第9話 - 化け物:5 【怪異の森】
暗闇の中、ぼとぼとと血が落ちる。
激しい金属音と、血が落ちる音だけが静かな森に響く。
ガキガキガキガキン!!!
「・・・はあ、・・・はあっ・・・!!!」
「っ、そ・・・こ!!!!」
セレナが後方に放った鎖は剣に弾き返され、セレナの頰を掠める。
「・・・っ!」
「隙だらけよ、お嬢さん!!!」
セレナの首めがけて容赦なく放たれた斬撃。間一髪で避けたセレナは、しかしよろめき大地に倒れこむ。
「・・・おしまいね。」
既にディディは、セレナを生かそうという気持ちを消していた。
自分を生かす為、仲間たちが死んだ時から。
何としても生きて帰る為、たとえセレナを殺してもこの森を脱出するのだという覚悟が。
死んでいった仲間達の命が、その細い刀身に乗せられていた。
「・・・急に反撃が弱くなったけれど。とうとう魔力切れ?」
大地に倒れ伏し、息を切らせるセレナはぼろぼろだ。
肩からの出血、長すぎる肉弾戦。
それでも、セレナの魔法はまだまだ尽きない。片腕を失った相手を仕留めるのに、ここまで手間取る理由はなかった。
セレナがディディを追い詰めている。その事実は未だ揺らいでいない。
それでも、セレナの手が震える理由は。
「貴方、どうして動けるの。そんな、そんな体で・・・!やめなさいよ、もう、死んでいるのと同じじゃない・・・!!」
セレナは込みあげる吐き気を抑え、顔の潰れたディディを見つめた。
人間の部位が残っている場所の方が少ない。
皮膚はほとんど全て削げおちている。剣を握っているのは筋肉のへばりついた骨だ。歩くたび血痕が大地に染み着き、言葉を発するたび潰れた頰からぼたぼたと血が落ちる。
セレナの悲痛な声に砕けて半分になった頭蓋骨がけたけたと笑った。
「やっぱり優しいのね、お嬢さん。血が苦手なの?無理に戦場に立ったりしなければいいのに。」
「う・・・え・・・っ。」
セレナは口を押さえる。
先ほどまで凛として部下たちを率いていた美しい女性は見る影も無い。
セレナが潰した腕、セレナが砕いた頭。セレナが刺した槍。セレナが削いだ皮膚。
セレナが与えた傷が、セレナを追い詰めようとセレナに迫る。
「そんな、そんな魔道が許されていいはずがないわ。貴方の目にはどんな世界が映っているの・・・?」
「魔道は使えないの、私。これは、他の人に魔道をかけてもらったの。痛覚を鈍らせて、恐怖を鈍らせて、感情を鈍らせて・・・人らしく振る舞えるようになるのは大変だったけど、仲間も、地位も、力も手に入れられた。こうでもしないと、魔道の使えない人間は戦えないのよ。ルーヴみたいな例外を除いてね。」
「いや、来ちゃ駄目・・・!!!」
だってそこには。もうこれ以上彼女が崩れるのを見たくない!
セレナの絶叫に首を傾げたディディ。その歩みがぴたりと止まる。
ディディが踏み抜いたのは魔道のトラバサミ。獣を狩るにも大きすぎる巨大なトラバサミが、ディディの真っ赤な足を食らった。
ばきん、とディディの右足が砕かれる。
「ーーーーっ、もう、おしまいよ!おしまいに、してえええええ!!!」
セレナは左足を鎖で巻き取り、潰した。
暖かいものがぷしゃりと顔面に飛び。セレナは思わず目を塞いだ。
「・・・っ」
そして恐る恐る目を開く。
片足をトラバサミに阻まれ、電池が抜けたようにディディの動きが止まっていた。
ようやくディディの歩行を止められる。安心して息を吐いたセレナに
「あら、ありがとう。高さが違うと歩きにくいのよね。」
絶望的な声。
がきん。
ディディは自らの右足を叩き切った。
ディディの膝だった場所が、大地を蹴り、セレナに飛びかかる。
「ひ・・・・・っ!!!」
ぼとぼとぼとぼと!!セレナの頭上から降り注ぐディディの黒くなった血。
「もう、いやああああああ!!!!!」
セレナの絶叫に呼応するように鎖がディディをはじき返す。
