ショートショート「コールド・スリープ・スリーピング」(第19回坊っちゃん文学賞落選)


有原野分2023/02/11 08:08
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※2022年6月の作品です。 (第19回坊っちゃん文学賞に応募して落選した作品です) 読んでいただけると幸いです。 いいね、スキ、フォロー、シェア、コメント、サポート、支援などしていただけるととても嬉しいです。 これからも応援よろしくお願いします。 あなたの人生の 貴重な時間をどうもありがとう。

ショートショート「コールド・スリープ・スリーピング」(第19回坊っちゃん文学賞落選)

 ――目が、覚め、ました、か……。

 それは遠くから聞こえるのに、耳のすぐ横でしゃべっているような声だった。

 ――目が……。

 不思議な感覚だった。壁の向こう側から声は聞こえるのに、すぐそばに誰かが囁いているような、そんな感覚。

 そこで思う。

 あ、私、目が覚めてる。

「おはようございます」

 機械的な声――。

 ああ、だからか、とわたしは思いながら、目を開けようとしたがまぶたの動かし方を忘れてしまっているのか、しばらくそのまま金縛りのように動けなかった。

 だから考える。

 今はいったい西暦何年なのだろうか、と。

「約千年後ですよ。あなたが眠りについてから」

 千年――。

 その数字よりも、思考が漏れているという方に驚いたが、そうか、千年……、もっと大げさに驚くのかと思っていたのに、当初予定していた起床時間よりも大幅に遅れていたせいか、わたしの心は奇妙なほど落ち着いていた。

「ここは旧日本の東京だった場所です――」

 端的な説明だった。

 千年の間に起きた出来事、――つまり災害、紛争、科学と人類の現時点での文化水準、宗教、哲学、政治、生活様式、価値観などを教わりながら、わたしは少しずつ起き上がって頭の中を整理し、これからの生活に備えていった。

 そして新しい人生はダラダラと昼寝をするときのようにヌルっとはじまった。

 まず分かったことは、ここには人間らしい人間はいないということだ。ここにいる人間は、いや、この世界にいたはずの人間はみなアンドロイド化しており、その肉体のほとんどを機械に置き換えていた。

 だからここのコロニーで純粋な人間の肉体を持っているのは長い間眠っていたわたしぐらいで、それでも寂しいという感情はなかったけれど、ふとしたときに心のどこかで誰かを探す自分も確かにいた。

「もうここにはいませんよ」

 分かってるよ、そんなことは。

 わたしの家族はきっと千年前に死んでいる。そして、わたしの知っている人間も何百年か前に姿を消したんだ。

 そのことは眠りにつく前から予測していた。だからわたしはそのことに対して絶対に泣くんだろうなとなんとなく思っていた。

 でも、わたしはなぜだか泣かなかった。

 代り映えのない日々のせいかもしれない。まだこの世界を現実だととらえきれていないからかもしれない。わたしは毎晩眠るとき、いつも考える。つぎ目が覚めたときはもしかしたら、懐かしい家族の声が聞こえるんじゃないかって。

 そして目を覚ます。

 無機質な声に起こされて。

 ここはあまりにも青空がまぶしすぎた。

 あまりにもきれいすぎた。

 あまりにも完璧すぎた。

 まるでなにもないみたいに。

 アンドロイドは思考を読む。わたしの思考は、ただの電気信号なのだろか。

 ふと思った。どうしてわたしは泣けないのだろうか。

 ある日散歩していると、目の前のアンドロイドがなにか不思議な半透明の筒状のものを大切そうに持っていた。そういえば、とわたしは考える。

「これですか」

 アンドロイドは手に持っていたそれをなでるように言った。

「これはあなたの心です」

 そこにはなにも入っていなかった。

 いや、もしかしたらわたしには見えないのかもしれない。

 ――心。

 わたしは心を奪われたのだろうか。

「この世界では心は貴重なのです。ですのでなくさないようにこうやって取り出して保存しておくのが一般的なのです」

 そう言いながらそのアンドロイドは筒の上部にあるボタンの一つを押した。プシュッと小さな音とともに筒の中に白いガスが発生し、その中に透明で丸いものが浮かんでいた。それはキラキラと光っており、太陽のようにあたたかく、月のように凛として、ダイヤモンドのように輝いていた。

「いえ、いけません。これはあなたの心でもあるのですが、わたしたちのものでもあるのです」

 どうやらこの世界では誰かの心は共通の財産らしい。それをなにに使うのかは分からなかったけど、とにかく彼らにとってはとても大切なものなんだということは理解できた。

 彼らには生きていくうえで誰かの心が必要なのだ。

 とても悲しい生き物だと思った。

 それでも――、いや、だからか。

 悲しみに襲われないのは、きっとわたしに心がないからだろう。

 ある意味、それは楽だった。

 生きること。

 それだけでよかったから。

 空を見上げる。青い空が一面に広がっている。正午の鐘がなる。西から雲が流れてくる。今日は何月の何日だっただろうか。雨の日だったかもしれない。わたしは傘を広げておく。雨が降ってくる。予報通り。まったく完璧な未来予測。遠くから声が聞こえてくる。機械音の入り混じった、それはわたしには出せない無機質な声だ。

 ふと、下を見る。

 雨が染み込んでいく虫一匹いない大地に、わたしはなにか感じるものがあった。

 あっ。

 塗装の下になにかが彫ってある。わたしはなにも考えないように塗装を少しずつ足で剥いでいく。それは小さな矢印だった。横には汚い文字でこう書かれていた。

 

   Human

     →

 

 矢印を追っていく。突き当り。また足元を見ると矢印。その繰り返し。

 気がついたら大きな壁の前に立っていた。わたしはその先に行くことができない。そこはよくある立ち入り禁止地区。ここから先に行くには……。

 あれ、別にいいんじゃない?

「別に構いませんよ」

 アンドロイドは淡々と言った。

「この世界に不自由などありません。しかし、一度向こう側に行くと二度とこちら側には――」

 帰ってこられない上に、あっちには整った法もインフラも文化も社会保障なども一切ないとのこと。

 そもそも、向こうにはなにがあるのだろうか。

「人間がいるのです」

 戦争――。

 いつの時代だって人間は同じ過ちを繰り返す。まるで映画のようにわたしはその話を聞いていた。向こうにいるのは人間。昔と変わらない低俗で貪欲で不自由な。

 ようするにそこは千年後のスラムだった。

「いえ、少し違います。彼らは自らの意志でそこにいるのです」

 人として死ぬか、機械として生き続けるか。

 割とどうでもいい選択だと思った。

 ただ、わたしはふとしたときに思い出すのだ。千年前に確かに存在したはずの家族の情景を――。

 空を見上げると不自然な青が世界を深く深く染めていた。

「そうですか、では――」

 わたしは最後に筒状に入った心を触らせてもらうことにした。きっと心を返して欲しいと願えば返してくれるのだろう。でも、わたしはそれをしなかった。

 心なんてくれてやる。

 筒は思ったよりも重たくて、そして熱かった。

「お気をつけて……」

 わたしは歩き出す。

 手足の指がじんわりとあたたかくなっていく。

 なにもないはずの胸の奥が妙にくすぐったい。

 空が染み込んでいくような、そんなイメージを抱きながら、わたしは歩いた。

 暗いトンネルの中、壁の向こう側に。

 わたしはきっと見上げるだろう。

 本物の空を。

 その下で、誰かの笑い声が聞こえてくるかもしれない。

 ああ、なんだろうこれは。

 ――ドキドキする。

 そしてわたしはこの世界で、ようやく涙を流せる気がした。

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