鬱彼女

第1話 - #1

水谷なっぱ2020/07/06 13:40
フォロー

彼女は、同じクラスというだけの知り合いだった。

 その日までは。



 菱型高校。通称ヒシコウ。2年10組、三日月 沙斗子(ミカヅキ サトコ)。セミロングで手足がスラリと長い。美少女の部類に入ると思う。

 俺は三日月と同じクラス。田無 勅(タナシ タダシ)。どこにでもいる普通の高校生。三日月と俺は同じクラスだが、別段仲がいいわけでも、悪いわけでもない。廊下ですれ違えば「たしか同じクラスだよな。」とか思いながらも、挨拶をするわけでもない。向こうもたぶんそうだろう。



 ある日の帰り、下駄箱でたまたま、本当にたまたま三日月と遭遇した。帰りに同じクラスのかわいい子に遭遇できるなんてラッキーなことじゃないか。ここぞとばかりに声をかけた。それが間違いだったことは今ではよーくわかってる。いや、正解だったのかな。

 なんにせよ、俺はそこで三日月に声をかけちまったわけだ。

 「よお、三日月。お前も今帰り?」

 「……うん」

 俺、嫌われてんのかな。そう思うくらい三日月の返事はそっけなかった。そのまま彼女は何事もなかったかのように俺の前を通り過ぎていくはずだった。

 ぐらり

 まさにその表現がぴったりだった。三日月が突然倒れたのだ。それも俺の方に。慌ててなんとか抱きとめる。

 何、漫画の読みすぎ?同じクラスの美少女が俺の方に倒れこんでくるとか、なんてラブコメ?

 そんな俺の現実逃避をよそに、三日月はしばらく俺の胸に寄りかかり荒くなった呼吸を整えた後、下駄箱に手をついて持ち直した。

 「ごめん、怪我とかしてない?」

 さっきとは打って変わって心配そうに俺を見つめる三日月。怪我はしていません。むしろ先ほどの三日月の柔らかい感触で元気です。

 「俺は大丈夫だよ。三日月こそ、大丈夫なわけ?貧血?」

 「なんでもないよ、大丈夫。ありがと」

 かなり無理のある笑顔を見せて三日月はふらふらと帰宅していった。大丈夫なのだろうか。いや、あの調子では大丈夫ではないだろう。

 「三日月!!体調悪いなら送ろうか?」

 拒否されること前提で念のために声をかけると、三日月は少し驚いた風に振り向く。しかし予想通り、すぐにそれは否定に変わった。

 「ありがとう。大丈夫だから」

 三日月は、別に怒った顔をしていたわけでも、嫌な顔をしていたわけでもない。ただただ無表情だった。その瞳にはなんにも写っていなくて、耳に届いたはずの声は、心に届く前に霧散した。

 そんな顔。

 俺は追いかけることもできず、一人で帰路についた。



 翌朝、三日月は普通に学校にきていた。若干顔色が悪い気もしたが、普段からそんなに三日月を見ているわけではないので普段との違いはわからない。

 でもこれはチャンスだ。美少女三日月と仲良くなるチャンス!

 どうか引かないでいただきたい。健全なる男子高校生の頭の中なんてこんなもんだ。

 「おはよ、三日月。体調はどう?」

 「普通だよ」

 瞬殺。

 せめて

 「おはよう。田無君。心配してくれてありがとう。まだちょっと全快じゃないけど大丈夫だよ」

 くらい言ってほしかった。

 「何、悶えてるの」

 気が付けば三日月が不審者を見る目でこちらを見つめていた。墓穴を掘るってこういうことを言うんだろうな。

 「いえ、何でもないです」

 「そう。変なの」

 そう言ってクスリと笑う三日月。うああ、かわいい。いつもそうやって笑っていればいいのに。

 そうこうしている内に担任が教室へ入ってきたので、慌てて自分の席に着く。

 「はーい、おはよー。出欠取るわよー。いない人挙手ー。はい、いない人いないわねー。」

 担任教師の適当な号令により、ショートホームルームが開始した。



 昼休み、三日月の方を見ると普通に友人らと弁当を食べている。俺も普通に友人らと弁当を食べている。変わった様子はない。

 「なーに、女子じろじろ見てるんだよ。」

 クラスメイトの藤崎冬弥にからかわれる。

 「何も見てねーよ。」

 適当にごまかした。三日月が気になるなんて、ばれたら高速で学校内に広まってろくなことになりゃしない。高校生の噂話がろくな結果にならないなんて、一年のときに十分学んだ。しばらくすると弁当を食べ終えたらしい三日月はすたすたと教室を出て行った。俺は冬弥からのポーカー誘いを断り、三日月の後を着いていく。

 あれ?俺ストーカーじゃね?

