本多 狼2020/08/29 20:41
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 メルはジンクのあとを追うように、長老の家へと向かうなだらかな坂道を登っていた。

 マリーの待つ家へ早く帰りたかったが、村に問題が起きたときは、一刻も早く長老の指示を仰がなければならない。

 

「メル、あのハヤブサ使いは只者じゃねえ。これから聞くことは、お前にとってつらい話になるかもしれねえ」

 ジンクは前を向いたままメルに告げた。

「だがな……どんなことがあろうと、俺はお前の味方だ――」

「うん」

 メルは、初めて人に向かって斧を構えたことを思い出しながら、頼もしい背中にうなずいた。

 

 メルたちが来ることを分かっていたかのように、長老は坂を登ってくる二人を外に出て待っていた。

 

「長老、ハヤブサを使う男に襲われた。急いで知りたいことがある。絆の民ってのは、なんだ?」

 ジンクは登ってきた疲れを感じさせず、一息に話した。

 立派なひげをたくわえた長老は、ジンクとメルを交互に見つめたあと、

「中に入りなさい」

と、いつもと変わらない様子で答えた。

 

 長老様の家に入ることはほとんどない。

 壁に飾られた見たこともない風景や、あちこちに刻まれた紋章を、興味深そうに眺めながら、メルはジンクに付いていった。

 やがて長老は、一番奥の部屋の扉を静かに開けた。

「ジンク、メル。そなたたちに起こったことを聞かせておくれ」

 

 長老は眉ひとつ動かすことなく、ジンクとメルの話を聞いていた。

 メルがオオカミと出会ったこと。メルがそのオオカミと会話できること。ハヤブサを使う男に襲われたこと……。

 そんな出来事のすべてを、長老は平然と受け止めていた。

 ジンクが「絆の民」という聞き慣れない言葉について尋ねようとしたときだった。

 

「メル!」

 部屋の入り口のほうを振り返ると、そこには、メルの育ての母であるマリーが立っていた。

 マリーはうっすらと涙を浮かべながら、メルに走り寄って、思いきり抱きしめた。

「無事で良かった……」

 マリーはメルの頭を何度もなでながら、そして、思い出したようにジンクを見て言った。

「ジンク、本当にありがとう」

 ジンクは照れくさそうに指先で頬をかいた。

 

「母さん、なんでここに?」

 頭をなでられるのが恥ずかしくて、顔を離しながらメルは尋ねた。

「二人が村に戻ったときに、わしに連絡してくれた者がおってな。それで、急いでマリーを呼んだのじゃよ。まぁ、あれだけ森がざわめいていたら、一人で守神さまへ向かったそなたに何かあったのでは、と気付くがのぉ」

 

 長老は、マリーに隣へ座るよう手招きした。

 先程までと違って、マリーは厳しい表情に変わっている。

 あれは、家で説教するときの顔だ。

 大事な話が始まる。

 メルは、そう思った。

 

「絆の民、男はそう言ったのじゃな?」

 長老は、低い声でジンクに確認した。

「あぁ、確かにメルに向かってそう言った。長老、絆の民ってのは、一体……」

 

 意外にも、話し始めたのは長老ではなくマリーのほうだった。

 その目から、メルは今までに見たことのないマリーの覚悟を感じ取った。

 

「メル、あなたは私の大事な息子よ。でも、あなたに話しておいたように、私は本当の母親じゃない。あなたは……絆の民なの」

 

 よく分からない、という顔をしているメルに向かってマリーは続ける。

「ここから西へ向かった先に、コルリスという大きな街があるの。そこで私は、あなたのお父さんとお母さんに出会った。まだ一歳だったあなたを連れ去ろうとする人たちがいたの……二人は、小さなあなたを逃がすために、たまたま居合わせたなんの関係もない私に、大切な息子を預けた……」

 

 メルもジンクも、ただ黙って聞いていた。

 マリーは嘘をつくような人ではない。

 それを知っているからこそ、今まで知らなかった過去は重かった。

 

「二人と話す時間は、ほとんどなかった。あなたを連れ去ろうとする人たちに、私のことを知られてはいけないから。二人の名前も知らないの……私にまで危険が及ばないようにと、必死だったわ。『私たち絆の民の、大事な息子をどうかお願いします』と言って、二人は消えていったの」

 

 メルを優しく見つめながら、長老が話を続ける。

「絆の民が具体的にどんな者たちなのかは、マリーもわしも分からんままじゃ。マリーの身の安全も考えてくれた二人のことを思うと、下手に調べないほうが平和に過ごせる、そう判断して暮らしてきたからの。しかし、今日の出来事から思うに……動物と心を通わせられる力があるのやもしれんな。そなたは昔から、なぜか動物に好かれとった」

「確かに……メルが羊の番をすると、あいつら素直に言うこと聞いてたなぁ。いつだったか、原っぱで一緒に昼寝してたら、メルにだけ小鳥がたくさん集まってきたこともあったな」

 ジンクが納得顔でうなずく。

 

「いつか、この日が来ると思っていたわ。よく聞いて、メル。あなたは、私の大切な息子よ。でも、あなたには真実を知る権利がある。そのために……西へ向かいなさい」

「母さん……」