にいた。
「いつの間に…今のは夢?」
私は 一体 、どうしたいのだろうか…。
今日も、 憂鬱な朝と共に 辛い一日が始まる。
嗚呼、早くこの場から逃げ出したい。
私は、出かける準備をし 、
彼の元へと向かった。
……………………………………………
平凡で退屈な日々が始まる。
学校へ着き 教室のドアを開け、中に入る。
「あいつ今日も学校来てるよ」
「マジキモイ」
「最悪」
周りの痛い視線を浴びながら 氏ね、 キモイ 、臭い、汚い 、学校来んな、
と書かれた机にランドセルを置き 席に座る。
チャイムがなり 先生の号令 と共に 何事もなかったかのように みんなが席に着く。
「お前ら 最近 他校で いじめによる 自殺事件があったらしい
みんなも いじめは絶対しないように
うちはないが もしも いじめられたりしたら 先生に言うんだぞ」
「はーい」
一同が返事をし チャイムと同時に 先生が 僕を睨みつけ
まるで お前のことなんか知らないと言わんばかりの顔で教室を去っていった。
放課後の帰り道、家の近くを歩いていると、反対方向から義母が知らない20代くらいの男の人と仲良く手を繋いで 歩いて来るのが見えた。
男の人といる義母の顔は いつもと違って 生き生きしていた。
「母さん…」
僕は 驚きのあまり その場で立ち止まった。
そりゃそうだ 無理も無い 、あんなところにいたら気も狂うし、
逃げ出したくもなる。
僕だって 本当は あの家に居たくない。
「ただいま」
帰宅後、玄関で靴を脱いでいると、 何やら台所の方で物音がした。
違和感を感じて恐る恐る台所の方へ近き、 扉から そっと覗くと、
義母とさっきの男の人が抱き合ってキスをしていた。
「え…?」
その光景は、子供の僕にとってあまりに衝撃的だった。
僕はしばらくの間、その場で立ち尽くし、2人の様子をずっと見ていた。
自分の部屋に向かう。
床に転がるカッターナイフを手に取り、右腕に当てる。
自分でも何をやっているのか分からない。
ただ、さっき見た事が今も忘れられずに頭を過ぎる。
呼吸が少しずつ荒くなる。
ふと、我に帰る。
僕は…。
…………………………………………
いつも通りに家に帰宅する。
台所の方でいつもとは違う物音がする。
ぐちゃぐちゃと音がする台所のドアをそっと開ける。
バケモノを見た、バケモノを見た、
僕は目の前でバケモノを見た。
僕が目にしたもの、それは義父が馬乗りになり義母を包丁で何度も何度も刺している姿だった。
周りは義母の血で赤く染まっていた。
怖くなった僕は、直ぐにその場から逃げ出した。
雨が降る住宅街をひたすら走り続けた。
“カアイソウ、カアイソウ”
心が痛く、内側から圧迫されて、
何度も何度も張り裂けそうになる。
“コンナジブン カアイソウ、ムクワレタクテ、
ムクワレナクテ、カアイソウ、カアイソウ”
心の中で繰り返し誰かが呟く。
もう何も考えられなかった、考えたくもなかった。
義母の葬式日、
会場には、義母の親戚や身内の人達が集まっていた。
みんな残念だのなんだのと、こそこそ心無い事を言う。
中には嘘泣きする人もいた。
やっぱりそうだ。
誰も義母の死に興味なんてない。
所詮は他人事なんだ。
葬式が一通り終わり、火葬場で埋葬している頃、
僕は、義姉に呼ばれた。
義姉は僕の胸ぐらを掴み投げ飛ばす。
「どう…して。」
「お前さえいなければ…お前さえいなければ…こんな事にはならなかったんだ!