「・・・そんな顔で見ないで頂戴。確かに私は化け物みたいな姿になってしまったけれど・・・貴方が本物の化け物じゃない。そんな翼を生やして、私の仲間を残忍に殺し尽くして。ねえ、お嬢さん?」
「ちが、ちがうわ!!貴方は人よ、こんなことあっていいはずはないわ!!そんな魔道を施したのは誰なの!?そんな下劣な、人の道理を捻じ曲げるような魔道を平気で振るう悪人は一体誰!?」
「・・・化け物なのに、優しいわね。こんな姿でも、私のことを人と呼んでくれるの。」
人より、よっぽど人らしいわ。とディディの無くなった表情筋が僅かに緩んだようだった。
「でも、もうおしまいよ。貴方を倒して私はここを出る。肉片が一欠片でも保護区にたどり着けば、私の体はすぐに復元できるもの。今度は万全の準備をしてここに戻ってくるわ。・・・その震えた手で私を止められる?」
「・・・止めるわ。絶対!タイタンを貴方たちになんか絶対に渡さない!!」
私はまだ折れていない。私はまだ戦える。私はまだタイタンを守れる。
光を取り戻した月光が、眩しく、眩しく光り輝いた。
「・・・そう。ねえ、お嬢さん。」
ディディが振りかぶった剣がセレナの頭上にきらめく。
「私の部下が、タイタンさんを捕らえたそうよ?」
「な・・・・・っ!」
平時のセレナなら絶対に見抜いた嘘、ブラフ。
しかしその嘘は僅かに、限界の精神状態のセレナを鈍らせた。
「・・・あ!!!」
気づいたセレナが慌てて防御するが、遅い。セレナの腹部に全力の蹴りが叩き込まれた。
「ぶ・・・・っ」
膝だけの蹴りだが、見事に鳩尾にめり込んでは致命。
体の空気が全て口から吹き出し、セレナは思い切り岩場に叩きつけられた。
「あ・・・・あ、うあああああ、」
呼吸がままならない。息を吸い込んでも、吸い込んでも、足りない、足りない、足りない!!
絶叫し地面を転げ回るセレナに、ざり、ざり、と肉塊が迫る。
絶望が歩み寄る。
「お母様・・・お母様。助けて、お母様・・・」
うわごとのように呟くその唇が震える。
涙に滲む視界。人の形をした影が、こちらに迫ってくる。
「・・・あ。」
今夜は新月。
美しい月は瞼を閉じ、空からその姿を消す。
月を追いかける狼も、愛しい銀色に焦がれて寂しく吠えるしかない、そんな夜。
しかし、その男にそんなものは関係ない。
彼にとっての月は地上にあり、新月の夜も眩しく翼を広げ輝いているのだ。
その光を守ると誓った。月が光り輝く限り、狼は何があっても彼女を見つけられる。
月が彼を見放さない限り、彼はどこまででも月を追う。
風に靡く狼の耳は彼女の声を逃さず聞くために。
その鼻は彼女の匂いを嗅ぎ分ける為に。
悠然とそよぐブルーグレーの尾。
触るな、触るな。俺の宝物に、触るな!!
セレナの滲んだ視界に、煌めく大剣と、怒りに輝く楔色が飛び込んだ!
「がああああああああああ!!!!」
その絶叫にディディが気づき、慌てて振り返るも。
その瞳がタイタンを映すより、ディディの後頭部が叩き潰されるほうが早かった。
「タイタン・・・?」
がちゃん。剣を鞘にしまったタイタンはセレナに歩み寄る。
「どう、したの、その耳・・・」
タイタンの姿が、おかしい。
人間の耳があった場所は上にまっすぐ伸び、毛むくじゃらの獣耳が生えている。
「しっぽ、が・・・ふさふさ。」
尻から伸びた尾が、ブルーグレーに輝き。
「タイタン、タイタン?ねえ、どうしたの。ねえ、聞いている?」
心無しか牙も伸びている。
「タイタン、どうしちゃったの!?ねえ、一体何があったの!?答えなさい、答えてよ!ねえ!!」
その姿はまさしく異形。そう、まるで化け物と嘲られ続けたセレナと同じ・・・
タイタンに何かが起きてしまった。タイタンに言葉が通じなくなってしまったら?タイタンの魂までもが変わってしまっていたら?このままばくりと食べられてしまったら?
