Chapter 6 - 第五章 ブティック2
更衣ブースの扉が開き、広子が少し足を開げて立っている。
ブロンドがかった柔らかい髪は、片方の肩に無造作に置かれている。
薄いピンクのスパンコールをインナーに着て、その胸元を見え隠れさせながら白いジャケットをはおっている。
片方のサイドに深いスリットが入った白いスカートからは、長い足が大胆に肌を見せていた。
彫りの深い顔立ちからこぼれる笑顔は、唇が妖しくさゆりの胸に迫ってくる。
さゆりは瞳を潤ませながら、うっとりとため息をついた。
「ステキ・・・すごく似合うわ。広子さん、さっきの黒のワンピースもいいけど、白がとても夏らしくていい。インナーのスパンコールもシルクの小さな飾りがキラキラ輝いて、上品な艶を出してるわ。いいなー、私も欲しいけど、ちょっと大人っぽ過ぎるし、高そー・・・。」
広子は、うれしそうに微笑んだ。
「ありがとう、さゆりさん。じゃあ、これいただくわ。」
広子は、いちいち迷わなかった。
何点か気軽に選ぶと、すぐに買った。
もっともセンスもよく、どれもこれも似合うのでまるで雑誌のモデルのようであった。
さゆりはただ、ため息をつくだけであった。
《ちなみにインナー、スカート、ジャケットで、まーっ、70万円ぐらいですかな・・。ハッハッハッー、アーア・・・。》
広子は再び服を選ぶと。ブースに消えていった。
人の買い物でも、さゆりは楽しくてしょうがなかった。
しかも広子はお金持ちらしく、小気味よく買っていく。
モデルがいいから、見ていても飽きない。
でも自分もこれくらい買えたら、と思う。
さすがに持ってきたお小遣いでは、一着買っただけでふっ飛んでしまうが。
もちろ、日本のアウトレットで安いものを買う予定なのだが、いつか本場のブティックでも、新着を買いたいと思っている。
「ちょっと大胆だったかしら、最後の服・・シースルーだし・・・・。でもアンダーに薄いスリップドレスも着てるのよ・・・。」
「えー、いいんじゃないですかぁ。夏らしくて、すてきですよぉ。」
二人は子供のようにはしゃぎながら店をあとにすると、今度はフェラガモのブティックに入っていった。
「ヴェルサーチにも靴はあるけど、やっぱりフェラガモ・・・よね。」
「シックな中にも、ワンポイントのリボン等が可愛らしさを演出していて、ちょっと大人の女性にお薦めです。」
ガイド口調でさゆりが言うと、笑いながら元気良く交差点にある店に入っていった。
片膝を立てて、何足か広子が選んでいる。
「どう、これなんか・・・・?私、ガラが大きいから、あまり高いヒールは好きじゃないの。」
そう言って、ローヒールの黒のパンプスを見せた。
黒のリボンが金色の止め金にとめられアクセントになっているが、全体のラインはエレガントにカットされている。
「ああ、このハイヒールのサンダルなんかさゆりさんにあうんじゃない?私、ブラウンのを買うから、あなた、シルバーのどう・・・・・?
