Chapter 25 - いつの日かまた、パドックで 3
「僕はね……ねえさんが『今だけ』って言った時……僕がねえさんに本気にならないように、そう言ったんだって思ってたんです。ねえさんは僕のことなんか好きでもなんでもないんだって……そばにいてくれれば誰でも良かったんだって思って、すごくショックだったんです」
「……そうなん?」
ねえさんはキョトンとしている。
なんだか勘違いしているみたいだし、この際だから僕の気持ちをハッキリ伝えた方がいい。
「そうですよ、僕はずっと本気ですから。ねえさん、僕は……初めて会った時からずっと、ねえさんが好きです」
「えっ、そうやったん?!」
ねえさんって、もしかしてものすごく鈍い人なんだろうか?
本気で驚いているみたいだ。
「僕はねえさんとお互いを名前で呼び合って、次に会う約束をして、一緒に誕生日をお祝いして、日曜日の競馬場以外でも会える関係になりたいです」
「うん……それなんやけど……」
「……ダメですか?」
もしかして、恋人として付き合うのは無理だと言われるのか?
ありったけの勇気を振り絞って、人生で初めて告白したのに……。
「そうやなくて……。あのさ……アタシを、アンチャンとおんなじ苗字にしてくれる?」
「……はい?」
「そんで、一緒に住むってどうやろう?」
ねえさんが僕と同じ苗字になって、一緒に暮らす……?
それってもしかして……養子縁組?
いやいや、そんなわけないだろ!
いろいろ飛び越えて、いきなり結婚?!
ねえさんが初彼女ならぬお嫁さんになるのか?
「ちなみにな……一緒に暮らす予定の子がおるんやけど……」
「えっ?!ねえさん子どもがいるんですか?」
これまで子どもがいるようなそぶりはまったく見せなかったのに、まさかのシングルマザーだったとは!
僕なんかにいきなり父親がつとまるのか?
ねえさんからの突然のプロポーズとカミングアウトに驚き戸惑っていると、ねえさんは僕の手を取って、そっと自分のお腹に導いた。
「居てるねん。あん時の……アンチャンの子が、ここに」
「そうですか、あの時の…………ええっ?!」
ねえさんのお腹に、僕の……子ども?!
ねえさんが奥さんで、お母さんで、僕がお父さんになるのか?
あまりの急展開に僕の頭の中はグルグルと大暴走して、目を見開き口をポカンと開けて放心状態だ。
「……やっぱり無理やんな、急にこんなこと言うたって……。お腹の子が自分の子っていう証拠もないしって、思てんのやろ?」
ねえさんは少し悲しそうに、放心状態の僕の手を、ゆっくりと離した。
「ごめん。今の全部忘れて。もう会わへんし、アンチャンには迷惑かけへん。やっぱりこの子はアタシ一人で産んで育てるから」
うつむいたままそう言って、ねえさんは僕に背を向けて歩き出した。
僕は我に返り、慌ててねえさんを追いかける。
「待って、ねえさん!」
「アンチャンまだ若いもん、いきなりそんなん考えられへんよな。アタシの方がずっと歳上やろし、すぐオバチャンになる嫁なんかイヤやろ?」
「いやいやいや、そんなことまったく思ってませんから!!とりあえずちょっと待って!!」
いくら待ってと言っても歩くのをやめないねえさんの手を引き寄せて、思いきり抱きしめた。
「歳上だってなんだって関係ない!僕はねえさんが好きだって言ったでしょう?ねえさんこそ僕のことどう思ってるんですか?」
「子どものこと話して『堕ろしてくれ』言われるんが怖かったから、もう会わんとこうと思ってたけど……ホンマはずっと会いたかった。……アンチャンのこと、好きやから」
初めてねえさんの気持ちを聞けた。
ひとりで悩ませてしまったことが心苦しい。
もっと早く言ってくれたら、そんな思いはさせずに済んだのに。
だけど中絶を思い止まってくれて、本当に良かったと思う。
「堕ろせなんて言いませんよ!僕とねえさんの大事な子どもなのに、そんなこと言うわけないでしょう!ねえさんはこれから僕と同じ苗字になって、僕との子どもを産んで、ずっと一緒に暮らすんですよ?僕のことがイヤになったからやめるなんて、言わせませんからね?」
「絶対言わへん」
ねえさんは素直にうなずき、小さな子どもみたいに安心しきった顔をして笑った。
こんな無防備な笑顔を見たのは初めてだ。
その顔があまりにもかわいくて、僕の胸がキュッと甘い音をたてた。
「じゃあ……ちゃんと僕からプロポーズしたいんだけど……その前に、まずは名前から教えて下さい」
僕の腕の中で、ねえさんは顔を上げて、八重歯を覗かせてニコッと笑った。
久しぶりに見た、この笑顔。
ねえさんの笑顔、やっぱり好きだ。
「とりあえず立ち話もなんやから……アンチャンち、連れてってくれる?」
「いいですよ。あ、その前に……」
「ん?」
少し首をかしげたねえさんの唇に、優しく唇を重ねた。
「大事なことだから、もう一度言いますよ。僕はねえさんが大好きです」
「アタシも好き!」
ねえさんは嬉しそうに僕にしがみついた。
競馬場を出た僕たちは、しっかり手を繋いで駅に向かって歩く。
「近いうちに……二人でおじさんのお墓参りに行きましょう」
「うん。ちゃんと報告せんとな」
おじさんに最後に会った時、僕は頼まれた。
『ねえさんを幸せにして欲しい』と。
この先、ねえさんが失ってしまった記憶が戻るのか、それは誰にもわからない。
もしそんな日が来たら僕は、ずっとねえさんを大切に想い見守り続けたおじさんの気持ちを、ねえさんに話したいと思う。
おじさん。
そちらの世界にも、競馬場はあるのかな?
案外、亡くなった名馬たちのレースを楽しんでいたりして。
いつか僕らが天寿をまっとうしたら、また一緒に競馬を観て、ビールを飲みましょうね。
その時はまた、パドックで会いましょう。
─END─