どうしたらいいのだろう。
無言で迫ってくるタイタンに怯えたセレナは、かたかたと震える。
閉じられた目。映るまぶたの裏が僅かに暗くなったことで、タイタンが目の前にやってきたことを理解した。
おそるおそる目を開く。
タイタンが、体を起こしたセレナの元に膝をついていた。
その腕がセレナに伸ばされ・・・セレナをぎゅう、と。力強く抱きしめた。
「・・・会いたかった。」
セレナの肩に、タイタンの顔が埋められる。
「会いたかった。もう、帰って来ないかと思った・・・!やっと、見つけた・・・!」
セレナは気づく。セレナの背中を、暖かい雫が伝っている。
あのタイタンが、泣いている。
「タイタン・・・」
「俺が酷いことを言ったから。このまま1人でセレナさんが死んでしまったら、どうしようと、思った。無事で・・・よかった。殺されてしまうかと、思った・・・!」
「・・・ふふ、私が簡単に負けるわけないでしょう?タイタンは泣き虫さんね。」
ずっと、セレナが勝手に家を飛び出すたびに、タイタンはこんなに不安になっていたのだろうか。泣き出したくなるくらい不安な気持ちを必死に抑え込んで、セレナの前で必死に格好つけていたのだろうか。
ここにしか居場所がないのに。タイタンには他に帰る場所などないのに。
セレナがここを出て行けと繰り返すたびに、タイタンの心は泣いていたのだろうか。
「・・・私こそ、酷いことを言って、ごめんなさい。酷いことをして、ごめんなさい。」
タイタンの小さく丸まった背中を撫でさすった。そしてタイタンの背後に目を向け、セレナは息を飲む。
「タイタン、どいてッ!!!」
タイタンを突き飛ばしたセレナの手元に、銀色の光が命中する。
「・・・まだ動けるの。信じられない・・・」
腹に突き刺さる直前でセレナが握りしめた刃。
ぽとぽと、セレナの手から血が流れ落ちた。
ディディの体はタイタンに真っ二つにされた。
その真っ二つにされた右半身が、剣を振るっている。
膝だけの一本足。どういう理屈で歩いているのかわからない。
大剣で裂かれたぐちゃぐちゃの断面から、ぼとぼとと内臓がこぼれ落ちる。
小腸と大腸、膀胱と子宮。全てが腹のなかでかき回されても、それでもディディは剣を振っていた。口を裂かれ、もう言葉を発することができない唇が、ゆっくり言葉を形作る。
ばけもの、ばけもの。と。
ディディは混乱していた。突如現れた謎の化け物に。
人の顔から生えた獣耳、長い尾。隆起した筋肉。人と獣が歪に入り混じった悍ましい姿。
この森には、ルーヴとこの少女以外にもう1匹化け物がいた!
ここは恐ろしい化け物が2匹も住む、怪異の森。
ああ、ここは怪異の森であったのだ!
2匹の化け物が、侵入する人間を殺し尽くしていたのだ!
ああ恐ろしい。悍ましい!
・・・ぎらぎらとまっすぐこちらを睨む4つの目。
追い詰められたディディの目に映る4つの光がディディの精神を削る。
悍ましい、人の理解を超えたもの。宝石のようだと、どこか美しく思ってしまう自分こそが悍ましい?
翼を生やした異形。尾を生やした異形。異形、異形、異形!!
気色悪く変形した獣の耳。風になびいた銀の化け物の耳から生えた羽根。
私たちと同じ場所に生えている。
それで人間を模倣したつもりか、化け物。
人を真似た化け物が、人よりも完成された美を湛えているなんて、認められない!
そう、化け物達は美しかった。ディディが今まで知り合ったどんな人間より美しかった。
白銀の翼は悠然と広げられ、暗闇で煌々と輝き少女の完成された美貌を照らす。
彫刻のような筋肉を持ったもう1匹の化け物。ゆらゆらと揺れる尾の透けるような蒼色。
その化け物は美しい。その姿が美しいことこそが人間の否定であるようだ。
自分たちは世界に愛されていると。滅びゆく人間よりも先に進んだ生き物であると、語る。
認めたくない事実がディディを追い詰める。あいつらは悍ましい化け物なのだ!そうでなくてはいけないのだ!
