Chapter 1 - 第二十章 ミニサッカー
女達が最後の買い物に頬をバラ色に染めて通りをかっぽする後ろで、高田と卓也はおとなしくついてゆく。
ちょうどスペイン広場からコンドッティ通りに入ろうとした時、数人のイタリア人に男達が呼び止められた。
女達が振り返ると、高田が困った顔でイタリア語をしゃべっている。
「どうしたの?」
広子が心細そうに訪ねた。
「いやー、先週、ここのバールでTVのサッカー見て盛り上がってた時・・・。この人達、あの時のバールマンと常連さんなのさ。
今日、ミニ・サッカ-があるからぜひ出てくれって、この前言われて、どうせもう会わないだろうと思って適当に返事しといたら今、つかまっちゃって・・・・・・。絶対出ろってきかないんだ・・・凄く大事な試合らしくって・・・・。今日の試合で勝った方が次のシーズンまでチャンピオン、でいばってられるんだとさ。」
高田の説明に、さゆりが頬を膨らませた。
「だから高田さんは調子が良過ぎるのよ。いつかバチがあたると思っていたわ。だめよ、私や卓・・・大西さんはまだ一週間ローマにいるけど・・・広子さんは今日が最後なのよ。なんでイタリアまで来て町内会サッカー、しなきゃいけないのよっ。」
今回ばかりは言い訳できないと小さくなって、高田は説教されている。
広子はくすくす笑いながら言った。
「あら、いいのよ、別に買い物なんていつでもできるし。それより草サッカーとはいえ、本場のサッカーを目の前で見られるなんて、おもしろいじゃない。思い出になるわよ。」
広子の援護を得て、急に高田は態度がでかくなった。
「そうでしょう・・・やっぱり広子たんはやさしいのよねー。いかが・・・さゆりさん?私達の愛は不滅なのよ・・・オーホホホ・・。」
さゆりは広子に裏切られた事もあって、頬をさらに膨らませた。
「そのオカマ言葉はやめなさいよ。この、変態中年っ・・・。だいいち試合に出るのは卓・・・大西さんでしょ。本当、迷惑よ・・・。」
「あーら、そんな事ないわよ・・・ねえ?タ、ク、ちゃん・・・・。」
調子に乗った高田は卓也の肩に肘を乗せて、頬を指差している。
「あ・・・あの・・・ねえ・・・。」
さゆりが腰に手をあてて不服そうにしていたが、卓也が優しく言った。
「ごめんよ、さゆりさん・・・。僕も久しぶりに身体を動かしたいし、
明日、何でも好きな物をプレゼントするから・・・応援してくれないか。」
さゆりは何も言えなかった。
ただ勝ち誇ったような高田の顔を見ると又ムラムラと腹がたってきて、思いきり足を踏んづけた。
「イ、イテー・・・何すんだよ・・・俺は客だぞぉ・・・。」
「ふん、何言ってるのよ。今日だけは大目に見たげるわ・・・・。ごめんなさいね、広子さん。せっかく楽しみにしていたのに、お買い物。」
バールマン達はしびれをきらしたのか、さゆりが言い終わらないうちに男達の手を引っ張っていった。
慌てて女二人もそのあとをついていき、広場で待っているマイクロバスに乗り込んだ。
バスは学校の校庭らしい所に入っていった。
バールマン達の説明を聞いて高田が通訳している。
「ユニホームとスパイクは余分なのがあるそうだ。大西君は大きいからイタリア人のがちょうど合うだろう。まー飛行機の時間は6時だし、ゆっくり間にあうよ。」
グラウンドでは地元の人達が軽くパスをまわしたりして、ウォーミングアップしていた。
素人とはいえ、さすが本場。
見事な球さばきである。
バスを降り立った卓也を見て、さゆりはジーンと感動していた。
青く縁取りをした白いシャツの胸には、ローマ文字の隣に黄色のヒョウを形どったエンブレムがついている。
ショートパンツとストッキングはイタリアンブルーで、ストッキングにも小さなマークが付いている。
がっしりとした胸と太い足は、若武者を思わせる雰囲気をもっていた。
他のイタリア人と比べても、何ら遜色が無い。
(ステキ・・・卓也さん・・・・・。)
さゆりが顔を赤らめたのを見逃すことなく、高田がつっこんだ。
「おやー大西君、随分かっこいいじゃない。ネエ、さゆりちゃん?」
「ええ・・・本当・・・カッコイイわ。」
