ローマでお買い物!(第六部)

第二十三章 ローマの休日

進藤 進2022/02/13 22:37
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照れくささとはにかみを交えながら、朝食をとっていた。


昨夜の余韻が、まだ二人を包んでいる。


女は男が食べるのをうれしそうにながめ、男は女がコーヒーにミルクを入れる仕草を好きだと思った。


この幸せな作業を、二人はこれから何度繰り返せるのであろうか。


卓也は少し心をくもらせたが、気を取り直して明るく言った。


「どうしようか、今日・・・・・・?」


さゆりはカプチーノの香りを楽しみながら、幸せそうに考えている。


「そうだっ・・・・昨日、サッカーでバスに乗る前に約束したよね?プレゼントに好きな物を買ってあげるって・・・・・。」


女はさすがに気がひけたのか、声を大きくして言った。


「だ、だめよぉ・・・この間だってあんなに買ってもらったし・・・。あれだって、私が今まで買ったどんなものよりも高いものばかりだったのよ。いーえ、絶対ダメ・・・いくらあなたがお金持ちだって、無駄遣いはダメです。」


現金なもので、男がかけがいのない存在に見えると急にそんな風に思えてしまう。


卓也はさゆりの決心の固そうな表情を見ると、残念そうにつぶやいた。


「うーん、そう言うんなら仕方ないか・・・・でも遠慮しないでよ、どうせ持っていてもしょうがないんだ。僕はもうあんまり使うあてはないんだし・・・・・。」


男はそう言うと自分もカップを引き寄せ、砂糖とミルクを入れてかき回している。


「じゃあ・・・美術館でも行ってみるかい?それとも・・・。」


さゆりはカップをかかえたまま頬を膨らませ、見上げるような仕草をして考えている。


にっこり笑うと肩をすくめ、恥ずかしそうに言った。


「やっぱり・・・お買い物・・・・・・?」


卓也は口に運んでいたカプチーノにむせて、咳き込んでしまった。


二人は顔を見合わせると、吹き出してクスクス笑った。


男は女の白い指に自分の大きな手を重ねて、優しく言った。


「はい・・・お姫様。どこへでもお供させて下さい・・・。」


今日から二人きりの旅が始まる。


二人の『ローマの休日』である。


男はうまそうにカプチーノを飲み干すと、女の手をとって立ち上がった。


女は甘えるように男に寄り添っていく。


楽しい時間の始まりである。


      ※※※※※※※※※※※※

 

美しい輝きを秘めた大粒のダイヤ達が、金や銀のリングにコーディネートされ、まるで呼吸をしているかのように並んでいる。


ガラスケースに小さな指をあて、さゆりは何度も白いくもりをため息でつくっていた。

 

どれもが洗練された美しいデザインでさゆりを魅了する。


プチ・ダイヤをリングの半分程に埋め尽くし中央に大きめのダイヤを配しているプラチナ地のリング・・・2000万リラ。(160万円)シンプルなゴールドのリングの中央をほんの少しだ、けねじるようにアクセントをつけ、大粒のダイヤを4本の爪が支えている・・・1000万リラ。(80万円)太めのリング地をわざとプレーンに野暮ったく仕上げ、中央の四隅にスリットの中にダイヤを埋め込んでいる・・・500万リラ。(40万円)さゆりは、それぞれを店員に出してもらい、指にはめてうっとり見ている。


後ろから夢中になっている天使を、優しく卓也が見つめている。


ただし、今日は絶対買わないことをきつく約束させられていた。


いくら愛し合っている仲とはいえ、フィレンツェの時みたいに片っ端から買われては申し訳なくて落ち着かないし、これからは自分のお金で買うとはっきり言われた。


でも、さゆりの持ってきたお小遣いではこれらの高価な品物は買えるわけもなく、今日はショッピングのウォーミングアップのような目的で、日本から出店しているデパートの中を巡っている。