ディディは剣を構える。戦う。負けない。負けてたまるか。
2匹の怪異が、今、ディディを殺そうと、暗がりの中ゆっくりこちらへと歩み寄る。
「・・・あんたに化け物呼ばわりされる筋合いはないと思うがな。」
胸糞悪い、と、タイタンは吐き捨て、剣を構えた。
「セレナさん、これは魔道か?」
「・・・っ、そうよ。誰かがこの人に魔道をかけている。タイタンに魔法陣を刻んだ時と同じよ。この人、どれだけ傷つけても、動き続けて・・・」
「セレナさん。」
タイタンはまっすぐ敵を見据えたまま、セレナに問いかけた。
「俺も一緒に、戦っていいか。これから先、戦場で、あんたに背中を預けてもいいか。」
「・・・タイタン。」
「俺が、もう血に濡れなくていいように。あんたが、もう人を殺さなくて済むように。その為に俺は戦いたいんだ。俺たちが幸せに生きるには・・・それしかないと、俺は思う。」
「・・・もう、殺さなくていいように、戦う・・・」
セレナはタイタンが傷つくのが嫌だった。タイタンが血に濡れるのが嫌だった。
タイタンの目に映る世界に、人を斬る感触の鈍さなどあって欲しくなかった。
それでも、ハンター達はやってくる。セレナの生活を脅かそうと。タイタンを連れ戻そうと。
血に濡れるのが自分だけであれば、きっとタイタンは綺麗なままでいられる、タイタンの世界を綺麗なまま守れると、セレナは思っていた。だけれど。
「・・・タイタン、お願い。私と一緒に戦って頂戴。・・・そんな幸せがあるなら・・・私も、祈りたい。」
セレナが血に濡れることを嫌だという、タイタンはそんな優しいひとだから。
きっと私たちを化け物足らしめるのは翼ではなく、尾ではなく。
その手に握った槍と大剣なのではないかと、タイタンが気づかせてくれたから。
もう、化け物から戻れないほどの罪を重ねてしまったけれど。
「了解だ。ありがとう、セレナさん。」
その名を忌み嫌う限り、きっと祈る権利くらいはあるはずだ。
かきん。セレナの槍が、タイタンの剣が、僅かに擦れて小さく音を立てた。
「時間がない。剣撃は俺が引き受ける、あんたはあの得体の知れない魔道を止めてくれ。」
返事を聞くより先に、タイタンはディディに向かい、駆け出した。
一瞬で視界から消えたタイタンに、セレナは焦って叫ぶ。
「・・・ちょっと!?無茶を言わないで!人の魔道を切り崩すなんて、術師の場所もわからないのにできるわけないでしょう!?」
「そいつの体から細い糸が見える!それを断ち切れ!多分肉片1つでもここから逃げられたら情報を持ち帰られる!いいからなんとかしろ!魔道の天才なんだろう、絶対失敗するな!」
「だーーーかーーーらーーーー!!!そういうところを直せと言っているのよーーー!!!!」
セレナは既にディディに襲いかかっている背中に叫んだ。
糸なんてセレナには見えない。どうして魔道のことなどこれっぽっちもわかっていないタイタンにそんなものが見えるのだ。魔道を極めたはずなのに、ああ、自信がなくなる。
「タイタンの、あの姿に関係あるのかしら。・・・集中して、見えるのならいいけれど。う・・・うーーん・・・」
セレナはじっとディディを見つめる。動揺した気持ちを、ゆっくりと抑え、落ち着いて。
それでもディディは赤黒い塊のままだ。糸なんてタイタンの勘違いではないのか。
「・・・だめ。魔道の仕組みが分かればまだしも・・・」
「お嬢さん。あれは肉体の機能を外部で補っているんだよ。」
セレナが慌てて振り返ると、背後に小柄な男が立っていた。
「だ、誰・・・?」
「いいから、僕の話を聞いてくれ。体内に魔法陣を刻んでいるんじゃない。ハンター協会の拠点に中継の魔法陣を置いて、細く細く魔道の線を伸ばして、魔道をここまで繋いでいる。欠損した肉体の機能、痛覚とか各種神経の機能抑制・・・そういったことを外部から補っている。肉体再生とか大規模な魔道はできない代わりに効果範囲がめちゃくちゃに広い、というわけ。」
「・・・脆い、ということ?」
ディアンは満足そうに頷く。偉そうな態度が鼻につくが、助けてくれるならこの際誰でもいい。
「あれはただの管だからね。本部から届く魔道をここまで届ける機能しかない。他人の魔道に無理やり干渉する、なんて難しいことだと考えるな。あれは魔道を通すただの管。ただの、管。」
「・・・ただの、管・・・ただの、管。」
「そうだ。あれはただの管だ。もっと・・・心で念じて。」
