その少女は『やれやれ』と言いたげな顔で溜め息をつき、首を左右に振った。
癖のない銀髪をロングにしている、眼鏡をかけた少女。白衣を着ている。
銀髪の彼女は包囲されていた。包囲しているのは人間ではない。
異形の存在だ。
背中に白くて大きな翼を生やし、頭の上に光り輝く輪を浮かべている異形。
その異形の姿を見た者たちは、同じ言葉を思い浮かべることであろう。
天使、という言葉を。
「私が特別? だから新しい世界で生きる資格があるって?」
少女は面倒くさそうな口調で言う。
そんな口調を気にせず、天使の1人が「そうだ」と頷(うなず)く。
銀髪の少女は、また『やれやれ』という感じで小さく溜め息をついた。
「1つ聞きたいんだけど、特別ではない人間はどうなるのかしら?」
少女の疑問に、別の天使が「不要だ」と答える。
「新しい世界に必要なのは、お前のような特別な魂を持つ人間や神に絶対忠誠を誓う者のみだ」
「だから滅ぼすの?」
天使の答えを聞き、銀髪の少女は目を細めた。
瞳には冷たい光が宿っている。だが天使たちは、やはり気にしない。
「特別な人間や、神様に気に入られている人間以外はいらないって?」
やっていられない、聞いていられない……そんな感じで彼女は言い放つ。
「私は自分が特別な人間だなんて思っていない。ただ科学が好きなだけの人間よ。いろいろな実験や研究が好きなだけの人間で、特別でもなんでもないわ」
「お前は特別だ」
天使の1人が少女の言葉を否定する。
「お前の仲には【神の子を産んだ聖母】の魂があるのだから」
「だから世界の破滅から助けてくれるわけ? 馬鹿みたいな、つまらない理由で私を助けるっていうわけ?」
「つまらなくはない。重要なことだ。【聖母】の転生者を死なせるわけにはいかない。神もそうお考えだ」
天使のその言葉を聞いて、【聖母】の魂を持つという銀髪の少女は、小馬鹿にしたような感じで小さく鼻を鳴らした。
そして「気に入らない」と吐き捨てる。
「とことん気に入らないわね。自分が創った人間という種が余計な成長をして、予想外の進化を遂げた」
怒りを込めた瞳で天使たちを睨みながら、銀髪の少女は言う。
「神である自分に近い科学力と技術力を持ったから怖くなった。だから特別な人間や自分に絶対忠誠を誓う者だけを残して滅ぼす? 冗談じゃないわよっ」
吐き捨てる。
「私は逆らう……反逆するわよ。神にケンカを売ってやる。私は今の世界と人間が気に入っているのよ。それを護(まも)るわ」
銀髪の少女は、強い意志を言葉に込めて言い放った。
「神の勝手で、今の世界が滅ぶなんて、そんなのゴメンよ」
「貴様っ!」
リーダー格であるらしい天使が、鋭い視線で銀髪の少女を睨む。
「【聖母】の魂を持つ者だとしても、神を侮辱するなど言語道断だ!
