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キョウダイセブン

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「日本復活」の切り札

「日本復活」の最期の手=私はユタ州で怒ったことがなかった= 第一章、ユタでの経験 ローガンの教育委員会の委員長の家にホームステイさせてもらい、1年間ローガン中学校で教師をする機会にめぐまれたことがある。その1年間、私は怒った記憶がない。半年もしたら、さすがに不思議に思えていた。 日本にいる時は怒ることが多々あった。車を運転すればウィンカーも出さずに突然車線変更する車がいたり、あおり運転に出くわしたり。授業をすれば、モンスターペアレントが怒鳴り込んできて理不尽な要求を突き付けてきたり。 ユタ州では、路上では譲り合いばかりだった。ドライバーはいつもニコニコしていた。学校でも保護者と教師は連係プレイで生徒のことを案じていた。対立している場面を見たことがなかった。 日本からやってきた私に出来るだけ多くの経験をさせてやろうと、校長会はヨットのセーリングに誘ってくれたし、ボーイスカウトの招きを受けたりもした。 最初は 「これは何か魂胆があるではないか?」 と疑った。そんなに親切な人は日本で出会ったことがなかったから疑うしかなかった。しかし、予想に反してそれは純粋な親切心からだった。私は小さい頃から

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