つきあってくれたお礼に、プレゼントするわ。」
「だ、ダメですよ、そんな。お客様に、そんな事してもらっては。」
あわてて断るさゆりの耳元で、広子はささやくように言った。
「大丈夫よ、みんなには内緒で。私・・・お金持ちなの。お願い、買わせて欲しいの。」
くすぐったい香りが、甘く漂ってくる。
切なく哀願するような広子の表情に、拒否する事が出来なかった。
「ごめんなさいね・・・。でも気を悪くしないで。そうした方が私も楽しいの。一人だけで買い物してても、つまらないし・・・・わかるでしょ・・・?」
さゆりは頬を赤らめ、小さくうなずいた。
さゆりはシルバーのサンダルを履いてみた。
6センチヒールでストラップがT字になっている。
先端がカットされてないので一見、普通のヒールのようでシルバーの淡いくもった光りが上品に見せている。
すらりとした、さゆりの長い足がシンデレラのような初々しさを見せるのを、広子はうれしそうに見ていた。
「スイマセン、こんなに高い靴・・・・買っていただいて。」
さゆりは、すまなそうに言った。
《ちなみにサンダル一足、6万円だそうです。ハッハッハ・・・。》
「いいのよ。それよりお願い、次の店で服も買わせて。私が買ったことにして・・・。ホテルも同じ部屋だし、今日二人でファッションショーしましょうよ。」
さゆりは会社からきつく客から物をもらうことを禁じられていたが、広子の気持ちもよくわかった。
どうせ買い物をするなら、二人とも買ったほうが楽しい。
何より、今日から同室になる二人でファッションショーをやるという、甘い誘惑には抵抗できなかった。
いざとなったら自分のお小遣いか、日本に帰ってから、返せばいいと思った。
「じゃあ・・・・すみません。他のお客さんには内緒で・・・・。私もいくらか、お小遣い・・・・持ってきたし・・・。」
いい訳を、か細い声でつなぐさゆりの腕を取り、広子は優しく言った。
「ごめんなさいね、気を使わせて・・・・。いいじゃない、本当にお金あるの・・・。実は私、未亡人じゃなくて離婚・・・・したの。7年も連れ添った夫だったんだけど、3年前から愛人がいたんだっ・・・・。
だから・・・・・・いっぱい、慰謝料取ってやったわ・・・・・。一生、遊んで暮らせるぐらい・・・・・。だから・・・ね、お願い・・・楽しくお買い物しましょう。」
広子は組んだ腕の力を強めた。
目にうっすら、涙がにじんでいる。
さゆりは広子の複雑な気持ちを察して、急に元気な声を出した。
「じゃー、行きましょうかミスV・・・・。私、ズーズーシーから知りませんよぉ。」
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ブースの扉が開くと、ショートカットの髪をわずかに肩先に垂らしている、少女っぽい女性が立っていた。
薄いグリーンのワンピースは、まるでタンクトップのように大胆にカットされていて、白いうなじが幼い顔に似合わず、露出している。
胸の膨らみは広子ほどではないが充分女性の色気を感じさせ、ウエストに二本のラインの模様とつなぎ合わせの縁が、あたかもツーピースのように見せている。
スカート部分はスリットこそ入っていないが、シースルーの生地がさゆりのしなやかな足のラインを透かせている。
黒縁のメガネがかえって、さゆりの瞳の美しさに期待を抱かせている。
「さゆりさん、メガネとってごらんなさいよ。大丈夫よ、高田さんはいないから。」
さゆりはクスリと笑い、そっとメガネを外した。
見立てていた店員や他の客達も、思わず見とれて小さく声をあげた。
大きな瞳が健康そうな白い肌にクッキリと浮かび、濃いめの眉毛がまっすぐ横に伸びている。
まつ毛は一本一本が若若しくはねあがり、ほとんど化粧をしていない頬は軽い興奮にほんのりバラ色に染まっていた。
唇も本人そのままに、清潔そうなピンク色をとどめ微笑んだ表情からこぼれる白い歯が眩しく見える。
「きれいよ、さゆりさん。本当・・・すごくきれい・・・・・。」
店員からも賞賛の声が聞かれた。
広子が自分の付けていた真珠のイヤリングをアクセントにさゆりに付けると、自分の姿を鏡に映し見とれてしまった。
(わー、きれい・・・・。これが、私なの・・・?)
後ろから、うれしそうに広子が顔を覗かせている。
二人は天国の王宮に住む天使のように、次々と店を覗いては、はしゃいでまわっていった。
フェンデイで小物を買おうと通りに出たところで、大西と高田に出くわした。
メガネを外したさゆりを見て一瞬、卓也は立ちつくしてしまった。
天使が、そこに立っていた。
別に化粧をしているわけではないのに、愛らしい美さを感じた。
人を好きになった事など生まれてから一度もなかった。
もちろん中学生ぐらいまでは憧れる子もいたが、特に父が死んでからそういうものに対して一種のアレルギー的な想いがあったのだ。
