
「メダリスト」以外は、歴史の闇に消えてゆく
「トップグループ」と「2番手」の差は限りなく大きい
学校群制によって「日比谷高校予備校」のような麹町中で異変が起こった。日比谷愛が失われつつあったのである。麹町中の保護者の声を伝えている。 ---------- 「去年までだったら、麹町中学から日比谷へ入るには100番以内の成績でないと無理だったんですが、今度は500人のうち400番以下でも入っているんですってよ。そんなデキの悪い子と一緒は心配ではありませんか」(『週刊朝日』1967年3月24日)
ここ三重県でも30年前に「学校群」という制度がありました。1974年から1994年までの20年間実施されました。当時学校群を形成していたのが下記の組合わせの高校です。
Ⅰ群 四日市高校、四日市南高校
Ⅱ群 津高校、津西高校
Ⅲ群 伊勢高校、宇治山田高校
要するに、四日市高校や津高校がエリート進学校とみなされ受験競争を煽る存在として「悪者」扱いを受けたわけです。イマイチの別の高校と組み合わせて均等に振り分けるというやり方でした。四日市高校をめざして勉強していた子が確率2分の1で行きたくもない四日市南に振り分けられました。
その結果、四日市高校はエリート進学校ではなくなり保護者は上記の方のように
「そんなデキの悪い子と一緒は心配」
という状況になりました。事実、四日市高校の難関大学合格者数は激減していき嫉妬に狂った人たちは満足したようでした。
それをチャンスと見た私立の暁高校は「6年制」のコースを作り、優秀な子の学費を免除するという力技も使ってなりふり構わず優秀な子を集めました。すると、四日市高校に絶望して桑名高校に通うことを考えていた経済的に余裕のある層は暁高校に向かい始めました。
実際に指導してみれば簡単に分かるのですが、トップでもない最底辺でもない2番手グループの指導が一番難しいんですよ。最底辺の子たちは勉強で勝負しようと思わない。料理人なり美容師なり勉強でない職業に活路を見出そうとする。トップクラスは学歴勝負の学者、官僚、大企業をめざす。
ところが、2番手グループの子たちはトップグループ入りを諦めないし、だからといって勉強以外の道に進むのは敗北と考える。その結果、A塾でダメだから、B塾。B塾でもダメだったからC塾とジプシーのようになる。成績が上がらないのは、指導がダメだからと責任転嫁する。
その保護者はモンスター化しがちなんです。
「本物」の秀才くんから見ると、この「本物もどき」の子たちは勉強の邪魔になる。教師や講師に文句ばかり言って、集中して勉強できないからです。本当に賢い子は放っておいても勉強するので、分からない問題だけ質問してくるのですが、もどきの子は何もしないんです。講師が教材を用意するまで何もしない。勉強は与えられるものをやることだと勘違いしているのです。
私は本物相手の指導スタイルなので、上位の子は喜んで来てくれるし合格後に感謝してくれる。しかし、イマイチの生徒にとっては
「何もしてくれない」
となりがちなんです。上位の子は手取り足取りの指導は「ウザイ」と嫌がりますが、イマイチの子は自由を与えると「何もしてくれない」と受け取るのですね。
だから、同じ教室で指導はムリなんです。
野球でも一軍と二軍に分けるじゃないですか。アスリートは強化選手と、そうでない選手を分ける。同じ練習メニューをこなすのは、トップとそれ以下では異なるのが当たり前です。どちらにもマイナスになるので、分けて指導しなければなりません。
だけど、勉強だけはなぜか「差別!」や「ひいき!」と非難される。なぜなんでしょうか?
理不尽な生徒や親を相手にすると、こちらの神経がやらえるので視野に入れない、相手にしない。これしか生きていく方法がないほど酷い状態です。
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