それでもさゆりは、愛する男とこうして眺めているだけで幸せであった。


数件まわったあと、二人はティファニーのブティックに入った。


店内には現地イタリア人のスタッフが大半を占め、日本人のスタッフも数人日本の観光客の相手をつとめていた。


例によってさゆりはゆっくりショーケースを回っていく。


スタッフ達は若いわりにブランド物で全身を装っている可愛い天使を、微笑みながら見守っていた。


さゆりは時々後ろの卓也を確かめるように振り返ると、いたずらっぽい視線を送っては、唇から白い歯をのぞかせている。


その度に、男も優しい微笑みを嬉しそうに返していく。


中央に大きなブースが2、3個並んであり、そこに店内の目玉商品なのか大粒のパールのネックレスやエメラルドとサファイヤをちりばめたブレスレットなどが置いてある。


卓也はその中で指輪を一つ選んで、店員に出させた。


さゆりも好奇心に、目を潤ませてながめている。


卓也に促され指にはめてみると、まるでさゆりの為に作られたかのようにピッタリと合っている。


プラチナの地金に小粒のダイヤが一つ一つ丁寧にデザインされた模様の中に、コンピューターのIC回路のようにきめ細かく配置されている。


無数の小粒ダイヤの帯が中央で盛り上がり、今まで見ていたものとは比べものにならない程大粒の美しくカットされたダイヤ、が立て爪の中にひっそりと息づいている。


さゆりの頬はバラ色に染まり、店員の差し出す鏡に自分を写しながら、震えるようなため息を何度もついている。


そんな天使の顔を満足気にのぞき込んだ男は、店員と何やらボソボソ会話を交わしている。


「気に入った?・・・・・・さゆりさん。」


男が振り返り聞いた。


まだ夢から覚めぬように目を潤ませながら、さゆりは小さく頷いた。


「そう、じゃあ、これ買っちゃおうか?」 


男の言葉に目を丸くして、さゆりはおそるおそる指輪をはずすと店員にかえして言った。


「ええっ・・・でも・・・こ、これ・・・いくらなの・・・?」


男は内ポケットから出した財布から、カードを取り出しながら笑って言った。


「うん、4億リラなんだけど、今、セール中だから5000万リラまけてくれるって・・・安いだろ・・・・?」


「ふーん・・・。あらぁ、それはお得ね・・・って。ち、ちょっと待ってよ・・・。」


やっと我に返ったさゆりは、細い腕で男の大きな背中を懸命に押しながらブースを離れた。


店員はキョトンとした顔をしている。


後ろを振り返り取り繕った笑顔をして頭を下げながら、さゆりは男の手を引っ張り店の隅へ歩いていった。


「もー・・・・・びっくりさせないでよー・・・・。焦っちゃうじゃない、私あれ程買ってもらわないって言ったでしょ。それに何が安いのよっ。3億5000万リラよ・・・3000万円もする指輪っ・・・。あなた・・・す、すご過ぎるわ・・・・・・・。」


さゆりはしゃべりながら、いつかテレビで見た光景を思い出していた。


婚約したばかりの芸能人が、やはり高価そうなダイヤをまといながらかざし「指が折れそうです」と答えていたが、まさにそんな感触であった。


夢の世界に引き込まれるような、強烈で妖しい光を放っていた。


さゆりの頬は、まだ興奮で紅潮している。


卓也は残念そうに前いたブースのあたりを見ていたが、天使の目がきつく睨んでいるので、あきらめてカードを財布にしまった。


ふとそばのショーケースをながめると、さっきに比べると手頃な値段のアクセサリーが並んでいる。


これなら自分の手持ちのお金で買える範囲とわかると、さゆりはやっと安心して男の手をとって近づいた。


「あー、まだ心臓がドキドキしてるわ・・・やめてよね、絶対ダメよ。あんな事しちゃ。うふっ・・・でもきれいだったなあ、まるで夢の中にいるみたいだったわ・・・。あっ、見てみて・・・これ、前から欲しかったの。中学の時すごく流行っていて、大人になってこんなのプレゼントされたらなーって、ずっと思っていたのぉ・・・・。」