さゆりは頬に手をあてながら素直に言った。
見事にはぐらかされた高田は広子の肩にすがりつき、なぐさめられている。
軽いウォーミングアップのあと、試合が始まった。
卓也はまだ出場せず、控えの選手のようであった。
「何だ、大西さん、出ないのか・・・。」
さゆりが残念そうに言った。
「いや、ここのミニサッカーは7人対7人でバスケットと同じで、何回も交代自由なんだ。だから最初はレギュラーでいって、助っ人の大西君もすぐ交代するのさ。」
やがて、レフリーの笛が鳴り試合が開始された。
なるほど通常のサッカーと違って球まわしがやけに早くて、あっという間に攻守が入れ代わる。
点も激しくやりとりされ、バスケットボールとサッカーのあいのこのような感じがする。
試合はシーソーゲームなのだが、少し卓也のチームが押されていた。
「あっ、大西さんが出るわよ。」
広子の声にさゆりは手をぎゅっと握り締め、大きな声を出した。
「がんばってー。」
卓也は笑顔で振り返り、手を振った。
「余裕あるじゃねえか、あいつ。」
高田がそう言い終わると同時に卓也にボールが渡り、走り出した。
しかし、すぐボールをとられ相手のパスがす早くまわりゴールをわられた。
これで「4対2」である。
負けている。
三人のため息と共に笛が鳴り、卓也達のキックオフで再開された。
又、卓也のところでボールを奪われ、危うく点を入れられそうになったが、かろうじてバーを越え、まぬがれた。
これ以上点をとられるとあぶない。
容赦のないブーイングと敵側のヤジがとぶ。
高田には意味がわかるらしくてイライラしている。
「何やってんだ、あいつ。しっかりしろよ。連中には元プロだって言ってあるんだから。」
「そんな事、言ったんですか。だから高田さんは・・・。」
さゆりに、かみつかれんばかりに言われた時、又、卓也がピンチをむかえていた。
ブーイングとヤジがさらに強くなってきた。
さゆりは、いてもたってもいられず、思わず叫んでしまった。
「いけー、卓也―!シュートきめたら、キスしてあげるー・・・・!」
天使の声が、卓也の耳に届く。
男は顔を上げ遠くの声の主を確かめると、ギュッと顔を引き締め、ゴールを見た。
卓也を敵のチームの選手が二人囲んでいた。
三人目が来ようとした瞬間、ヒール・・・かかと・・・で、ボールをフワリと浮かした。
ボールが背中から上にかけて敵の選手の頭上を飛び越える間に、目にも止まらぬ速さでターンをして、ボールの落ちぎわをスライディングしながら強烈なシュートを放った。
ボールはゴールの左端に、吸い込まれるようにしてネットを揺らした。
卓也のチームのベンチが歓声にわいた。
さゆりと広子は抱き合って喜んでいる。
高田はバールマンに思いきり背中を叩かれている。
それからは卓也の独壇場であった。
フェイントがおもしろいように決まる。
軽快なフットワークで、イタリアの大男達を次々と抜き去っていく。
強烈なシュートを放ったかと思うと、ノールックでふわりとボールを上げ、後ろから走り込んできた選手が絶妙なタイミングでヘディグシュートを決める。
卓也のチームのベンチは、お祭り騒ぎである。
卓也は殆どの時間をピッチ・・・グランド・・・に出ていた。
バールマン達はこの強力な日本の助っ人のサポーター三人に敬意を表して「ジャポーネ、ブラボー!」を連呼している。
さゆりは広子の手を握り締めながら、頬を紅潮させて見ていた。
何度も同じ言葉を呟いている。
「カ、カッコイイ・・・。」
やがて試合終了の笛が鳴り、卓也のチームは12対6と圧勝した。
卓也はチームメイトに肩車され、まるでパレードのようにピッチの中をまわっている。
さゆりは、うっとりとその光景を眺めていた。
相手チームの一人がバールマン達に向かって何か抗議している。
だが、何も悪いことではないのだ。
別に日本人を出場させてはいけないルールでもないし、元プロというのは真っ赤な嘘なのだが、草サッカーなのだし、何でもいいのだ。
わかっていることは、むこう一年間バールマン達はチャンピオンとして大きな顔をしていられる事だった。