ただ、自分の生命がもうあとわずかと知ってから、急に愛に目覚めてしまった。
だからといって、そう簡単に好きな人ができるわけではなく、ツアーに参加してからも少しあせりに似たものがあった。
初めてさゆりを見た時も確かに可愛いとは思っていたが、心に入ってくる程ではなかった。
だが真実の口で抱きつかれてから、さゆりの身体の温もりがまだ心地よい感触として残っていた。
そこに素顔を見たショックは大きく、サングラス越しにジッと見つめながら心の中でつぶやいた。
(美しい・・・まるで天使だ。日記に・・書いておこう。)
卓也は日記に書く、華やいだ事が多くなって幸せであった。
さゆりは高田の姿を見つけると、あわててメガネを取り出してかけた。
それを男は見逃さず、すかさず寄ってきて大きな声を出した。
「イヤー、さゆりちゃん。すごいじゃない、なんでメガネかけるのよー。こんなに美人なのに。グット、グットよ。センサティブなエレガントさが漂ってるじゃない。」
(何言ってんのよ、このクソオヤジ。あんたみたいのから避けるためでしょうが・・。)
と、さゆりは思ったが一つ悪知恵が浮かんで、にっこり笑って言った。
「ありがとうございます。よろしければ私達の買い物につきあっていただけません?」
又、怒られるかと思った高田は、うれしそうに顔を輝かせて言った。
「いいとも、なっ・・・大西くん。名誉な事じゃないか、こんな美女二人のお供ができるなんて。」
卓也は何も言えず、まっすぐ立ちつくしていた。
さゆりは、にっこり笑うと広子の顔を見てウインクして荷物を高田に持たせ、大西には自分の荷物を渡すと、広子の手をとって大股に歩いて行った。
「さあ、じゃあ次はフェンデイで小物を見ましょう・・・・・。レッツゴー・・・・と。」
(ちょうどいい荷物持ちが来たわ。ふふふっ、私って悪い女・・・まっいいか。)
はめられたと知った高田であったが、うれしそうに荷物を抱えて二人についていく。
卓也も天使のお供ができるのが夢のようで、サングラスの下に紅潮した顔を隠して歩いていった。
広子はすまなそうに振り返りながら歩いていくのだが、さゆりはかまわず広子の腕をとってスタスタ歩いていくのだった。
「このベージュのプチ・ショルダー、さっきのピンクのニットに合うんじゃない?ゲランの生地だし、金具がシンプルでいいわよね・・・・。
フェンディも昔みたいにF・Fしてないし、この頃ちょっと好きなのよ。」
「あら、このショルダーバッグなんかストローの地がラフで、広子さんのキャミソールに合いますよぉ・・・。バラの刺繍がかえってレトロぽくって新鮮だし・・・・。」
二人の会話をまるでNASAの暗号のように聞きながら、男達は手持ちぶたさにいる。
それにしても異様な光景であった。
イタリアでもはっきり際立つような美女二人に、お供しているさえない中年と、どぎつい紫のスーツにポマードべったりの髪をした、サングラスの大男。
外国人の観光客も珍しそうに、この四人組を見ている。
卓也は二人の買い物を眺めながら、自分がさゆりと買い物ができれば何でも買ってあげられるのに、と思った。
どうせ、死ぬ身である。
4000万円もある金の使い道に困っていたところで、この金、全部をこの天使に使ってもいいと思った。
もし、自分を少しでも愛してくれるなら、と。
女達二人は飽きもせず色々のバッグを出しては二人で見せ合い、時折、男達に見せに来ては、はしゃぎながら又、店内をさまよい歩いていた。
男達二人は店内のベンチに腰掛け、女達を待つことにした。
さっきバールで飲んだビールの酔いが、まだかすかに残っている。
「まったく女ってのは買い物が好きだなー。見ろよ、あの幸せそうな顔。俺は思うんだけど、絶対男より女の方が得だね。セックスだって、女の方が気持ち良さそうだもんな。」
そう言って卓也の顔を見たが、顔を赤らめたのを見ると、あきれるように言った。
「あれ、もしかして大西君・・・その・・・まだ・・・なの?。」
卓也が何も言わずにいると、高田は笑いをこらえながら肩に手をかけ、絞り出すように声を出した。
「よーし、俺に・・・ま、まかせておけって・・・・。お前・・・さゆりちゃんの事、好きなんだろ?いんだよ、言わなくてもわかるよ。協力するよ、なっ、大西君。」
たまらず、くっくっと笑い出し、下を向いたまま肩を震わせている。
卓也は更に赤くなった顔をサングラスに隠しながら、じっと、さゆりの方を見つめていた。
このちょっと馴れ馴れしい中年の男が、そんなにイヤではない自分が不思議であった。
女達はいつ果てるともなく、バッグや服を取っ替え引っ替え選んでいる。
やがてさゆりが二人を見つけ、ニコニコしながら手を振った。
(ついに・・・見つけた。俺の天使・・・・。)
心の中でつぶやいた卓也は、そっとつばを飲み込んだ。
(日記に・・・書いておこう。)
ローマ、2日目の午後は楽しく過ぎていった。