ママが死ぬことも、パパが狂うこともなかった!」
馬乗りになった義姉は、繰り返し罵倒し、
僕の顔を殴り続ける。
殴られる度、青あざが顔中に広がる。
その痛みは感覚が麻痺するほどだった。
「どうせなら、弟じゃなくて妹がよかった。
死んじゃえよ、お前なんか…」
途端に暴力を止め、義姉はその場で泣き崩れた。
僕はどうする事もできなかった。
僕は、間違っていたのか…。
式場には、遺族や親戚が集まっていた。
やっぱりみんな、嘘泣きや、心無い事を言う。
中には、呪われているとひそひそ話をしている人もいた。
僕以外の親族は、式の間も泣いていた。
僕は、どうすることもできなかった。
また一つ、大切なものを失った。
僕のせいだ。
僕は母親を守れなかった。
僕は母親を殺した。
僕のせいで母親は…。
自分が代わりに死んでいれば…。
“ナラ、シネヨ。”
まただ、またあの声。
“シニタイ ン ダロ、ツグナイタインダロ”
“オマエガコロシタ、タイセツナモノハ、モウニドトモドッテコナイ ”
「うるさい…」
“マモレナカッタ、マタ ヒトツ、タイセツナモノヲウシナッタ”
「やめろ…」
自分さえいなければ…。
“カアイソウ、カアイソウ”
「もうやめろよ!」
僕は思わず叫んだ。
これ以上、この感情を抑えきれなかった。
僕の声は式場全体に響きわたり、みんなが一斉にこちらを見る。
僕は沈黙の空気に耐えられなくなり、その場から逃げ出した。
雨が降る中、
疲れと後悔を胸に傘もささずに住宅街を歩く。
この後はどうしようか。
そうだ、このまま死のう。
どうやって死ぬ?
そうこう色々考えていると、反対方向から見覚えのある姿がむかってくる。
泉優、前の学校で僕を虐めていた奴らのリーダー。
どうしてこんなところに…。
あの頃のいじめっ子達に周りを囲まれる。
「久しぶりだね、咲月君。
いや、ほんとに久しぶりだよ」
「…」
「虐めてもみんな直ぐに泣いちゃってさ、つまらなくて退屈してたんだよ。
ほら、君っていくら殴っても大人しいじゃん」
そう言って泉は、僕の胸ぐらを掴み頬を殴る。
殴り飛ばされた僕は、そのまま地面に倒れる。
その後ろでは、いじめた奴らがゲラゲラと笑っている。
ああそうか、これが償いなのか。
またこいつらにやられるのか。
まぁ、いっか。
「ねえ、なんで反撃して来ないの!?
やってみろよ!悔しいんなら 逆らってみろよ!」
暴力はヒートアップし、繰り返し蹴られ、踏みつけられる。
みんなも真似して蹴ってくる。
僕を蹴るみんなの顔は、まるで宝物を見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。
“ニクイ、ウザイ、クヤシイ、ユルセナイ“
ああ、まただ。
また頭の中で叫んでいる。
“コロセ、コロセ”
視界が真っ暗になる。
体が動かない。
もうダメなのか、僕はここで死ぬのか。
“コロサレルマエニ コロセ、コロセ、コロセ、コロセ…”
…
その先はよく覚えていない。
気がつけば、さっきまで暴力を振るっていた奴らが血を流し、倒れていた。
そして僕の左手には、彼らの血で染まったハサミが握ってあった。
僕のこのやり方は、
あまりに幼稚で、あまりに古典的で、
実にしょうもなく。
しかしそれは、今目の前の固形物を恐怖させ、無惨にこの虫けら以下の存在を潰すのには充分だった。
けどそれは、世間にとってはあまりに衝撃的で、非道で、残虐的行為なのであった。
全く、何が残酷だ 、これのどこが非道なんだ?
それでこいつらが可哀想だと?
ふざけるな。
こいつらは自業自得。
哀れんでやる必要も無い。
事実、これ以上に非人道的で非道徳的なものなどこの世にいくらでもある。
そしてこいつらは僕に対してそうした。
いや、もはや集団でしかものを言えない。
また、自分よりも弱い人間にしか手が出せない可哀想な奴か。
愚か者、弱者。
それは、今の君らにふさわしい名だ。
皮肉なものだな。
因果応報とはまさにこの事か。
もう、聞こえてはいないか。
「お願いします、何でもしますから!
見逃してください!お願い!
殺さないで!殺さないでよ!
違う、私じゃない!
私は何もしてないじゃない!!」
と、残った女子が足をすくって動けないのか、
血に濡れたコンクリートに、尻もちをつきながら必死でこうべを垂れて言い訳をする。
僕は、ブルブルと涙を流し、怯える彼女の方へ首を向け、不敵に笑みを浮かべながらこう呟く。
「ほらな、やっぱり弱いじゃん、いじめっ子って、一人じゃ何も出来ない…」
コイツらは、集団になって自分より弱い者を傷つける事でしか存在意義を見いだせない可哀想な奴らなんだ。
そしてこうやって都合が悪くなり、立場が逆転すると手のひらを返す。
ごめんなさいって、以前の僕が同じ事言ってもやめてくれなかったじゃんか。
因果応報、これはコイツらにとって当然の報いだ。
…………………………………………
僕は、誰もいない場所で叫び続けた。
真っ赤な手のひらを見下ろしながら、
まるで幼い子供が、駄々をこねる時のように、
長い間泣き叫んだ。
僕はまた、失敗した。
僕はまた、他人を傷つけた。
僕はまた、居場所を捨てた。
僕は…僕は…僕は……
「なんで、なんで、
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!