ディアンの手がセレナの肩に添えられる。空間に干渉する魔道が、セレナの体を通る。
ふわり、と。セレナの視界がくるりと一回転し、思わずセレナが目を閉じた・・・瞬間。
セレナの目に、ディアンの視界が共有された。
「・・・見え、た・・・!」
セレナの目に、はっきりとそれが映る。
森の入り口、その外からずっと伸びている魔道。神経系に負荷をかける魔道。
各種内臓機能を補完し、脳機能だけを維持。痛覚はほとんどない。
「ほとんど操り人形じゃない!なによこれ!」
セレナの目に見えたのは細い細い、ピアノ線のような管がディディに絡みついている光景。
ディディの体に突き刺さった箇所から魔道が延々と注ぎ込まれ、彼女の生命を維持している。
無限にガソリンを注がれる機械のようなものだ。彼女が痛みで動きを止めないように、ご丁寧に感情と痛覚を鈍らせて。無限に戦いを続けさせるためだけに、死という尊厳すら奪う、悪辣すぎる魔道がそこにあった。
「っ。お前、この一瞬で協会の魔道を解析したのか?」
セレナが理解した凄まじい計算式が同時にディアンの頭に流れ込む。
今ディアンとセレナはほとんどの神経を共有している。しかしセレナに耐えられることがディアンに必ずしも耐えられるわけではない。それでも、ディアンが気絶したらセレナの視界を維持できなくなる。
酷い頭痛で意識が飛びかけるのを、血が滲むほど指を噛んでディアンは耐えた。
とんでもない魔道負荷に気絶しかけるディランを放置して、セレナはぶつぶつ呟く。
「ええと、神経系は・・・これ。肉体保持は・・・こっちから伸びていて。なら、要は。同量の同じ魔道をこっちからぶつけたら、ショートして止まるわ。少なくとも、一番近い中継地点の輸送管は、壊せる!!タイタン!!」
ぶつん。神経共有が切れ、ディアンは倒れこむ。息を切らせて見上げた前方に、真っ白な翼が。
「っ、おい!あの戦いに割り込む気かお嬢さん!!おい聞けよ!!」
ぱたぱたと去っていく白い羽根が、激しい剣の応酬の中に割り込んでいく。
それは協会に使い潰される哀れな人間を救う天使のような。
はたまた、愛しい人狼の元に無邪気に飛び寄る小鳥のような。
「・・・助けてやった僕には礼もなしか。はあ・・・」
まああいつが助けるだろ。
ディランはそう呟いて寝転がり、薄青い空を見上げる。
新月の夜が、終わろうとしている。
がっ、がっ。
大剣と細い剣がぶつかり合う金属音だけが森に響く。
「太刀筋がなっていない。そんな生易しい剣で、俺に勝てると思うな。」
人狼の力を得てからというもの、タイタンの腕力、瞬発力、動体視力、体力、全てが凄まじく上昇していた。
大剣もまるで棒でも振るうかのような軽さ。本来あった重量がないことに違和感を覚えるくらいだ。
「・・・しぶとさだけは人一倍だな。全く、見苦しい。そんな悍ましい剣で、セレナさんに傷を負わせたのかと思うと、吐き気を覚えるくらいだ。」
悍ましいのはどちらだ、ばけもの。と。
そう動いた唇が、ゆっくりと弧を描く。
「・・・その言葉をセレナさんにも投げかけたのか。」
ダン!!大きく薙いだ体験に肉塊が吹き飛ばされる。
「セレナさんを化け物と蔑んだのか。」
ガツガツと、タイタンのブーツが音を立て肉に近寄る。
「二度と化け物という言葉を蔑称に使うなよ、人間ごときが。化け物でもなんでもいい、俺はセレナさんを愛している。セレナさんを蔑んだお前は、殺す!」
ぶつり。
肉塊の腹に突き刺された剣が、大地と肉を串刺しにする。
最早流れ出る血液もない。弾けた細かい肉片が、どぴゅ、どぴゅ、と大地に吐き出される。
しかしまだ、砕けた腕はタイタンの足をつかもうと、ずるずるこちらに這い寄ってくる。
かちゃん。3本しかない指が再び剣を握ったのを見て、タイタンが仰け反った瞬間。
「タイターーーーーン!!!!そこを、どいてええええええ!!!!」
耳に聞き慣れた声が飛び込んでくる。
ぎょっとして声の主を見る。魔道を使ったセレナが爆速でこちらに走ってきている!
「っ、セレナさん!?馬鹿、危ない、ぶつかる!!!」
「いいから、どいて!!!私に、任せなさい!!!」
セレナの脳はフル回転していた。
脳内で組み立てた計算式。紙に書いたら10枚は軽く超えそうなそれを、とにかく急いで頭に叩き込んだ。一文字でも忘れたら全てが瓦解する。他のことに脳のリソースは割けない!
