Chapter 2 - 最終章 万年筆
お湯を入れて温めておいた、白い陶器のポットの蓋を開け、お湯を捨てた後、口についている金網に小さじ3杯程のダージリンを入れる。
熱いお湯をたっぷり注いで蓋をして、しばらく待つ。
これも同じようにしておいたカップのお湯を捨て静かに注ぐ。
部屋中に苦味のきいた、香ばしい香りが広がる。
カップはポットとお揃いで、この間デパートで買ってきたばかりのジノリである。
さゆりは慎重にレモンスライスと砂糖をのせ、お盆で運ぶ。
男の机の脇にそれらを置き、男の好みの量の砂糖とレモンスライスをカップに沈める。
自分のカップと両方をかき混ぜ、しずかに差し出して言った。
「どーぞ、先生・・・。」
男はダージリンとレモンの香りに顔を上げ、さゆりに向かって微笑んで言った。
「ありがとう、さゆりさん・・・」
卓也はうまそうに一口、紅茶を飲んだ。
身体全体に温もりが広がったような気がする。
机の上には原稿用紙と万年筆が乗っていた。
きれいな字でビッシリ書き込まれている。
卓也は今、高田と共同執筆という形をとって高田が編集長をつとめている女性向けの雑誌に週刊連載している。
前回行ったローマの旅行記である。
あれから高田から正式に原稿依頼があった。
もっとも、卓也の日記をベースに高田がユーモアを盛り込んでフィクションにしていた。
連載は大好評で、近く単行本にすると発表すると問い合せが殺到した。
雑誌もその人気に伴って、ぐんぐん部数を伸ばし、今ではちょっとした有名雑誌になりつつあった。
ローマ旅行から半年が過ぎようとしていた。
卓也は迷惑をかけたお詫びに病院と会社に挨拶に行ったが、上司は辞表を机の中にしまっていて休暇扱いになっていた。
卓也は自然に会社に戻れて、今も新薬の研究をしている。
高田にはしきりに小説家として自立する事を勧められているが、まだまだ自分に自信が持てないし、このまま両立出来るなら続けていきたいと思っている。
高田の方は終始ごきげんで、この間の電話でこう言っていた。
「もー、売れちゃって、売れちゃって・・・。社長賞はもらっちゃうし、特別ボーナスは出るしで、おまけに今度は本として売れれば、印税もガッポガッポ・・・・。自分の雑誌で大々的に宣伝するから、こりゃ売れるよぉ・・・。もー、卓ちゃん様さまだよ。ガッハッハッ・・・。
これで僕も広子たんに負けないくらいの指輪買ってあげられるかなーんと・・・。」
もう、絶好調なのであった。
さゆりは卓也の後ろにまわり、腕を首にまき抱きながら甘い吐息をかけて囁いている。
「ねー、楽しみね・・・結婚式。あと十日ないものね・・・。」
二人は翌週の日曜日に、広子達と合同結婚式を行なうのだ。
卓也がいつかいった教会に今、毎週日曜日に通っている。
勿論、ちゃんとしたクリスチャンの教会で、これからも通うつもりであった。
今はさゆりのマンションに住んでいるが、いずれは会社の中間ぐらいの所に引っ越すつもりである。
さゆりの両親には、あれからすぐ挨拶に行き、元々脳天気な親達は諸手を上げて賛成してくれた。
しかも、すぐ同棲することにも異存もしなかった。
さゆりは結婚したら会社を辞めることにし、つい昨日最後のツアーを終えて帰ってきたばかりである。
「広子さん達、来年には子供が欲しいから、今年は目一杯遊ぶんですって・・・。卓也さんのおかげで結構、副収入も増えたみたいで高田さん、はりきってたわ・・・。」
さゆりの甘い息が、くすぐったく耳に感じる。
卓也はさゆりを腕の中で回転させると、愛おしそうに抱きしめた。
男の愛撫に身をまかせた女は、両手を背中に回しながら幸せそうに囁きを続けていた。
「ウフ・・・それで・・・・ね・・・こんどはスペイン旅行じゃない、取材を兼ねた・・・。ビジネスシートだって・・・しかも、ただ・・・だから・・・ね・・・?
この間・・・・・す・・ごく・・・すてきなバッグ見つけたの・・・雑誌で・・・。それから・・・・それからぁ・・帽子も欲しいな・・・。あっ、あと・・・いや、ん・・・ああっ・・・だめ・・・しゃべれなくなっちゃう・・・。それ・・・から・・・ドレスも・・・フォーマルなの・・ほしい・・・な・・・・・。」
まったく、もう・・・勝手にして下さい。
でも女って奴は・・・かわいいものですな。
だから、男は天使の笑顔を見たくて一生懸命働く・・・。
まったく、男ってやつは・・・。
ええ、言いますまい・・・でも・・・その・・・。
《まっ・・・いいか。》
ローマでお買い物!(完)