バスを下りると、卓也達はもみくちゃにされながらバーマンの店に連れていかれ、ビールで乾杯をした。
さゆりもビールをおいしそうに飲み、うっとりと卓也を見た。
卓也もうれしそうである。
こんなに誇らしく思ったことは初めてであった。
この男を好きになってよかったと思った。
バールマン達はよほどうれしかったのであろう、卓也にユニホームを記念にくれた。
卓也は少し照れたふうにしていたが、うれしそうにイタリア語で礼を言った。
ツアー最後の日に最高の想い出ができて、高田も広子も笑みを浮かべている。
今日でツアーが終わる。
明日から、いや今夜から卓也と二人きりのローマである。
バールマン達の笑い声がいつ迄もさゆりの心に響いていた。
※※※※※※※※※※※※
卓也はさゆりを手伝いながら、一緒に空港へついてきた。
急いでいたのでユニホームの上にズボンをはき、上着は手に持っている。
何とか間に合って手続きも終わり、広子達は空港ロビーを去ろうとしていた。
高田は微笑みながら手を差し出し、さゆりに向かって真面目な顔で優しく丁寧に言った。
「色々、からったりして悪かったね、さゆりちゃん・・・・。君のおかげで最高の想い出ができたよ。君は最高のツアーコンダクターさ・・。
大西君はいい奴だよ、仲良くしてくれ・・・・。それと、日本に帰ったら俺達の結婚式に二人で来てくれ。いずれ連絡するよ。」
さゆりは頬を染めながら、高田の手をとった。
色々あったが、やはり優しい紳士だと思った。
広子と幸せになって欲しいと、心から願っている。
いずれ自分達も・・・と思い、少しポーッとなってしまった。
すると突然、握手していた高田の手が抜けた。
「キャーッ・・・・・!」
さゆりの大きな叫び声が、空港内に響き渡った。
ゴム製の手が、さゆりに握られたまま、高田の服の袖がブラリと垂れ下がっている。
そこから、本物の手がニョキッと出てきた。
周りの観光客達はどっとうけて、笑ったり拍手したりしている。
「たー、くぁー、だぁー、さーん・・・・・・。」
さゆりが真っ赤な顔で睨んでいる。
高田はあまりにうまくいき過ぎて、かえって戸惑いながら言った。
「ま、ま、ま・・・さゆりちゃん。そんな演歌歌手みたいにコブシきかさないで・・・。ジョーク、ジョーク・・・ほんの冗談ですよ・・・。
ほ、ほら・・・好きな子には意地悪したくなるっていうじゃない?」
(こ、このクソオヤジー、ちょっと油断すると、すぐこれだわ・・。)
目に涙をためて怒るさゆりを見て、広子も卓也も身をよじって笑っている。
やがてアナウンスが流れ搭乗時間がきた。広子はさゆりを優しく抱きしめた。
「広子さーん、あのオヤジと結婚するの・・・考え直した方がいいですよぉ。」
「ふふふっ、そうね・・・。でも本当にありがとう。私、今、人生の中で一番幸せよ。」
広子の目がうるんで涙がこぼれた。
高田は卓也の背中を左手でポンとたたいて、右手を差し出した。
卓也は立ったまま、じっとその手を見ている。
「こ、これは本物だよ・・・・。まあ、今度こそうまくやれよぉ・・。
敵さんはもう、お前にメロメロだからな。」
卓也はふっとため息のように笑うと、高田の手を強く握り締めて言った。
「高田さん、本当に色々ありがとう。俺・・・もう思い残す事ないです。お元気で、幸せになって下さい・・・・・。広子さんも・・・どうか、お元気で・・・・・。」
広子は微笑んでいたのだが、その訴えるような眼差しと真剣な表情に、何故か戸惑いを覚えた。
建物を出る人波に押されてやがて、二人は見えなくなってしまった。
ロビーの窓から飛行機が飛び立つのを確かめると、二人はゆっくり向き合い、互いを見つめ合った。
はっきりと愛を自覚した眼差しであった。
いよいよ今夜から二人きりの時間を過ごす事になった。
二人のローマが始まる。
一週間という短くも長い、貴重な時間であった。
卓也はもう、何も思い残す事はなかった。
さゆりと別れたら、潔く死のうと考えている。
卓也にとって文字通り、人生最後の一週間であった。
飛行機は闇に染まりかけた空に消えていったが、音はまだ遅れて届いていた。
星が一つ、キラリと光った。