そう言って右手を振る、リーダー格の天使。
次の瞬間には、その右手に1本の長剣が握られていた。切っ先が少女に向けられる。
しかし、剣を向けられても少女は平然としていた。
少女の顔には余裕の表情が浮かんでいる。恐れや怯えの色は、微塵も感じられなかった。
他の天使が少女に剣を向けたリーダーをいさめようとしたときだった。
大きな銃声が、辺りに鳴り響く。
その直後、リーダー格の天使の首から上が消失した。頭部が砕け散ったのだ。
頭部を失った体が思い出したかのように、その場に崩れ落ちる。
「な、なんだ!?」
他の天使たちが、銃声が聞こえた方に顔を向けた。
そこには1人の人物が立っていた。
顔の上半分を、悪魔を思わせるデザインの仮面で覆ったスマートな人物……少女だ。
黒いジャンプスーツを着て、その上に銀色のプロテクターをまとっている。
腰には左右と後ろにホルスターが付いている金属のベルトを巻いていた。
右のホルスターは空だ。何も入っていない。
そして、仮面の人物の右手には拳銃が握られていた。
線の細いプロポーションには不釣り合いな、それでいて妙に似合っていると感じさせる雰囲気を持った大型のリボルバー拳銃だ。
・50口径のリボルバー拳銃……それから放たれた、弾頭に液体火薬を仕込んだ弾丸がリーダー格の天使の頭部を粉砕したのだ。
「紹介するわ」
驚いている天使たちの姿を楽しむような口調で、銀髪の少女が言う。
「彼女はイブリース。反逆の天使イブリース。私が神にケンカを売るために創った、人間の守護者よ」
銀髪の少女からイブリースと呼ばれたプロテクターの少女は、ゆっくりと天使たちに近寄っていく。
一歩、また一歩とイブリースが近づくたびに、辺りの空気がチリチリと焼けるような緊張感で満ちていった。
天使たちはそれぞれ武器を手にして、身構える。
「人間を舐めないことね」
銀髪の少女は静かな口調で言う。
イブリースが足を止める。沈黙が、周囲を支配した。だが、沈黙はわずかな時間。
イブリースが持つ・50口径のリボルバー拳銃、シューティング・ファング(射抜く牙)が火を噴いた。銃声が轟き、天使の1人の頭が粉砕された。
こうして、神の勝手な理由から人間を護る戦士と、人間を滅ぼそうとする天使たちの戦いが始まったのであった。
◇◇◇
東京湾沖に浮かぶ人工島、そこに築かれた都市ネオトーキョー。その開発途中の区画の1つ。
夜になると暗くなる区画だ。
そんな場所を1人の少女が歩いていた。スマートなプロポーションの、ボーイッシュな少女。
癖のない髪は、光の加減で水色に見える銀髪。
胸があまり目立たず、髪をショートにしているため、一見すると少年と間違えてしまいそうな美形の少女だ。
どこか少年的な雰囲気を漂わせている彼女の瞳は、不自然な色であった。
金色……それが彼女の瞳の色である。
ラフに着崩した白い開襟シャツに濃いブルーのジーパンという服装の彼女は、右手を軽く振った。
すると手品のように、右手には大型のリボルバー拳銃が握られる。
バレルウェイトを取り付けた、・50口径のリボルバー拳銃。シリンダーをスイングアウトさせて、装弾を確かめる。
弾頭に液体火薬を仕込んだ弾丸が5発、装填されていた。
拳銃を軽く振ってシリンダーを戻す。グリップの底がハンマーのように鋭く尖っているリボルバー拳銃を持った少女は、ごく自然な足取りで建設途中のビルに足を踏み入れた。
その建設途中のビルには、不法居住者がいた。正確には、不法入国者だが。
ビルの最上階はホールのようになっており、複数の匂いで充満していた。
血と獣の匂いだ。
血の匂いを漂わせているのは、無惨に引き裂かれた人間の死体だ。
そして獣の匂いを漂わせているのは、人間に動物や昆虫を掛け合わせたような姿の異形の者たち。
「お前たちに生きる資格はない」
胸を大きく斬り裂かれて絶命した男を放り投げて言い放つのは、カマキリと人間をミックスしたような異形。手の甲から、鋭く長い鎌状の突起が生えている。その突起が、男の胸を斬り裂いて命を奪ったのだ。
「そうさ。だから死ぬしかないのさ」
腕を6本持つ、蜘蛛と人間をミックスしたような異形がカマキリ人間の言葉を継いだ。
不気味に動く蜘蛛人間の6本の腕には、引き裂かれた布が握られている。蜘蛛人間の前には、半裸の少女がうずくまっていた。
