鬱彼女

第2話 - #2

水谷なっぱ2020/07/06 13:40
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 翌日の昼休み、俺は再び屋上を訪れた。相変わらず三日月は屋上で薬を飲んでいた。

 「また来たの。田無君、真正のストーカーだね。」

 ちょっと三日月のセリフが胸に勅さったが、こんなことでめげてはいけない。昨晩自分がどうしたいかを考えた。最初はなんにも浮かばなくて、諦めたいとも思った。その末に、思いついたことをちゃんと彼女に伝えよう。

 「田無じゃない。勅と呼べ。俺はお前を三日月じゃなくて沙斗子と呼ぶ」

 「ストーカーの上に図々しいね」

 「何とでも言え。俺はお前の秘密を知っている」

 沙斗子はきょとんとした顔をする。そんな顔もかわいいがここでデレている場合ではない。

 「私の秘密?実は今日はパンツはいてないこととか?」

 「はああっっ!?」

 「冗談だよ」

 だめだ。完全に遊ばれている。

 「違う!! 俺は、沙斗子がうつ病なのを知っている」

 「ふうん。薬のパッケージでも見たのかな」

 何かなんでも見通されているのな…。しかし、そんなことでめげる俺ではないのだ。

 「そんなところだ。三日月沙斗子、俺と付き合え」

 「君、本当に図々しいね」

 あははははは。沙斗子はお腹を抱えて笑う。ひとしきり笑った後、真顔でこちらに向き直る。

 「嫌だよ。昨日も言ったでしょう。私はもういらない子と言われるのはうんざりなの。うつ病についてインターネットでもなんでも調べてみるといいよ。知れば知るほど面倒になる。君に私は重いよ。耐えきれないと思うけどね」

 そして困ったように笑って沙斗子は昨日と同じようにひらりと給水塔から飛び降りて俺の横をすり抜けようとした。

 しかし、昨日とは違う。俺は沙斗子の腕をつかんだ。

 「俺は、沙斗子が自分自身のことをいらない子だなんて言ったことを絶対に許さない。確かに俺にはお前は重いかもしれない。それでも、だからって支える努力を放棄するほど軟じゃない」

 「かっこつけてくれるじゃない。それでもお断りよ。何人の人間がそう言って逃げ出したか、君は知らないでしょ」

 「そうかもしれないけど。それでも俺は沙斗子のこと知りたい」

 「はっ。バカじゃないの」

 沙斗子は冷めた顔で遠くを見る。

 「あんたには関係ないでしょ。興味本位で人のことに口出さないでくれる? 迷惑だから」

 無表情でばっさりと言い捨てられた。彼女は、今までもそうやって他人を拒絶し続けたのだろうか。沙斗子の言うことは間違ってはいない。ただのクラスメイトの俺が沙斗子の触れられたくない事情をあれこれ詮索するのは、図々しくて、迷惑なことかもしれない。

 それでも。

 「それでも、何度でも言う。俺は沙斗子のこと知りたい。沙斗子からしたら迷惑でしかないかもしれないけど、沙斗子のこと、ちゃんと知って仲良くなりたい」

 「勝手なこと言うんだね」

 沙斗子の目が、すっと細められた。

 「ああ。自分勝手でわがままだ。でも引かない。今、俺が沙斗子を諦めたら、今まで沙斗子を見捨ててきたやつらと同じになっちまう。だから俺は引かない。お前にとって迷惑でも、お前が嫌じゃない方法を探して、俺はお前とわかりあいたい」

 「それが嫌だって言ってるの。なんなのよ、もう」

 「沙斗子」

 俺は真っすぐ沙斗子を見つめる。

 「なに」

 沙斗子の目は細められたままだ。

 「沙斗子がそうやって返事をしてくれる限り、俺はお前を諦めない」

 沙斗子が今度は大きく目を見開いた。

 「は……? なに……言ってるの?」

 「そのまんまだよ。」

 一歩、沙斗子に近づく。

 「もし本当に嫌で、関わりたくなくて、本気でウザいなら無視してくれて構わない。でもそうじゃないなら。沙斗子がなにがしかの反応を俺に示すなら、俺はお前を諦めない。」

 「っ……バカじゃ……ないの……」

 沙斗子はうつむいて、絞り出すように唸った。

 「バカ……っ!!」

 バシンッ

 沙斗子は俺の腹を叩いて走り去る。まったく痛くはない。

 「本当、バカだよなあ」

 一人きりの屋上に独り言が拡散した。



 帰宅後、早速うつ病について調べた。いろいろ種類があって、確かに厄介そうだ。一生まつわる可能性が高そうだし、症状次第では彼女は自死してしまうかもしれない。現時点で"自分は不要物だ"と言っていることから、すでにその可能性は高そうだ。まずは沙斗子の自暴自棄な感情を減らさせるところから始めてみようか。



