夕焼けに似た橙色の明かりが、ゆっくりと街を照らし始める。
飲食店が建ち並ぶ通りには、道行く旅人や行商人に向けた手軽な料理の屋台が出され、辺りは食欲をそそる香りに満たされていた。
店の看板娘が、足を止めた客を愛想良くもてなし、店へと誘っている。
聖王国北部に位置する地方都市ナクラバルの街は、今宵も大いに賑わい、行商人や訪れた旅人たちを自慢の美酒に酔わせていた。
「はぁ……。最高級の貴金属が手に入った上に、旨い酒と飯と来たら……ははは、最高だぜ」
目当ての品を手に入れ、取引成功の祝いに、と早くから酒場に入っていた恰幅の良い壮年の行商人が、上機嫌で酒場を後にする。
「またのお越しを」
余程羽振りが良かったのか、店の看板娘が外に出て彼を見送り、見えなくなるまで笑顔で手を振っていた。
「これで一儲けして、すぐに戻ってきますよっと」
行商人は鞄に入れた貴金属を確かめるように一撫でし、おぼつかない足取りで宿屋を目指し、通りを歩く。
だが、すぐ近くにあるはずの宿屋には、暫く歩いても辿り着くことが出来なかった。
「あれ、迷ったか……?」
人通りが少ない路地に迷い込んだところで、行商人がはたと立ち止まる。
道を間違えたのだろう。
来た道を戻ろうと振り返ったが、真っ直ぐ歩いたつもりの道は改めて見ると左右に入り組んでいた。
「これ以上迷ってもなぁ……」
闇雲に歩いてさらに迷うことは避けたい。
道を聞こうと辺りを見回した行商人は、少し先を道行く恋人達の姿を見留めた。
「おい、あんたたち――」
張り上げた声に男性の方が気づき、振り向いたように見えたその刹那。
「な……っ!?」
確かに目の前にいたはずの男女二人の姿が、地面に吸い込まれるように忽然と消えた。
両の目を擦っても、状況は全く変わらない。
「たたた、大変だ! 誰か!」
考えるよりも早く、行商人の男は助けを求めて叫んでいた。
その叫び声に|警邏《けいら》中の聖騎士が気づき、すぐに駆けつける。
だが、その聖騎士は『目の前で人が消えた』という男の説明を聞いても眉ひとつ動かさなかった。
「ああ、またか――」
それどころか聖騎士は笑顔で宥めるように答えたのだ。
「この街ではよくあることですよ」
「はぁっ!? 人が消えたんだぞ!」
その答えに行商人は思わず大声を上げ、恋人たちが消えた場所を示した。
「調べるとか、なんとか言ったらどうだ!?」
怒りにまかせて叫んだが、聖騎士の反応はない。
「おい!」
振り向くと、聖騎士の姿もまた忽然と消えてしまっている。
「――――!!」
行商人の悲鳴が夜の街に響き渡った。
* * *
聖華暦(せいかれき)836年5月
草原の中をナクラバル行きの連絡船が進んでいく。
ホバー船の甲板から、森林と草原との境界に緑に覆われた建物の残骸を見据え、リサ・エーデルワイスは、背に負った長刀を確かめるように手を添えた。
長刀は幼い彼女とほとんど同じぐらいの長さがあった。
「西暦時代の遺産か……、あれがどうかしたか?」
「どうもしないわ。ただ――魔族の巣には狭いわよね」
振り返ろうともせず、リサが答える。
リサの手が長刀――野太刀・陽炎の柄から離れるのを待ち、背後の人物はさらに彼女との距離を詰めた。
「ナクラバルの失踪事件のことを考えておったじゃろう?」
「それが今回の仕事よ。当然でしょ、シェンフゥ」
からかうように、見透かすように問いかけられ、リサは苛立ったような声を上げた。
シェンフゥと呼ばれた狐耳の金髪の少女は、かかかっと快活に笑い、風に流れるリサの髪を指先に絡め、その匂いを嗅いだ。
「ちょっ、なにしてんのよ!」
リサが髪を引き、シェンフゥの元から引き剥がす。
シェンフゥは名残惜しそうにリサの薄桃色の髪を眺めていたが、諦めたように|舷《ふなばた》に寄り、廃墟と化した高層ビル群を眺めた。
「……まあ、あれはただの廃墟じゃの。誰が出入りするにしても、気配というものがない」
「……そう――」
シェンフゥの呟きを耳に、リサも舷へと寄る。
「わからないことばかりだわ」
「だから、魔族専門の殺し屋でもあるわしらが呼ばれたんじゃろう? 魔族が絡んでおるのは間違いないと思うがな」
「そうなんだけど……」
ここ数ヶ月、ナクラバルでは失踪事件が相次いでいる。
最初のうちは行方不明として扱われていたが、警邏の聖騎士の失踪もあり、ただの事件として扱うわけにも行かなくなった。
ナクラバルだけでは収拾がつかなくなり、隣町からの増援が加わり、聖騎士団による大規模な捜索が行われたが、程なくしてその調査隊の聖騎士たちも一人残らず消えた。
「いよいよ、わしらの出番というわけじゃ」
聖騎士隊からの依頼を受け、所属する聖拝機関から正式に仕事として請け負ったのがつい先日のこと。
だが、共有された報告書は、失踪しているとされる人数に対して、あまりにも粗末なものだった。
「書記官に報告書を義務づけているが、一週間もするとその報告書も届かなくなる……か。何度見ても書いてあることは同じじゃろう?」
共有された報告書を捲るリサの隣で、シェンフゥが苦笑する。
「ええ、同じだわ。その報告書も、まるで人が消えることが当たり前みたいに書かれて終わってる」
報告書を閉じ、リサは深く溜息を吐いた。