なんでみんな僕を否定するんだ!!
なんでみんな僕を笑うんだ!!
なんでみんな僕を虐めるんだ!!!
なんでみんな僕を除け者にするんだ!!!
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!!
全部僕が悪いのか!?
僕がみんなを傷つけてるのか!?
僕がみんなを困らせるのか!?
僕が居なければ、僕が存在しなければ、
みんな幸せだったのかよ!!!?
なんで…みんな……」
「失敗したのは誰のせい?」
違う...
「そろそろ認めようか?」
違う、違う、違う、違う、違う!
「君が今ココにいるのは?」
うるさい、うるさい、うるさい!
「君は弱い」
ふざけんな!偽善者のお前に何が解る!?
僕の事、何も知らないくせに!
「わかるよ、だって私は……」
僕はただ、当たり前が欲しかった。
僕はただ、愛されたかった。
満たされたかっただけなんだょ...。
否定されてばかりの人生は、もう要らない。
「理想は理想でしかない。
そう言ったのは、君自身じゃないか」
でも現実は……。
「君の願いは?」
消えたい。
何も知らない間に、消えてなくなりたい。
ある日突然、隕石が降ってきて、
みんなと一緒に終わるんだ。
そうすれば、誰の記憶にも残らず、
神様だって怒らないでしょ?
自殺行為は冒涜だから。
それはとても勇気のいる事だから。
僕はね、死ぬ為の免罪符が欲しいんだ。
事故でもいい。
もう、僕を演じるのは疲れたよ。
世界が嫌いだ。
周りが嫌いだ。
自分が嫌いだ。
だから僕は、死のうと思った。
周りは言う。
君は幸せであると。
世界には君より不幸な子供が五万といると。
人のせいにばかりして甘えているのは君自身であると。
それでも、僕にとって、
僕の生きる道程はあまりにも過酷すぎた。
顔を歪ませながら、幼い子供のように泣きじゃくる僕を慰める者はこの場にいない。
心を落ち着かせ、涙を拭いた。
気がつくと僕は、学校のビルの屋上の鉄格子に立っていた。
今度こそ死ねるだろうか?
終わらせることが出来るだろうか?
気がつけば、前にいた学校の屋上にいた。
雨は止み、空はベージュ色に染まっていた。
沈みゆく夕日がとても綺麗だった。
一歩前へ進めば、下校中の生徒達の頭上が見える。
僕にはもう、守るべきものも失うものもない。
「さよなら、世界」
「さよなら、自分」
そう言って僕は、夕日が見える屋上の鉄格子から飛び降りた。
二章:君の心を黒から白へ
目が覚めた。
俺は病室のベッドの上にいた。
俺はまた、死ねなかった。
どうして…。
目の前にある鏡には、確かな自分の存在があった。
俺は絶望のあまり言葉を失った。
俺は大切なものを傷つけた。
たくさんたくさん失った。
俺のせいで、俺と関わってしまったせいで、
みんな俺の前からいなくなったんだ。
そう思った。
理由はなんでもよかった。
自分が望んだ形で、
気持ちよく死ねればそれでよかったんだ。
だから自分を殺そうとした。
首吊り、刃物、入水、
色々な方法を使って、
何度も何度も殺そうとした。
けれどダメだった。
だからあの日、あの場所から飛び降りた。
死ねたと思った。
これで終わったと思った。
結局、ダメだった。
死ねなかった。
死なせてはくれなかった。
コンコン。
一人で後悔に浸っていると、突然 病室の扉が開いた。
そこには、看護師らしき女の人が立っていた。
看護服の胸ポケットに付いている名札には、
佐藤と書かれている。
この人が俺の看護をしてくれたのか。
「はじめまして、私は“佐藤美由希(みゆき)”です。
今日からあなたのお世話をする担当看護師よ、よろしくね。」
「そうだ、今丁度あなたに会わせたい人が…」
ガラガラ。
「初めまして。今日からあなたの秘書になる、
“夏目ゆかり”と申します」
秘書?俺の?