 翌朝。

 「おはよう、沙斗子」

 「おはよ」

 名前を呼んでもらう作戦失敗。

 「沙斗子さん」

 「なに」

 「好きです」

 「なにが?」

 「沙斗子が」

 「物好きだね」

 いまいち俺の気持ちは伝わらないらしい。そりゃそうか。ちゃんと会話らしい会話するようになったのってここ最近のことだもんな。

 「そうかも」

 「そこ、肯定するところ?」

 沙斗子がクスクス笑う。それが嬉しかった。

 「だって俺、沙斗子のことあんまり知らないし。だから沙斗子のこと教えてください」

 正直に話す。

 たぶん、それが一番彼女に伝わる気がしたから。

 「また後でね」

 「ああ」

 担任がやってきたので朝はこれで終了。まあ十分なのかな。嫌なら無視されてるはずで、そうじゃなかったのだから、少しは受け入れてもらえてるって思いたい。何より”後で”と言ってくれた。まだ、先があるんだとわかって嬉しかった。



 昼休み。例によって屋上へ向かうと、例によって沙斗子は給水塔に座って足をぶらぶらさせながら薬を飲んでいた。

 「よお」

 「あ、本当に来たんだ」

 言葉とは裏腹に"予想通り"という顔で沙斗子は少し横にそれて俺の座るスペースを空けてくれた。俺も給水塔へ上り沙斗子の横に腰かける。

 「あのさあ、沙斗子は死にたいとか思う?」

 とりあえず直球に聞いてみる。遠まわしに聞いてもはぐらかされそうだったから。

 「死にたいかなー。わかんないなー。消えちゃいたいとは思うけどね」

 直球勝負は正解だったようだ。慎重に言葉を選びながら沙斗子に続けて話しかける。

 「俺は、沙斗子が消えちゃったら嫌だな」

 「他にも女の子はたくさんいるよ」

 「沙斗子じゃなきゃ嫌だ」

 「そう」

 ぷいっ。まさにそんな効果音を出していそうな動きで沙斗子は俺から顔を背けた。直球すぎたかな。そう思いかけたが沙斗子の耳が真っ赤なのに気が付いた。

 「沙斗子がいなくなったら、俺は嫌だ」

 再度、伝える。

 「……」

 沙斗子が無言で睨んでくる。しかし相変わらず顔は真っ赤のままで。

 これは…ツンデレ!!

 俗に言うツンデレってやつだ。初めてリアルなツンデレを見た。そうか。沙斗子さんはツンデレだったのか。思わずニヤニヤしてしまう。そんな俺の様子に気が付いたのか、さらに顔を真っ赤にした沙斗子はぱっと立ち上がり無言で給水塔から降りて走り去ってしまった。

 「あー、いじりすぎちゃったか」

 それでも少し前進。もう少し彼女が彼女自身を大事にしてくれるよう、頑張ってみよう。



 放課後、せっかくだから途中まで一緒に帰ろうと教室を出たところで沙斗子に声をかけた。

 「沙斗子!途中まで一緒に……」

 「勅―、教科書返すぞ。」

 ちょうど沙斗子が振り返ったところで邪魔が入った。思いっきり無表情で振り返ると、そこには元クラスメイトの笹井慶介が俺が貸した教科書片手に立っていた。

 「サンキュー、助かったよ。あれ?沙斗子じゃん。何、沙斗子こいつと仲いいの?」

 「ただのストーカー」

 俺の心が2重にえぐられた。えっ、なに慶介と沙斗子って名前で呼び合う仲なの?それってどんな仲よ!?

つか沙斗子さんストーカーって……昼間はあんなににこにこしてたのに……。

 「なーに呆けてんだよ。沙斗子にストーカー呼ばわりされて傷ついたの? 気にすんなよ。沙斗子はただのヤンツンだから。」

 「デレは!?ていうか、なんで慶介、沙斗子のこと呼び捨て!?」

 「慶介、余計なこと言うな。慶介は私の従弟よ」

 ぺしっと沙斗子が慶介の背中をはたく。

 「えっ!?従弟!?まじで。だって苗字違うじゃん」

 「沙斗子の母方の従弟なんだよ」

 「あ、そうなんだ」

 知らなかった。でもよかった。これで実は慶介が沙斗子の彼氏とか言われたら立ち直れなかった。むしろ俺がうつになりそうだ。

 「沙斗子、今日カウンセリングだろ?早く行けよ」

 「慶介が来なかったらとっくに行ってた。じゃあ、勅も慶介もまたね」

 「おー」

 「あ、沙斗子……。また明日な。」

 結局、沙斗子と一緒に帰れなかった。あ、でも今"勅"って呼び捨てだった! 一歩前進か!?

