第2話 - にぃ
夏の暑さも徐々に蝉の鳴き声とともに掠れゆく頃、久しぶりに彼女のやっているカフェの近くを通る。
そこからはいつもはしなかった、何かとても甘い匂いが漂っていた。その匂いにつられてつい、足がそちらへ向かってしまう。
「いらっしゃい。久しぶりだね。匂いに釣られてやって来ちゃった?」
お店の中に入ると相変わらず、がらんとした空間を彼女ひとりで独占していた。
よく潰れないで残ってるものだ。お金持ちなのかな?
「もうちょっとで焼きあがるから、先に行っててー」
注文通りに先にいつもの席に着いて、オープンキッチンでほんわかと作業をする彼女を眺める。
少し幼い顔立ちで長めの髪を後ろで一つに結い上げて三角巾を被り、何か嬉しいことでもあったのかるんるん。と弾むように作業とこなしている。
「今持って行くからー。っと……やっぱり難しいなぁ……。よし! できた」
何かひとりでぶつぶつと零しながらを終えてこちらへやってくる。
またホットミルクだろうか? だとしたらもう二度とここに来ないと胸に誓うことになりそうだ。少し肌寒くなってきているので何もおかしいことはないのだが、そこは前回の罪が重い。
「お待たせ。やっときてくれたんだね? もう来てくれないのかと思ってたよ。君は大事なうちのお得意さんなんだから、顔だしてよ?」
どうやら本当にこのカフェは閑古鳥が鳴いているようだ。
「はい。今日はもうホットミルクじゃないから安心してね。ちょっと上手くできなかったけど……。そば茶のラテにしてみましたっ!」
そば茶のラテ……?
それはとても独特な匂いを放ち、得体の知れないものだったが、上に乗せられたクリームの泡で作られた猫の顔に惹き付けられた。
「あ、アレルギーとかない……よね? ラテアートいつもと違うからあんまり上手くできなかったーごめんねぇ」
たくさん練習したんだけどなぁ……。と小さく零す。
そんな頑張って作ったものを崩して飲むのは少し申し訳ない気もするけど、飲まない方が失礼だろうな、と初めて飲むそば茶のラテに口をつける。
味は結構、好みが分かれそうな味だけど僕は好きだった。こういうのが大人の味なのかも知れないと少し自分を大人へと格上げする。
そんな様子に満足したのか、嬉しそうににこにこと笑う彼女。
「お気に召してくれたようでなにより。それじゃ君が釣られて来た甘い匂いの焼きたてのクッキーもどうぞ! 本当は好きな人に作ったんだけど君には特別だぞー、常連さんだからね」
そう言って照れ臭そうにこちらの頭を撫でる。
さっき自分を大人へ格上げしたばかりなのに彼女からしたら僕は子供のようだ。
でもそれが嬉しくて、でも恥ずかしくなって思わず首を振る。その喜んでるのか嫌がってるのかわからない反応に彼女はさして気にした様子もなく、わしゃわしゃと手を動かす。
彼女は何をもって僕みたいのに気をかけるのか。吹けば飛ぶような存在なのに……常連さんとはこういう物なのだろうか?
「ほら、食べてみてよ。毒味毒味」
お皿に並べられたクッキーをひとかけ口に運ぶ。
「どう?」
普段なかなか食べることのないものだからどうとは言えないがいつも食べている物よりかはだいぶ美味しい……と思う。
何より彼女が一生懸命作ったのなら美味しいに決まっている。このそば茶のラテとも結構合うし。
黙って次々とクッキーを頬張る。
「ふふ、そんなにお気に召してくれた? ありがと。さつまいも潰すの大変だったんだぁ……」
それを眺めながら彼女は少し寂しそうな、愁いを帯びた声で呟く。
「君は単純だなぁ……。こんな単純な物で、甘い罠で釣られて来ちゃうんだから。あいつも君みたいに簡単に釣られればいいのに」
そうしてお皿からひとつクッキーを摘んで口へ。
「もう少し甘くしようかな……」
彼女は彼女で悩んで大変そうで、単純と言われたことへの反論はそっと胸の奥へ飲み込むことにした。