どういう事だ?
突然の話に、頭の整理が追いつかない。
「あなたの事は、お祖母様から全て聞いています。生まれて間もない頃に母親を亡くし、孤児になったあなたを伯母が引き取った…」
一体この人は、どこまで知っているんだ?
会ったこともないし、それどころか、
自分以外知らない事実を淡々と話している。
「さぞ辛い思いをしたのでしょう」
「ですが、あなたにはこれからやらなければならない事があります」
話をまとめると、俺は黒澤財閥の跡継ぎであると共に、
死神の力を持つ存在で、世界を救う義務がある。
それにしても、今思えば俺はそんな凄い家系だったのか。
「俺が死神だと!?」
「死神が何なのかは、
説明せずとも貴方自身が一番よく理解しているはずです」
そう言えば、この病院の名前も黒澤だっけ?
今までずっと自分とは無縁のものだと思っていたから 、少し驚きだ。
ゆかりが言うには、死神の力とこれからやるべき事を知る為に、
まずは黒澤家の豪邸に行かなければならないらしい。
俺は早速リムジンに乗り、豪邸へと向った。
豪邸に着くと、祖母が出迎えてくれた。
「初めまして、私は黒澤詩織(しおり) 、あなたの祖母です」
目の前にいる浴衣姿の女性は、俺の祖母らしい。
それにしても美人でとても若々しく見える。
「お互いに初めましてだったかしら?
まぁ、家出娘の子なんて興味無いのだけど…」
そう言われながら、オシャレな個室に案内された。
「あなたの母親である玲香は、
かつて死神として、
そしてその力が今のあなたに受け継がれている
フェイカー、それがあなたのコード名よ」
コード名?
何のことか、さっぱり分からない。
「フェイカー、俺が偽物の存在…?」
偽物という事は、他に本当の俺自身がいるって事か。
「死神の力って何?」
「知っての通り、あなたは一度死んでいる。
死神の力は、とても危険な力。
一歩間違えたら…もう分かるわね」
暴走して、周りを傷つけるという事か?
やはり俺は死んだのか。
だとしたらどうしてみんなに見えるんだ?
それに、死神の力って…
まるで、アニメや漫画の世界みたいだ。
現実味がない話だが、
まさか、今日初めて会っ祖母から、
厨二くさい台詞を聴くとは思わなかった。
それに、俺の後ろにいる秘書も、
真剣な表情で祖母の話を聞いている。
「はいこれ」
「これは?」
「あなたの肉親、玲香があなた宛に遺した物よ」
「創作ノート?」
祖母が、先程から手に持っていた赤色のノートを俺に見せた。
革製の表紙には、油性ペンで“創作ノート”と、
綺麗な文字で書かれている。
「じゃ、俺のやるべき事って?」
俺がやるべき事、それは三つある。
その壱、実の母親を探す。
祖母から渡された母親の遺品である赤色の創作ノート。
それを頼りに、黒澤玲香と再会するのが、
今回最も重要なこと。
俺自身も、母親に会って聞きたい事がある。
なぜ、自分を捨てたのか?
なぜ、このノートを自分に託したのか?
人から言われなくても、
探し出して直接聞き出すつもりだった。
その弐、にゃいにゃいを見つける。
にゃいにゃいは、創作ノートにも書いてある通り、白い猫の姿をした小さい生き物。
彼は、母親が書いた小説の登場人物の一人であり、この計画における重要な鍵となる。
それが、俺の居るこの世界に現れたとあれば、
ほっておく訳にはいかない。
その参、イデアの破壊を阻止する。
イデア世界の創造主である玲香が死んだ事で、軸が歪んだイデア世界 。
このまま行くと、イデア世界は混乱と災害、争いで自滅してしまう。
そしてそれが現実世界へ多大な被害を及ぼす危険性がある。
イデアを破壊する条件として、玲香を倒さなければならない。
「もしも俺が死んだら?」
「大丈夫よ。さっきも言ったように、
あなたは既に死んでいる。
イデアが壊れたりしない限り、
それ以上死んだりすることはないわ。
それと、あなたの中にいる獣には十分気をつけなさいね」
「クロの事か?」
クロは、俺の中で眠っているもう一人の自分のような存在。
以前、いじめっ子達を滅多刺しにしたのもこいつ。
隙を見せたら、直ぐこいつに支配されてしまう。
こいつのせいで、今度は大事な人が傷つくかもしれない。
普段から気をつけてはいるが、
クロよりも優位なこの状態が、
