ゼロからわかるストーリー創作講座

Chapter 1 - なぜ行き詰まるのか

森本純輝2020/08/03 11:35
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「小説を書きたい!」


「本を出したい!」


「みんなに読んでもらいたい!」


ただ、その一点張りで日々練磨に奮闘する人たちが途方もなく多いことに気づかされるのは、何も私一人だけではないはずだ。

実際に小説を書いている人、すでに作家としての生業を成立させている人、読者や評論家までもがそういった眼前の事実から目を背ける理由は存在しない。


人が書いた作品を読んでみて感銘を受けたり、人生の岐路で答えを見つけるためのヒントを得たり、そういった活動を人々が持続させる限り、小説という媒体がもたらす恩恵は計り知れない知恵を享受する何よりの起爆剤になっているのだ。だからこそ今の時代、いやいつの時代においても、本というものはそれだけ希少価値をその地位にとどめさせる独特の役割を占めているわけだ。


では、実際問題として、小説の着想を得る、またはその執筆を試みてみた場合、何の苦労や壁に直面することなく、行き詰まりの予感さえ感じることのないペースでストーリー創作を進められている人たちは、果たしてどれくらい存在するだろうか?どれくらいの規模の作家志望の人たちが難なく創作の楽しみを損ねることなく構想や執筆を謳歌しているだろうか?


断定的ではないものの、答えは、かなりの少数派に絞られるはずだ。世界中から見ても十人数えるか否か、ほんの数人から数十人程度だろう。ましてやそれが売れている、または読まれている作者たちの規模を作家志望の比率と合わせれば、もはや比較することのできないほどの割合が導き出されるに違いない。


筆者はここで厳然たる事実を単に直視しろ、と述べているわけでない。むしろ、その成功者たちの持つ「型」を皆さんに教えたいとさえ思っている。多くの作者たちをうちひしがれさせるような事柄を引き合いに出したことには筆者に責任が帰するが、それでもより多くの作家志望の人たち、その中から一人でも多く突出した作家として抜きん出てもらうことを動機として本作品を手掛けるつもりだ。


なぜ、このような話をするのか?

それは、小説とは単純な創作プロセスを踏めば誰にでも読んでもらえる「無機質な」媒体ではないからだ。そこには様々な前提が存在することになる。

物語のアイディアに始まり、構想全体におけるバランスやその構築手順、文章表現やキャッチフレーズ、どこに何のエピソードを導入してどこを添削すべきか、その効率的な方法はどんなものか、テーマは何か、どんなメッセージを読者に届けたいのか、そして、なぜ、自分は小説を書くのか、その動機とは。


そんな類の各要素が作家になると決断した人たちの行く道には本来的には待ち受ける難関として立ちはだかっている。

それは避けられそうのない道筋として堂々とその経路を辿っていく他には、作家としての成功を目指す人たちには選択の余地はない、厳しい過程だろうと思う。逆に言えば、それら各々の要素を正しい形で手順を踏めばどのくらい印税をもらえるかはさておき、小説としての生業を成り立たせる一つの通過点に到達したことにはなる。換言すれば作家として成功するためには「急がば回れ」、つまり回避できないプロセスを踏む他ない。たとえ数ある仕事の中から作家という人生一つを取ったとしても、王道を行く他ないのだ。


では、その根拠は何か?

先ほど、小説とは「無機質な」媒体ではない、と述べたが、その真意は小説というストーリーの表現形態には―ストーリーを表現するものなら映画なりマンガなり、どれもそうだとは思うが―人間の生身の感情を突き動かすだけの動力源を追求することを可能にする、動的嗜好物の表れだからだ。つまるところ、人に「面白い」「感動した」「楽しい」と思わせる引き金をはらむ「生きた文字の集合体」だからだ。小説を「無機質な媒体」とは相容れない表現形態であると定義するなら、その本質は「有機的でいきいきとした表現を呈した文字の集まり」でなければならないからだ。


つまり、小説とは人間の感情を動かすために存在する生きもののような役割を担う、ということだ。そして、生きものであるからには当然それが成り立つための構造が必要不可欠になってくる。先ほど述べた「前提」というものだ。「前提」とは物語を構成するプロットという「骨」だったり、登場人物や出来事の流れといった「血流」だったり、それらすべての基礎の根底に位置するアイディアやテーマという「遺伝子」だったり、様々な要素を有する。それらが形成されるには、正しい形が正しい順序で作られていかなければならない。これを単純に「構想」や「プロット」と読んでもいいだろうが、実際はもっと複雑で多様性に富んでいる。単に「プロット」と呼称した場合でも、その中にはまるで一つひとつの原子が秩序立った分子構造を形作るように、れっきとした「配列」が内在している。これらを理解した上での着想や執筆を行うことで、初めて作家としての成功の道を手にするスタート地点に立ったことになる。


大半の作者たちは、このプロセスを踏まない、もしくは踏もうと考えないがために、結果として一人で延々と迷走状態に陥ることになってしまうのだ。それはこれらの「前提」が正しく成立していないがために自然的に生じる不和として表層化することになるのだ。一つひとつの要素がしっかりと噛み合って相互作用を果たす、言ってみれば創発のような役割を果たしきれていないことに起因するためだ。


そこでハウツー本を手に取る人たちもまた大勢いることも、決して珍しくはない。

世の中に数えきれないほどの小説ハウツー本は存在するが、特にハリウッドに関連する創作術に関しては何ら大きな違いはない。ただ、思うのは、ストーリーの構造をこれでもかとばかりに膨大な情報量として注ぎ込んではいても、その構造の「作り方」あるいは「発展のさせ方」までは詳しく述べていない書籍が多いように思う。本作品では、それらの一つひとつをできるだけ分かりやすく、一歩一歩着実にお伝えすることを下地にしていく。


もちろん、「自分で進める」という人は自分で自身の道を歩んでいけばいい。「自分なりに小説を書いていて、何がおかしい」「自由に書いてこそ、小説の醍醐味は生まれる」という発想の人たちはたくさんいるし、それもまた一つの選択肢ではあると思う。


しかし、物理に法則が存在するように、小説にもまた法則という「型」が存在する。先ほどの主張を完遂させてもなお迷走状態から抜け出せない事態に陥ってしまっているのであれば、その時は是非とも筆者のこの作品に目を通して欲しいと思う。


作家としての夢を目指すあなた自身の内側に眠る「希望の種」がこの作品に散りばめられていることを信じて。