蜘蛛人間が持つ布は、引き裂かれた少女の服だ。
少女は露わになった肌を隠しながら、瞳に怯えの光を宿してガタガタと震えている。
「殺す前に可愛がってやる。神の慈悲だ」
そう言いながら、蜘蛛人間は6本の腕を少女へと伸ばす。少女は6本の腕から逃げるようにジリジリと後ろに下がるが、すぐに背中が壁に当たってしまった。
蜘蛛人間は「ケケケッ!」と不気味に笑う。
「きゃあああっ!」
少女の悲鳴が響く。蜘蛛人間の6本の腕が、残った服と下着を少女の体から剥ぎ取っていった。
全裸にされる少女。逃げようとしても、もう逃げ場はない。
「や、やめてっ!」
1人の女が叫ぶ。
「その子はまだ幼いのよ!」
「自分の心配をすることだ」
その女の前に、カマキリ人間が立つ。女の顔に、怯えの表情が浮かぶ。
カマキリ人間の右腕が動く。女の白い喉が鎌状の突起で斬り裂かれ、真っ赤な血が雨となって、コンクリの地肌がむき出しの床に降り注いだ。
女の体が倒れ、そのまま動かなくなる。
女の死を目の当たりにした少女は、
「い、いやあああっ!」
と大きな悲鳴を上げ、四つんばいになって逃げだそうとした。しかし次の瞬間には、蜘蛛人間の口から吐き出されたネバネバとした白い糸が少女の脚に巻き付き、動きを封じていた。
6本の腕が、少女の体を押さえ付ける。
蜘蛛人間が全裸の少女を蹂躙しようとしたときだった。
ホールに、大きな銃声が轟く。
直後、蜘蛛人間の頭部が消失した。さらにもう1発銃声が轟き、蜘蛛人間の体が吹き飛んで全裸の少女から離れた。
少女には、何が起きたのか分からない。
カツン、カツンと硬い足音がホールに響く。ホールにいる人間を全滅させようとしていた異形たちは、足音が聞こえる方に一斉に顔を向ける。
癖のない長い髪を持つ、細身のシルエットがホールに入ってくるのが見えた。
光の加減で水色に見える長い銀髪、顔の上半分を隠す仮面は悪魔のようなデザイン。
スマートな体を引き立てる黒いジャンプスーツに銀色のプロテクター、右手にはバレルウェイトを取り付けた大型のリボルバー拳銃が握られている。
プロテクターの胸部装甲が丸く盛り上がっているのと、露わになっている顔の下半分のラインから、その人物が少女だと分かった。
ホールにいる異形たちは身構える。
「貴様……何者だ?」
仲間である蜘蛛人間を殺した仮面の少女を睨みながら、カマキリ人間が問う。
仮面で顔の上半分を隠した少女は、その奥にある金色の瞳でカマキリ人間たち異形を見回す。
「私の名は……」
仮面の少女が口を開く。
「イブリース。貴様たちの敵対者だ。そして、人間を護る者だ」
「イブリース……敵対者だと? そうか!」
この場にいる異形たちのリーダー格らしいカマキリ人間が、何かに気づいたように言う。
「貴様か! 俺たちの仲間を殺している奴は!」
カマキリ人間のその言葉に押されるように、黒ヒョウと人間をミックスしたような異形が牙をむき出しにして仮面の少女……イブリースに襲いかかった。
イブリースは手の中でシューティング・ファングをクルリと回し、バレルを握る。
そしてそのまま、雄叫びを上げて迫り来る黒ヒョウ人間の側頭部めがけて素早く振った。
寸前まで迫っていた黒ヒョウ人間の側頭部に、ハンマーのように鋭く尖っているグリップの底が直撃する。
ゴキッという音とともに、黒ヒョウ人間の頭蓋骨は砕けて首が異様な角度に曲がった。
強烈な一撃を側頭部に食らい、黒ヒョウ人間は倒れる。すでに息はない。
イブリースの無駄のない見事な手際に、続いて襲いかかろうとしていた異形たちは二の足を踏むことになった。
その隙にイブリースは左手を腰の後ろに回してホルスターから、・50口径のオートマチック拳銃を引き抜く。
かなり大型の拳銃だ。ソードオフのショットガンをさらに切り詰めたほどのサイズがある。マガジンはバレルの下にセットする形になっていた。
イブリースは、右手のシューティング・ファングをクルリと回してグリップを握る。
右手にリボルバー拳銃シューティング・ファング、左手にオートマチック拳銃アーク・フレイム(大いなる炎)を構えた彼女は、
「私が怖くなければ、かかってこい」
口元に人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、挑発的な口調で言う。