覚えたそれがセレナの頭から消える前に、とにかく早く、早く、早く!
「くそ、俺の無茶振りを二度と責めるなよ!」
凄まじい速度で地面に激突しようとするセレナを、柔らかい何かが巻き取る。
タイタンはそのまま肉塊の剣を蹴り飛ばそうとする。しかしそのつま先の先に既にセレナの体があることに気づいた。
額から冷や汗が吹き出す。
タイタンの剣と肉塊の間に割り込んだセレナが、ゆっくりとしゃがみ、頬骨に手を添えていた。
一ミリでも大剣を動かせばセレナの柔肌に傷がつく。微動だにできなくなったタイタンに気づかないまま、セレナはその指先にそっと魔道を込めた。
丸い眼球が、ゆっくりとセレナを視界に入れ、その悲しそうな、痛みを堪えるような表情を捉えた。
「・・・おい!!あんた、なにやって・・・!!!」
タイタンが慌てる。この肉塊は剣を握っているのだ。あと僅か、この人間が剣を持ち上げればセレナの柔らかな腹から血が噴き出すだろう。
こんな状態で悠長に話している場合かと。タイタンは怒鳴りそうになり・・・気づく。
その指先が、筋繊維が、解けていく。
「死は、人に等しく与えられる尊厳であるべきよ。あなたの仲間も、弟も、あなたがそんな姿になってまで戦うことなんか望んでないわ、ディディ。」
ディディ。
セレナは肉の塊を、タイタンを貶めた蔑むべき人間を確かにそう呼んだ。
「もうお休みなさい。あなたは、とっくの昔に私に負けているのよ。」
ディディの瞳は、ゆっくりとセレナの月光を写す。
本物の月は今日は見えないけれど、いつか弟と見上げた月は、こんな風に美しかった気がするわ。安堵した瞬間、ディディの胸に、魔道で抑圧されていた感情が吹き出した。
怖かった。
いくら弟のためでも、数多のハンターが命を落とした地に踏み込むなんて怖くて仕方なかった。
不気味な夜の森のざわめきが怖かった。
自分を信じた部下たちの命の責任を負うのが怖かった。
少女が自分の体を次々削ぎ落とすのが怖かった。
こんな姿では二度と弟に会えないと。自分も化け物になってしまうことが怖かった!!
瞬間。
ぼろり、と眼窩から眼球がこぼれ落ちた。
最期に僅かに震えていた肩を、セレナは宥めるように、ずっと優しく撫でさすっていた。
「片付いたか。」
「あ、さっき助けてくれた・・・偉そうな男のひと?」
「・・・ディアンだ。偉そうは余計。」
懐いた小鳥のように、無邪気にディアンに駆け寄るセレナと・・・僅かな殺気。
ディアンはタイタンに生えた尾が、ふさふさ不機嫌そうに揺れ始めたのを見た。
「別に、お嬢さんとの蜜月の邪魔はしないよタイタン。ただ僕ももう行かないといけないから、今後の話だけはさせてくれ。」
「蜜月・・・?」
「・・・セレナさん、そいつを殺すからどいてくれ。さっき殺したハンターの部下だ、ディアンは。」
驚いたセレナが跳びのき、タイタンの陰に隠れる。満足そうにゆらりと一度揺れた尾。
意外とアホかも、こいつ。ディアンは呆れた。
「つれないな。一緒に戦った仲だろ、僕ら。」
「仲間かどうかは返答次第だ。どうだ、俺を見定めるのは終わったか。」
今後の話をしたいと言ったじゃないか。そう言いディアンはニヤリと笑う。
「・・・条件を1つ。飲んでくれたら全面的に協力してやるよ。ハンター協会と結界内の情報が欲しいだろ?」
不安げにタイタンを見上げるセレナの目。安心させるように頭を撫で、タイタンは漆黒の瞳に向き合った。
「月に一度。・・・まあ任務の間にバレないように立ち寄るから不定期になるけど。僕にお嬢さんを貸してくれ。」
「はあ!!?」
え、私?完全に部外者だと思い油断していたセレナが驚き震える。
「断る。」
「お嬢さんに聞いているんだよ僕は。・・・頼む。僕に魔道を教えてくれ。」
ディアンはゆっくりと頭を下げた。高慢な態度からは想像できない潔さだ。
「魔道って。貴方の魔道は・・・完璧じゃないの。空間に干渉するのかしら?さっきの魔道、本当に見事だったわ。」
「違うんだよ。・・・お嬢さんと同じさ。僕も魔道が変質してしまったんだよ。もっと幼かった頃・・・初めて振るった魔道はもっと別のものだった。」
ぴくり。セレナが僅かに動き、そして一歩踏み出した。
先ほどの怯えた少女の目が、剣呑な光を帯びたことに気づいた。あ、ここで話すのはマズかったか。
