受験勉強における「成文法」と「判例法」。多様性の本質。


キョウダイセブン2022/04/17 01:13
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受験勉強における「成文法」と「判例法」。多様性の本質。

受験勉強における「成文法」と「判例法」。多様性の本質。


 私は法律家ではないので詳細のことは分からないが、法曹界では「成文法」と「判例法」という考え方があるそうだ。素人の聞きかじりではあるが、成文法というのは「人を殺してはいけません」という条文がきちんと文章に書いてあるものを言うそうだ。一方、判例法というのは事件が起こったら裁判をして判決がくだる。そういう判例を積み重ねたものらしい。


 たとえば、「人を殺してはいけない」という条文があったとしても正当防衛や緊急避難の場合は人を殺しても罪にならない国もあるだろう。だから、人々に文章で「人を殺してはいけない」と知らせる方法もあれば、様々な裁判を通じて「こんなケースは殺人罪になるんだ」と知らせる方法もあるということらしい。


 まったく同じ事件というのはないので、私は成文法より判例法がすぐれていると考えている。もちろん、現実は成文法と判例法の両方を用いて処理しているわけですけどね。


 これは、受験指導にも当てはまる。こんな仕事をしていると

「どんな英作文を書けば京大で8割を超えられますか?」

 と、質問を受けることが多い。そういう質問をする生徒の頭には「成文法」のイメージがある。明確なルールを提示してほしいのだ。


 しかし、現実に合格していく子はそんな質問はしないのです。

「先生、この英作文のどこが減点されるか添削してください」

 と言ってくる。合格する生徒の頭には「判例法」のイメージがある。ルールなんて存在しないので、とりあえず「私の答案」の「減点箇所」を知りたがる。


 だから、私は六法全書のように「こうすれば合格できる」なんて参考書を書けないのです。というか、「この参考書をやれば受かる」とか「我が予備校のカリキュラムどおりにやれば合格間違いなし」というキャッチコピーはすべて詐欺だと思う。段階別の問題を提示して、スモールステップどおりにやれば大丈夫と主張する塾が多すぎる。


 たとえば、京都大学レベルの問題まで56段階のプリント問題をやらせれば誰でも京都大学に合格できるのでしょうか?答えは「ノー」です。


 100m走の練習を思い浮かべて下さい。「今日は100mを20秒で走って下さい」と言えば100%の生徒が達成できる。次の日に「今日は100mを19秒で走って下さい」と言っても大丈夫でしょう。毎日1秒ずつ時間を縮めていけば10日目には誰でもオリンピック記録の10秒台に到達できるでしょうか?


 そんな指導法をするコーチがいたら詐欺師ですね。予備校や塾は大量に生徒を集めないと儲かりません。大量に集めるとは「誰にも当てはまる」ルールを作ろうという成文法のアイディアです。うまく行きません。同じ人間は一人としていません。全員ちがう人なんです。

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