いつまで続くか分からない。
「今日の話はこれで終わり」
「最後にこれだけは言っておくわ。決して、あなたは一人じゃない」
外へ出ると、ゆかりが玄関前でリムジンを止めて待っていた。
辺りは既に真っ暗で、寝静まっている。
最後に言われた 一人じゃないって、いったいどういう事なのだろう。
翌日から俺は、精神科医として、この病院に住み込みで働く事になった。
そして今日は、学校へ行く日。
あの日に一度死んで以来、久々の登校だ。
外へ出ると、ゆかりさんが 駐車場にリムジンを止めて待っていた。
「あの、なんでリムジン何ですか?」
「これが私の仕事なので」
ゆかりは、相変わらず無愛想だ。
人の事は言えないけど。
恐る恐る、教室へ入る。
教室の雰囲気も、いつも通りだ。
「おはよう咲月君」
自分の席に着くと、隣の席の“合田ひな”が声をかけてきた。
どうやら、俺が自殺したことは誰にも知られてないようだ。
「おはよう」
俺も、怪しまれないように普段通りに挨拶を返す。
「最近、学校来てなかったけど何かあった?」
「え、いや何でもないよ」
「そっか、よかった」
俺は、心配されていたのか。
それにしても、席が隣同士とはいえ、
ひなとはあまり話したこと無かったっけ。
ここ数日は色々あったから、どう過ごしていたのかあまり覚えていない。
「そう言えば、お姉さんは休みなの?」
「いや、今日は風邪で休んでるよ」
俺は、また嘘をついた。
そうか、まだ学校には知らされていないのか?
何れにせよ、自分の口からは言えない事だ。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴る。
先生が入って来ると同時に朝の挨拶をし、
朝の会が始まる。
三章:大人になれなかった子供たちへ
この病院で入院中の小児患者の飛鳥は、
担当医を探す為に昼間の病院の屋上へと向かった。
この前廊下でぶつかった男が鉄格子の上に座り、
イヤホンで音楽を聴きながらノートに何かを書いていた。
「あなたは誰?
お兄ちゃんちゃんの知り合いなの?」
「もしかして、敵…」
飛鳥が恐る恐る男に近づく。
男は書いていたノートを閉じて、鉄格子から降りて、
明日香に近づくと、ペロちゃん飴を明日香に渡した。
飛鳥が後ろを振り向くと、男は消えていた。
「咲月お兄ちゃん!さっきね、白い服のお兄ちゃんからキャンディもらった!」
「え…」
白い服の男。
一瞬、飛鳥の言葉に何かを察したが、
やっぱり気のせいだと思った。
すると突然、電話でクロに攫われたことを伝えられる。
居場所は、ここから少し離れた廃工場。
直ぐ様、助けに行く準備をする。
バイクを出すようゆかりに連絡する 。
「待ってお兄ちゃん!私も行く!ひなちゃんは私達の友達だから!」
「いや、やっぱり待ってろ」
「いや!私も行く!お願い!助けたいの!」
「それでも…ダメなんだ」
あすかをおいてバイクのある車庫に向かう
バイクにまたがる
ゆかりがあすかをこっそりバイクの後に乗せる
「しーっ」
そのまま全速力で発進する。
キーの能力を使ってひなの居場所を探りながら向かう。
廃工場の前に着く。
中へ入るとクロがいる。
「ひなはどこだ」
「さあな、確かめてみるか?」
「貴様…」
「“死神”」
クロの一言で、廃工場が白い空間へと変わる。
クロの後ろで鎖に絡まれ気を失っているひなを発見する。
「クロ…お前は一体何者なんだ!?」
「勘違いするなよ
これは、俺という本音と、
お前という建前の戦いだ」
「くっ…」
「ここは、お前の頭の中だ。
この空間は…」
「そんな事はどうだっていい。
ひなを返せ!」
「やれるもんならやってみな。
さぁ、決着を」
クロに攻撃を仕掛け、戦闘が始まる。
両手にハサミとハンドガンを構え、クロに向かって突撃。
「俺はお前を倒して、ひなを救う!」
「はぁ?何を今更?
事実、あの日お前は守れなかったじゃないか!!」
後ろに回り込み、反転しながら背中を切り刻む。
「義父に殺される母を見てお前はどうした!?」
「トラックに撥ねられ死んだ幼い少女を見てお前はどうした!?」
「っ…」
「何もしなかったよな!」
「いや、何もできなかった訳じゃない、
あの時も、あの時も、助けようと思えば助けられたんだ!!