 いえ、ただちょっと体調の悪そうなクラスメイトを心配しているだけなんです。そう自分に言い訳しながらも視線は三日月から離さない。

 三日月は屋上へ上がっていった。彼氏との待ち合わせだったりしたらどうしよう!! そんな妄想を打ち消しながらそっと屋上を覗く。しかしそこには誰もいない。

 「ストーカー?」

 俺のつたないストーカー行為はばれていたようです。給水塔の上に腰掛ける三日月が無表情でこちらを見ていた。

 「いえ、決して怪しい者ではないんです。」

 もはや言い訳にすらなっていない。三日月は無表情のままこちらを注視している。

 「知っているよ。クラスメイトなんだからさ。で、何で田無君は私をストーキングしていたのかな。」

 足をぶらぶらさせながら問いかけられる。男子高校生にその白い太ももはまぶしいので勘弁してください。ここは素直に開き直ることにした。

 「昨日、三日月の調子が悪そうだったから、様子を見ていました。これはもしかしてクラスのかわいい子と仲良くなれるチャンスかもしれないということで、三日月の様子がおかしいという建前の元ストーキングしていました」

 三日月の大きな瞳がすっと細くなる。しまった。これじゃどう聞いても、俺ただの不審者じゃん。校内じゃなかったら警察呼ばれるレベルだ。いや、三日月の機嫌次第では今この場に教師を呼ばれてしまう。教師か、警察か…。正直どちらにせよ今後の人生は暗いものになりそうで、あまり歓迎はできない。俺の逡巡に気づいてか気づかずか、三日月はクスクス笑って口を開いた。

 「そう。田無君は思っていたより変な人なんだね。かわいいっていうのはありがたく受け取っておくよ。だけどストーキングから発展する友情ってなかなか無いと思うよ。」

 おっしゃるとおりでございます。まっとうすぎて、反論のはの字も出てこない。しいて言うなら友情じゃなくて愛情がいいなあ。

 「それに私は必要以上に誰かと仲良くなる気はないよ。最終的にはいらない子扱いされるからね。」

 は……?何言っているんだ。いらない子?意味が解らなくて俺は困惑するが、三日月は続ける。

 「田無君は誰かに必要とされているかな。」

 「たぶん。親とか。バイト先の先輩とか。」

 「そう。羨ましいな。」

 薄く微笑みながら三日月は言う。俺には彼女の言うことが全く理解できなかった。羨ましいって、何が?何の話だ? 微笑む三日月の目は、全く笑っていなくて、どろりと闇が濁ったような色でとても、とても、怖い。

 でも、ここで引いたら男が廃る!

 「どういうことだよ。」

 「秘密。」

 そういってひらりと給水塔から降りた三日月は俺の横をすり抜けて屋上から出て行った。

 三日月は俺のことを「変な人。」と言ったけど三日月の方がよっぽど変な人だ。何がどう変なのかとかはうまく言葉にできない。でも何かが嫌だった。そこで俺は給水塔の上に何かきらりと光るものがあることに気が付く。

 「なんだあれ。」

 給水塔を登ってみたら、その光るものは空の薬のパッケージだった。三日月が飲んでいたものだろうか。とりあえずそのパッケージらをポケットに突っこんで俺も教室に戻った。



 帰宅後、そのクスリのことを調べた。それは抗うつ剤だった。

 そうか。

 三日月が言っていた、“いらない子”と言うのはうつ病を指してのことだったのだろうか。普通の高校生は精神病イコール気がふれていると思うだろう。俺だってそうだ。それがどんな病気で、どんな症状かなんてわからないけど、むやみやたらに触れてはいけないもののような気がする。三日月だってそう思ったからこそ、ああやって他人をかわしていたんだ。昨日ふらついていたのもおそらく薬の副作用だろう。眠くなりやすく、めまい、立ちくらみを起こしやすいって薬百科に書いてるし。

 三日月のことを考えてみる。彼女はかわいい。1年の時は何人かの男どもから告白されていたのを知っている。でも、誰かと実際に付き合ったという話は聞かない。きっと昼休みの時のようにかわしていたのだろうと、今なら想像できる。

 ここでようやく、昼の会話の何が嫌だったのかに気が付いた。

 そうだ。俺は自分自身のことを「いらない子。」と言った三日月が嫌だったんだ。彼女を必要としている人間は少なくともここに1人はいる。下心全快だけど。かわいいクラスメイトを間近で眺めたり、あわよくばあんなこともこんなこともしたお年頃なのだ。