「やめて、その話は。・・・いいわよ。貴方が欲しいものはわかった。私も不完全だけれど、いいの?」
「いい。お嬢さんの魔道を見ればきっと何かを掴める。僕らが互いの魔道を見て互いに学ぶことは、きっと双方の利益になるはずだ。」
「・・・タイタン。この人は、信用できるのね?」
タイタンは思い出す。先ほどのディアンの言葉を。
何か2人の間に隠し事があるのは・・・正直死ぬほど気に食わないが。しかし。
「人間性は・・・信用していい。だが・・・ディアンの動向が協会にバレるリスクが高すぎる。俺は反対だ。」
「ああ、それなら心配しなくていい。僕はここから先結界内に帰る気はないから。というか隊ができる前からそうだったし。隊が壊滅した報告も書簡だけで済ませるつもりだ。隊がここに立ち寄ったことを知る人間はもう僕だけだし、疑われることもない。・・・心配なら書簡はこの場で書いてお前に見せるけど。」
「人間性は信用していると言っただろ。ならいい。協力してくれディアン。セレナさんが反対しないなら、俺はもう異論を挟まない。」
タイタンも軽くディアンに頭を下げた。しかしその尾は再び不機嫌そうに揺れ始め。
「・・・忠犬だなあ。」
「放っておけ。・・・長居すると悟られるんだろ。事情は俺から話しておくから、早く行くといい。・・・死ぬなよ。」
「そっちこそ。期待を裏切るなよ、英雄。」
ディアンはひらりと手を振り、セレナにウインクをし・・・タイタンが瞬きをした瞬間に目の前から掻き消えた。
その目にはなかったはずの光が戻っていたように見えたのは、登り始めた朝日のせいか。
家に帰り、やっと眠れると一息ついたのもつかの間。
タイタンはセレナを膝に乗せて尋問を開始した。
ゆらゆら揺れる暖炉の炎。ゆらゆら揺れる不機嫌な陰。
「タイタン・・・その、だから、言えないの。怒らないで・・・?」
「ずっとあんたと一緒にいたのは俺だ。あんたを守るのも俺だ。なんであいつと隠し事なんかする。」
タイタンは驚くと、ではなく、怒ると尻尾が出てしまう体質になってしまったようだ。
不機嫌そうにゆらゆら揺れる尻尾が、ばさばさとセレナの膝裏をくすぐる。
「男の嫉妬は醜いわよタイタン。いくら私が可愛いからってメロメロになるのもほどほどにしなさい?」
「・・・・・・・・ふん」
冗談のつもりだろうが、あながち間違っていないのが更に腹が立つ。
あまり今後可愛いと褒めるのはやめようと思う。最近は調子に乗りすぎだ。
片腕でチャイルドシートのように捕まえられたセレナが足をばたばたさせて笑う。
「ふふ、タイタン、タイタン・・・。ほら、腕を緩めて頂戴?別に逃げ出すわけじゃないんだから。」
言われた通り渋々腕を緩めると、くるりと対面に座りなおしたセレナが、ぎゅう、とタイタンを抱き寄せた。
「沢山心配かけて、ごめんなさい。もう勝手にどこにも行かないわ。約束するわ。」
「いい。俺も・・・そうだな。言いたいことがあったんだ。」
セレナの背中に回された大きな手が、ぎゅっとワンピースを掴んだ。
くる、と。セレナに巻きつくようにふさふさの尻尾が丸まった。
「化け物でも人間でもなんでもいい。俺はセレナさんがセレナさんでいてくれるならなんでも構わない。それだけが伝えたくて、俺は今日あんたの元に走ったのに・・・言うのを忘れていた。」
ぴたり、セレナの体が硬直し、瞳が開かれる。
「・・・っ。そう、ね。ふふ、まさか貴方が狼になってしまうなんて思わなかったけど。」
せっかく取り繕ったのに、ばさばさと背中に羽根が開いてしまった。ああ、驚いたのがバレバレだ。
それ以上、セレナは何も言わなかったが、膝から降りて後ろを向くとき一瞬見えた瞳が、いつもより潤んでいたように見えた。それだけで、自分の気持ちは十分セレナに伝わったと分かっていた。
寝るにしても、お茶を淹れましょうかと。セレナは背を向け水を沸かしながら、話しかける。
「その狼は・・・何者だったのかしら。そんな凄い力を持った狼なんて、私、知らないわ。」
「・・・・・」
きっとあんたが知っている狼だ。とはセレナには伝えられないのが悔しい。
タイタンが見たもの、セレナへの渡しもの。
おそらくそれは、崩落以前の世界の記録だ。以前読んだ歴史書と、いくつか似通う部分があった。
それが崩落を止める鍵になるとは、タイタンには到底思えなかった。わからなかった。どうしてそれが鍵になる?