ショーケースにはニューモードのオープンハートが数種類並んでいた。


さゆりはそのうちシルバーのを店員に出してもらい、鏡の前でうれしそうに胸にあてて見ている。


「じゃあ、お姫様・・・これぐらいはプレゼントさせてくれる権利をいただけませんか?」


卓也がおどけた調子で、鏡の中のさゆりに言った。


例の頬を膨らませて考え込む表情をしたさゆりは、白い歯をこぼして微笑むと、鏡越しに男をながめながら肩をすくめて答えた。


「本当・・・いいの?じゃあ・・・買ってもらっちゃおうかなー・・・っと。」


男はうれしそうにカードを店員に渡した。


「そうだ、イニシャルを入れてもらおうか・・・・。ホラ、昔映画であったじゃないか。ちょっと、かいてごらん・・・・・・。」


男は手帳とペンを取り出し、さゆりに差し出した。


女は少し照れながらも少女の頃から憧れていた、好きな人にオープンハートを送られるという事が実現して幸せだった。


さらにイニシャルまで入れられるなんて、すごくうれしかった。


このぐらいの甘えも許されるのではないかと自分にいいきかすのだった。


『SAYURI YOSINAGA』


手帳に書き込んださゆりは、少し考えて言った。


「でも、これじゃあ長すぎるし、S・Yでいいわ。これならすぐできるでしょうから。」


男は店員と会話を交わし、さゆりに言った。


「だいたい十五分ぐらいで出来るって。その間、他のを見てようか。」


「じゃあ、私ちょっとお化粧直してくる・・・・。」 


さゆりは今興奮状態だったので、それを沈めにトイレに歩いていった。


その間に卓也はサインをし、精算をした。


女性用の洗面台は大きくゆったりと作られていて大理石のカウンターにアンティークな真鍮の蛇口がついており、その上を大きな鏡が壁に組み込まれている。


さゆりは冷たい水で手を洗い、軽くファンデーションを整え、ルージュを塗り直して鏡を見た。


広子に買ってもらったヴァレンチノの薄いグリーンのワンピースに白いジャケットをはおっている。


耳にはこれも卓也に買ってもらったカルティエのダブルハート。


白く細い手首にはポメラートのブレスレットが光っている。


どれもこれも、高価なものばかりであった。


そのせいもあって、ひやかしにもかかわらず各店での応対は良かった。


やはり外国では相応の格好をしていかないと、ハッキリ態度に出る。


今まで何度かブランド物の買い物を数回してきたが、歴然とした差があった。


さゆりは戸惑いに似た気持ちを持ちながら、幸福に頬を染めている自分を見つめている。


(私・・・何だか自分じゃないみたい・・・・・。今回の旅行はいろんな事があり過ぎてもうビックリしっぱなしでよく分からないわ。でも、いいのかしら、これで・・・。こんなに高い物ばかり買ってもらっちゃって。)


真剣な表情でしばらく見つめていたさゆりは、やがて小さくため息をつき、にっこり微笑んで鏡の中に自分に言った。


「まっ・・・いっか。あんまり考えてもしょうがないし・・・・。今、とっても、幸せなんですもの。神様・・・少し大目に見て下さいね。」

 