なのにお前は逃げた!!今更そんなお前に一体何が出来る!」
「そんな大層な事を言えた義理かよ!」
「ガハッ!」
腹部にパンチを喰らい、そのまま地面に叩き付けられる。
ダメージを受け、女体化する。
「もう、終わりか…」
身体が動かない。
クロが硝子でてきた刃を地面に引きずりながら、俺に一歩一歩近づいてくる。
もう、ダメかもしれない…
「まあ、いいか」
バケモノを見た、バケモノを見た、俺はバケモノを見た、
その姿は、あの頃に見たバケモノと似ていた。
クロにまるで歯が立たない。
あぁ、このまま俺は死ぬのか…
また、大切なものを守れないのか…
“逃げるな”
心の声が聞こえる。
「そんなん言われたって、どうすれば…」
“願え”
「…」
“お前はどうしたい?”
「俺は、助けたい…アイツを倒して、ひなを助けたい!」
真っ暗な視界に光がさす。
金髪ロングの白ワンピースを着た幼女の姿。
背中には小さな天使の翼。
左腕には、バイオリンの弦がある。
全身からありえない程の力が溢れ出る。
俺は一度深呼吸する。
一歩前に進んで、反撃開始。
クロの顔面を強く壁に打ち付ける。
「ウア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!貴様ー!!」
クロの身体がバケモノへと豹変し、暴走し始めた。
‘’White Revolution(ホワイトレボリューション)”
必殺技でクロの腹部にパンチを喰らわせ、
やっとの思いでクロを倒す。
「分かってるよ、お前は絶対俺を倒せるって…」
「俺は、普通でありたかった。ただ、それだけなんだ…」
「俺に足りなかったのは、弱い自分を認める事だ、
お前は俺で、俺がお前だ、偽物なんかじゃない
お前も、俺自身なんだよ」
「俺は…お前…?いい…のか…?」
「あぁ…」
クロを纏う闇が溶け、やがて光に消えていった。
…………………
夏祭りの日
みんなで女物の浴衣を着て、神社へと向かう。
「ってなんで俺までこんな格好しなくちゃいけないんだよ!」
もちろん、クロも一緒。
「咲月君、可愛い」
「まぁ、いいじゃない」
「クロお兄ちゃんも似合ってるよ」
「うっせー」
それから俺らは、
屋台を回り、丘の方で花火を満喫し、今日一日を過ごした。
次の日の夕方。
今日は、母と従姉の命日。
一人で墓参りに行く。
「守れなくて、ごめん…」
お線香を焚き、墓石に水をかける。
両手を合わせ、二回叩く。
昔住んでたボロアパートの前。
あれから二年も経っているが、
事故物件というのもあって、前よりも崩れている。
有刺鉄線を跨いで、中へと入る。
部屋も相変わらずあの日のままで、何も変わっていない。
「懐かしいな」
勉強机の下にボロボロのキャンバスを見つける。
描いては消して、描いては消してを繰り返していたら
いつの間にかボロボロになってしまった。
キャンバスの中を開くと、人間だった頃に描いた。
暗いイラストが詰まっていて、
あまりの下手さに恥ずかしくなった。
台所の方に行くと、テーブルの上に一枚の手紙が置いてあった。
“咲月へ、
今まで辛い思いをさせてごめんね。
構ってあげられなくてごめんね。
本当はもっと一緒に居たかったけれど、
この手紙を見る頃には、私はこの世にいないと思う。
私が居なくても、いい子でね。
辛いからって、ほかの人を傷つけたりしちゃダメよ?
お姉ちゃんと仲良く、幸せに生きて下さい。
母より。
…
PS
鍋にカレーのルーがあるから、温めて食べてね。”
「って、腐ってるし」
「何だ、結局俺は愛されていたんだな。幸せ、だったんだな」
ガスコンロの上には、腐ったカレーのルーの入った大きな鍋が置いてある。
「まあ、腐ってても、死んでるから食べられるんだけど…」
一応、腐ったカレーの時間を戻してお皿に盛り付ける。
「いただきます」
両手を合わせ、カレーを食べ始める。
あの頃を思い返しながら、カレーを口元に運ぶ。
食べる度、目から涙が溢れ出る。
「ごちそうさま」
完食して、丁寧に食器を洗い、台所を後にする。
玄関に立てかけてあった家族写真を持ち、最後に別れを告げて、
俺は、このアパートを出た。
END