イブリースのその言葉で我に返ったのか、多種多様な雄叫びを上げて迫ってくる。
近くにいたリーダー格であるカマキリ人間が、真っ先にイブリースに襲いかかった。
シューティング・ファングのバレルウェイトから、両刃のブレードが伸びる。
カマキリ人間の、鎌状の突起が生える腕がうなった。イブリースはシューティング・ファングのブレードで鎌を受け止めると、左手のアーク・フレイムをカマキリ人間の眼前に突き付けた。
アーク・フレイムのトリガーが引かれ、・50口径の徹甲弾が放たれる。
大口径の徹甲弾の直撃を受け、カマキリ人間の頭部はあっけなく吹き飛んだ。
イブリースはカマキリ人間の死を確認もせず、次々と襲いかかっている獣人たちの攻撃をさばきながら拳銃のトリガーを引いていった。
ホールに響くのは異形の獣人たちの雄叫びと銃声やブレードがうなる音、そして獣人たちの悲鳴となった。
……数分後、アーク・フレイムを腰の後ろのホルスターに収納すると、イブリースは足元に転がっている頭部を失ったカマキリ人間の死体を見下ろす。
彼女の周囲にはカマキリ人間のように頭部を失ったり、胸に大穴を空けて絶命している異形の獣人たちの死体が転がっていた。
わずか数分で、異形たちはイブリースに倒されたことになる。
すべての異形が息絶えているのを確認すると、イブリースはホールの出入り口に向かって踵(きびす)を返す。
「あ、あの……ありがとう」
蜘蛛人間に蹂躙されそうになっていた全裸の少女が、立ち去ろうとしているイブリースの背に、おそるおそる声をかける。
ホールの片隅で戦闘を見守っていた人間たちも、口々に礼を言いながら近づいてきた。
「礼を言われることじゃない」
言いながらイブリースは全裸の少女に片方の手を伸ばし、その頭を撫でる。
「私は奴らを倒し、そして人間を護るために存在している。だから倒した、だから護った。それだけだ」
少女の頭から手を離すと、イブリースは硬い足音を立てて、その場を離れた。
建設途中のビルから出ると、イブリースの姿が変化を見せる。
銀色のプロテクターが瞬時に消え、ロングの銀髪がショートになった。
仮面も消失し、少年的な凛々しくも美しい顔が露わになる。
身長が10センチほど低くなり、Eカップはあった乳房が、今ではほとんど膨らみが目立っていない。
黒いジャンプスーツに銀色のプロテクターという姿のイブリースは、1秒もかからずに白い開襟シャツにブルーのジーパンという姿のリオという名の少女に変わっていた。
ヘソのあたりまで外していた開襟シャツのボタンをはめていく。
谷間が目立っていないリオの胸には、不思議な輝きを放つクリスタルが埋め込まれている。
そのクリスタルはズブズブと体内に沈んでいき、ボタンを数個はめた頃には、すっかり姿を消していた。
胸元をはだけた少年的な少女は、振りあおいでビルを見上げる。
そして、
「まだ分からないな」
つぶやきを漏らす。
「ボクは人間を護る存在だから人間を護ったのか、それとも護りたいと思ったから……自分の意思で護ったのかな?」
自分に問いかけてみる。
「ボクは本当に心の底から、人間を護りたいと思っているのかな?」
だが、その問いかけにまだ答えは出ない。
答えを得るためには、もっと人間という存在に触れる必要がありそうであった。
そうしなければ、ハッキリとした答えは出ないであろう。
本当に人間を護りたいのか。『そのため』に創られた存在だから、渋々と、事務的にやっているだけではないのか?
それとも自分の意思で、本当に人間を護りたいと思っているのだろうか?
このネオトーキョーに来てから、ずっと抱いている疑問。それを反芻(はんすう)しながらリオは、路上に停めているバイクにまたがった。
スマートなプロポーションの彼女には不釣り合いな、大型のネイキッドタイプのバイク。
しかし銃と同じで、妙にしっくりと馴染(なじ)むのである。
リオは開襟シャツの胸ポケットから取り出したライディング・グラスをかけ、ジーパンの尻ポケットから取り出したライディング・グラブをはめてバイクのエンジンを始動させた。
豪快な音を立てて、バイクは走りだす。
リオは夜道をバイクで疾走しながら、自分が生み出された理由やネオトーキョーに来た理由を思い出していた。