そして元気を取り戻すと、バッグを持ち店内で待つ卓也の元へ戻っていった。


卓也を見つけ微笑みながら歩いていくと、もう精算は終わっていて男が包みを差し出して言った。


「はい、お姫様・・・・・。」


さゆりはうれしそうに包みを受け取った後、うつ向いて言った。


「どうも・・・ありがとう・・・・。」


 二人が腕を組み連れだって店を出る時、店内のスタッフが一斉に立ち上がり深々とお辞儀をした。


さゆりはイタリア人スタッフの、たどたどしい日本語の挨拶を聞いて振り返りびっくりした。


こんな光景は外国では初めてだった。


たかがオープンハートのシルバーを買ったぐらいで・・・今よっぽど不景気なのか、それともやはり日本人の店は応対が違うのかなあと感心した。


どちらにしても、いつもと違うリッチな気分に浸りながら卓也の腕をとり幸せをかみしめていた。


二人きりのローマは始まったばかり。


ローマ一日目の買い物は、イニシャル入りのオープンハートだった。


ひとしきりブティックをひやかしたあと、バールのカフェテラスに座ったさゆりは満足そうに言った。


「あー、おもしろかった。やっぱり、買い物は最高・・・。ふふっ・・結局、あれから何も買わなかったけど・・・。」

小さく舌を出して微笑む天使を見つめながら、卓也が言った。


「開けてみれば、その包み・・・。」


ウエイターがカップを運んでくると、卓也はさっきもらったおつりをそのまま渡した。


ゆっくり丁寧に包みを開けているさゆりを見つめながら、男はカプチーノの香りを楽しんでいる。


さゆりはティファニー独特のジュエリーケースの蓋を慎重に開けた。


シルバーのオープンハートがキラキラと目を寄せて見つめる、さゆりの瞳に写っている。


「わあー、すてき。私どんな高価なものよりこのプレゼントが今までで一番うれしいわ。ずっと憧れていたの、好きな人から・・・・・。」


と、言いながら卓也の瞳に吸い込まれそうになって顔を赤らめた。

 

「つけてみて、ごらんよ。」


男が言うと、今しているイヤリングとブレスレットを丁寧にはずしバッグの中にしまうと、オープンハートを首にさげた。


白いうなじにシルバーのチェーンが光っている。


薄いグリーンのワンピースの上に清楚にハートが落ち着いている。


さわやかな印象がさゆりにピッタリで、卓也はうれしそうに見つめながら言った。


「よく似合うよ・・・きれいだ。」


さゆりはまだ頬を染めながら、手の中で光を楽しんでいる。


幸せのため息で作ったしゃぼん玉を、何個も浮かべている。


ふと卓也の方に顔を上げると、後ろに三人の男が立っていた。


どこかで見た顔だと思っていると、不意に思い出して恐怖に声をあげそうになった。


あの時の暴漢であった。


その時、これも見慣れた男が卓也の肩を叩きながら、陽気にまくしたてた。


イタリア語でよく分からなかったが、ミニサッカーの時のバールマンで握手をしながら礼を言っているようである。


それから三人の男は頭を何度も下げ、済まなそうな顔をしている。


一応、ツアコンで片言のイタリア語は知っているさゆりが通訳するには、この三人はこの間卓也を襲った暴漢で気の短いラテン気質から乱暴をはたらいたが、根は悪い奴ではなく今日はバールマンを介して謝りに来たのだった。

 

普段はここら一帯を流しているジェラード売りで、バールマンからあの時の二人を見かけたと聞いて、駆けつけてきたのだ。


卓也は笑顔で三人を許し握手を交わした。 


一人がバニラのジェラードを二つ持ってきて、さゆりに渡した。


卓也とさゆりは四人に笑顔で手を振り、歩き出した。


ジェラードの冷い甘さを楽しみながら、二人はローマの街を散歩した。


石だたみに靴音が心地よく響き、二人の影が一緒に動く。


空は澄みきった青空でローマの美しい建物がそこここに目に入ってくる。


二人はとりとめのない話をしながら、小さな雑貨店をひやかしたり美術館で名画を楽しんで午後を過ごした。


男の隣には女がいて、うれしそうに微笑んでは大きな瞳を向けてくる。


女の横には大きな背中をした男が優しく包むように肩を抱いている。


二人は幸せであった。


何でもない会話が二人を笑いに包み、目にするもの全てが新鮮な驚きを伴って心に入ってくる。


互いの手の温もりがうれしかった。


卓也は愛することの喜びをかみしめ、神に感謝した。


ローマの一日目は楽しく始まり、やがて終わろうとしている。


今日も卓也は生きている。


明日はどうだろう。


一抹の不安を胸にしまいつつ、隣で微笑む天使の手を強く握り締めた。

女は一瞬驚いた表情で男を見つめたが、やがて目を閉じると顔を上げた。


人影も少なくなったスペイン階段の片隅で二人はおごそかにシルエットを重ねた。


時計台が夕日で薄いピンクに染まりだしている。