そして最後の記録は、セレナの母の最期のメッセージ。
どうやってセレナに渡すのかもわからない今・・・口で伝えることが渡すことになってしまう可能性があるなら、最愛の母の最期の言葉をセレナに伝えることもできない。
隠し事が多いのはセレナだけだと思っていたが、これからはタイタンもセレナを責められなくなる。
「・・・とりあえず。俺が出会った狼は何故か魔道が使えて、俺の記憶を奪った元凶だった。そいつに頼まれたんだ。世界を救え、崩落を止めてくれと。その為に人狼の力をお前にやるから、と。・・・世界を救うための方法はこの森に用意されている、セレナさんのお母様がそれを用意したとも言われた。俺にあったことはこれで全部だ。」
「世界を救う、鍵・・・?」
「覚えはないか。」
「・・・また・・・・・なの。」
ごぼごぼごぼ。湧いた湯がセレナの小さな声をかき消す。
「悪い、今なんと?」
「その、覚えがないの。お母様からそんなことは聞いていないし・・・そんな夢みたいなもの、あるわけないわ。」
かちゃん。カップが小さく音を立てた。
「前にも言ったでしょう。魔道は奇跡でもなんでもないのよ。タイタンを信じられないわけじゃないけれど・・・無理よ。いくらお母様だって・・・」
「セレナさんのお母様は、崩落の原因を知っていたんだろう」
タイタンはぴしゃりと、セレナを遮った。
「・・・っ、知っていたってできることじゃないわ。」
「なんにせよ、やることは変わらないだろう。結界の修復ができて損はないし、森の本格的な探索を始めよう。あんたは乗り気じゃなさそうだけど・・・俺は探すよ、崩落を止める方法を。俺たちはもう誰も殺さなくてよくなる。あんたも俺も危険を冒す必要はなくなる。崩落に怯える必要もなくなる。そんな世界が手に入るなら、俺はそうしたい。」
こぽこぽ。カップに注がれた茶がタイタンに差し出される。
「安眠効果があるのよ、リス草には。・・・第一目標はお母様の研究資料。それは変わらないし・・・別に反対はしてないわ?ただ、信じられないってだけで・・・」
「・・・そうだな。意地悪な言い方をして悪かったよ。」
セレナはいつも通り上品に笑う。カップを持ち上げ、息を吹いて冷ましながら。
「ふふ、尻尾が消えたわ。私はお部屋で飲むから・・・タイタンも早く寝て頂戴ね?」
「ん、あんたもな。おやすみ。」
ことこと、ばたり。
セレナの扉が閉められた。
「・・・本当はね。やっと、1人で立てるようになったと思っていたのよ。」
窓から見える朝日は、新月の夜を既に青く塗り替えていた。
ああ、お母様の瞳の色だ。
「まだ、足りないの?まだお母様みたいな立派な魔導師にはなれないの?」
月夜はいつだって青空に塗り替えられる。
「・・・世界を救うのは、どうせお母様なのね。」
太陽は月のようにその姿を隠すような真似はしない。
「・・・・・・・死人になにができるっていうのよ。」
月は、太陽がなくては輝けない。
「ばか、ばか。大嫌いよ、お母様なんか。」
飲み干されたカップの底に淀む茶葉の屑。
「大嫌い・・・・」
がちゃ。タイタンが自室に戻る音がした。
夜更かしで疲れ果てた2人が爆睡する中、厳しい冬は終わりを告げ、世界は春を芽吹かせる。
時間は流れ、新たな年が始まる。
時が止まってしまった女にも、新たな時が流れる。
時を失った男にも、新たな時が蓄積する。
そう、この日、年の始まりのめでたい日。
人類保護区では春を祝いささやかな祭事が執り行われるこの日。
4059年4月1日。
名もなき大魔導師の遺した森は、2人の化け物によって怪異の森と成り果てた。