風で飛ばされて来たのだろうか、窓辺に付着した一枚の花びらを見て、ぼくは春を知った。
病院のベッドの上でいったいどのぐらいの時間が経ったのかはもう分からないけど、ぼくはずっと横になったままだった。目は開けられる。見ることもできる。考えることも、痛みを感じることも、涙は出ないけど悲しくなることだって――。それ以外はなにもできない。できないだけでやりたいことはたくさんあるし、できないことがないぐらいなんでもできていた頃の感覚だけは忘れないで残っているのに。
なぜこうなったのかは覚えていない。母がたまに来て涙を見せるときの独り言からきっと事故でこうなったことは予測できた。でもそれを知ったところで現状はなにも変わらないことをぼくは知っているから、あまり深くは考えないようにしている。
なにもない一日。時間だけが過ぎていく。それが毎日続く。下手したら一生。
誰かの世話がないとぼくはすぐに死んでしまうし、自分の意志を伝えられる手段は限られているからいつしかあまり期待をしなくなった。それでも季節は過ぎていく。春になれば外では桜が咲いているのだろうと想像はできる。その想像の中に自分の姿がどうしても思い浮かばなくて、楽しそうな声から耳を塞いで遮断することもできず、それはいつまでも苦しかった。それでも。
ある日、母がぼくの眼球の動きからコミュニケーションが取れる器具を導入してくれると言ってから、母の髪型が何回変わったのか分からないぐらいの時間が過ぎた。それでも。
いつの間にかお腹の大きくなった母は、いつの間にかまたお腹がへこんで、面会の回数が減ったと思ったらその唇の奥からかすかな「さくら」という単語が出てきた瞬間、ぼくはそれが妹の名前だと知った。それでも。
夜、風の音で目を覚ます。ぼんやりとした暗闇が広がる部屋に、ぼくの悲しいほど小さな呼吸音がかすかに聞こえる。その揺らぎは風に負け、一瞬で消えていくのにも関わらず、ぼくの心を小さく打った。
桜は散る。人だっていつかは死ぬ。それでもいまこうして生きているということは、なにかしらの伏線なのかもしれない。それが例え後ろ向きだとしても。
散れ、桜。また来年、お前の花びらを眺めながら、きっとぼくは涙を流すだろうから。
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