「なんで英語をやらなアカンの!?」


キョウダイセブン2022/04/07 01:54
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「なんで英語をやらなアカンの!?」

「なんで英語をやらなアカンの!?」


 アメリカのユタ州にあるローガン中学校で教師をしていた時、ある教室をのぞいたら女子ばっかり。それで、近くにいた男の子になんて女子ばかりか尋ねたら

「選択科目だからさ」

 とのこと。それで、なんで男子はフランス語をやらないのか尋ねたら

「だって、英語は国際語だから外国語なんて勉強しなくていいじゃん!」

 とのこと。

 日本の学校では英語が必須。小学校から大学を卒業するまで重要な受験科目だよね。英語が話せる人は頭が良いと見なされる。

 では、アメリカの国民はバカばかりかというと、そんなわけがない。外国語ができれば人間が上等になれるわけではない。


   私は自分の「名古屋大学」の入試だけではなく「京都大学」の二次試験を7回受けた。センター試験は10回。「河合」と「駿台」の京大模試は10回。それと並行して「Z会」の京大即応コースを8年間受けて添削方法を盗んだ。その時、Z会から六段認定証を受け取った。


 資格試験は、英語検定1級、通訳ガイドの国家試験、ビジネス英検A級、国連英検A級、観光英検1級などを受けた。TOEFLも受けた。


 英語講師として河合塾学園、名古屋外国語専門学校、コンピューター総合学園HAL、名古屋ビジネス専門学校、名門会、駿台プロメディカスなどで講師の採用試験として筆記試験を受けた。


 その経験から言えるのは(主観ではあるが)各テストのレベルは以下のようだった。


Aランク(京大医学部医学科の合格ライン)

Bランク(英検1級、通訳ガイドの国家試験合格ライン)

Cランク(医学部以外の京大のボーダーライン)

Dランク(TOEIC満点レベル)

Eランク(英検準1級レベル) 

Fランク(予備校、塾の採用試験レベル)ここまで就職につながる

それ以下(英検2級)趣味の世界


 京都大学を7回受けてチェックした結果は以下のようでした。


京大入試の成績開示

  平成18年、20年(文学部)    正解率の平均  66%( 受験英語 )

  平成21年、22年(教育学部) 正解率の平均  76%( 資格英語 )

  平成24年、25年(総合人間) 正解率の平均  79%( ネイティブ英語)


 つまり、学校で習う「受験英語」は仕事につながるレベルではないし受験でも有利でもない。ECCなどの英会話学校が目標にする英検も準1級がかろうじて仕事に使えるレベル。これでは、

「オレは英語なんて仕事で使わないよ。なんで英語の勉強せなアカンの!?」

 と言われたら返事のしようがない。


 ただ、「使える人」と「使えない人」を区別する(多くの人が納得できる)テストとして英語を用いるのは有効。なぜかというと、英語をマスターするには時間がかかるから忍耐力や計画性、勤勉さなどが必要。英語ができる人は他の仕事も勤勉にしてくれそう。

 それは、生徒指導をしていれば分かる。実際、難関校に合格していった子たちは社会に出ても堅実な仕事をしていることが多い。


 でも、勤勉さを測るだけなら英語でなくても数学でも理科でもよい。


 実際、私は「教育学部」卒、つまり文系。現役時代は試験に追いまくられて数学が苦手と認識していた。ところが、講師を始めて生徒から数学の指導も求められたので独学していたら面白い。結局、独学で勉強し直して京大文系数学で7割(合格者の平均点)をとれたし、今は英語講師2割、数学講師7割という時間配分で「数学Ⅲ」も教えている。


 学校制度の中にいたら数学嫌いになりそうだったけれど、自由にしてもらったら数学大好きになった。学校という制度が合わない人間も多数いるのは、不登校が増えている事実を見ても明らかだ。

 アメリカの中学校のように午後2時半になったら消灯で学校から解放してやればイジメも減り、才能のある子は自由に学べるはずだ。アメリカには「組」という概念がない。日本の大学のように授業毎にクラスを移動していくからだ。部活動という制度もない。


 同じ服、同じ靴、同じ髪型、同じカリキュラム。そして、強制的な部活動。まるで、刑務所のような日本の学校では、伸びる才能も潰してしまう。多様性を認めようなんて、口だけ。実際は同調圧力が異常に強くて、違うものは許さない社会なんだよ。


 ロシア、中国、北朝鮮のような独裁専制国家を笑う日本人は多いけれど、日本社会はヨーロッパやアメリカのような民主主義国家の多様性を認める社会より、ロシアや中国のような独裁国家に近いと感じる。

 だから、パワハラ、アカハラが横行する。学校ではイジメが横行する。ガチガチの制度に締め付ける。はみ出したら、下手すると殺される。自殺に追い込まれる。


 英語なんて、今は機械がやってくれる。全員がマスターする必要なんかない。できないし。英語が大切なんて考えは“権威”ある文科省、教育委員会、校長会、教師が一丸となって守り続ける学校制度の弊害にすぎない。権力側のプロパガンダにすぎない。


 英語は「必要な人だけやればいい」というものにすぎない。学校なんて必要最小限のものさえ教えればいい場所であって、朝から晩までいる場所ではない。素人の“顧問”の指導を受けたって上達はしないのだから、部活動は自由化すべき。


 校則は全廃。それが、本当の意味で「多様性を認める」ということではありませんか? 

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