 俺は慶介をじろっと睨む。

 「おーまーえー。お前のせいで沙斗子と一緒に帰れなかったじゃねえか」

 「勅、沙斗子に気いあったの?そりゃ邪魔したな。でもあれは重たいぜ?」

 慶介は苦笑しながらも、まじめな声音だった。

 「病気のことかよ。」

 「それだけじゃないけどさ。沙斗子が何も言ってないなら、俺から軽々しくは言えないな。」

 いろいろと含ませるように慶介は沙斗子の方を見やる。彼女にはまだまだ、秘密がありそうだ。

 「でもさー、沙斗子かわいいじゃん」

 「黙ってりゃな」

 確かに沙斗子は病んでるしツンツンだ。でもたまに見せる柔らかい笑顔が好きなんだ。沙斗子の他人と距離を置くような態度も自分の闇に他人を巻き込ませないためではないかと思う。慶介を無視して沙斗子について思いふけっていると、慶介が呆れたようにため息をつく。

 「勅が沙斗子のことが好きなのはわかったけどさ、難関は多いぞ?」

 「たとえば?」

 「沙斗子の病気のこともあるし、家庭の事情もある。それにだ。沙斗子自身だけじゃなくてさ。沙斗子を大事に思ってんのはお前だけじゃないんだよ。まずは俺の姉貴だな。あれをなんとかしない限り沙斗子にはなかなか近寄れないぜ」

 慶介が眉間にしわを寄せる。慶介に1歳上の姉がいるのは知っているが名前や性格までは知らない。

 「そういや慶介の姉さんてどんな人?名前も知らねえや。」

 「名前は祥子。沙斗子とは違った意味で気が強い。おっかないぞー。沙斗子を妹みたいにかわいがってるからな。祥子姉に目の敵にされたら一生沙斗子には近づけないと思っとけよ」

 どんだけだよ。ふと気が付いたが勅は沙斗子の家族構成をまったく知らなかった。慶介に聞いても先ほどと同様に軽くあしらわれるだけだろう。一応噂レベルで一人暮らししているということくらいしか知らない。明日、沙斗子に直接聞いてみよう。いったん、沙斗子のことは諦めて慶介に向き直る。

 「まあ、今日はお前で我慢してやるから一緒に帰ろうぜ。」

 「失礼なやつだな。帰るなら急ごうぜ。姉貴に見つかるとやっかいだ」

 祥子という姉は相当な人物らしい。ふと気がついた。

 笹井祥子。

 そうだ、笹井先輩だ!! 男女問わず人気者の活発で明るい体育会系美少女・笹井祥子。クラスでも気のある男が何人かいた気がする。

 「お前の姉貴ってあれか!! 笹井先輩か!!」

 「まあ、俺、笹井だしな」

 「あれだろ?冬弥が好き好き言ってたスーパー美人」

 「冬弥のバカが何であの女を好きなのか意味不だけどそうだよ」

 慶介が苦虫をかみつぶしたような顔で肯定する。クラスメイトの冬弥は笹井先輩と同じく陸上部で、笹井先輩ファンだ。

 「つーかなに?お前の家系は美女ばっかりか?」

 「俺に聞くな。俺からすれば変な女ばっかりだ」

 まあ、幼いころから一緒に育っていればその良さもなかなかわからないもんだろう。もっとも慶介が沙斗子の良さに気が付いたら気が付いたで危険だからいらないんだけど。

 「笹井先輩って言えばさ、面倒見が良くて頼れるお姉さんって冬弥が言ってた気がするんだけど。違うの?」

 「まあ間違っちゃいねえよ。家でも外でも面倒見良くて世話焼きで、頼られたら嫌とは言わない。でもただ相手を甘やかすってこともしねえし」

 なにそれ、超いい人じゃん。

 「なんだけどさあ…」

 慶介の表情が曇った。

 「沙斗子については過保護が過ぎるんだよな。過ぎるの2乗だ。今まで沙斗子と関わって、去ったやつののほとんどは祥子姉のせいで沙斗子から去ってるんだと俺は思う」

 「確証はないわけ?」

 「うーん。沙斗子は自分が悪いとしか言わねえしさあ。祥子姉も何をいう訳でもなく沙斗子のこと普通に慰めてるし……」

 「でも慶介は笹井先輩が原因だと思ってるんだ?」

 こればっかりは姉弟だからわかる勘というやつなんだろうか。

 「俺には今の話だけだとよくわからん」

 「だよなあ。悪い。忘れて」

 「んな、無茶な」

 しかし笹井先輩とは、なかなかやっかいそうだ。よくわからなかったが、わからなかったなりに慶介の言わんとすることがじわじわと身に染みる。こっそり脳内メモに名前を刻んだ。