翡翠の星屑

第36話 - 思いがけない到着で

季月 ハイネ2020/06/28 16:52
フォロー

 人を探していく足が次第に海岸から離れていく。見渡す限り石しか転がっていない海岸では、人と出会える可能性も低いだろうと判断してのことだった。

 海辺から離れると、次第に木立の中へと入って行く。川でも見つかれば塩まみれの身体と服くらいは洗えるのだけど、現実はそんなに甘くない。一刻ほど歩いた今でも、川と思しきものは一向に見えてこない。生き物すら出会えず、人に至っては言わずもがなだ。


 そろそろ何か見つかってくれないだろうか。こちらの体力が持たなくなってくる。

 何も文句を言ってこないラスターだって、進む足は常より遅くなっている。彼女と比べれば年齢は上だし、性別も違うので体力はあるけれど、だからと言って無尽蔵ではない。さてどうしたものかと、空を仰いだ。木々の隙間から見える空の、なんと小さなことか。


「あれ」


 ラスターが隣でつぶやいたのをきっかけに立ち止まる。ちょうど見ていたのが同じ方向だったので、見つけたのは同じものだろう。


「煙……」


「だな」


 シェリックも頷く。目線の先には、細く立ち上った白い線が見えていた。


「誰かいるといいね。やっぱりお腹空いちゃった……」


 煙が見えたことで安心したのか、ラスターはお腹をさすりながらそちらを見やる。

 目が覚めてから、ラスターが持っていた飴しか食べていない。多少はましになったとは言え、空腹がちゃんと満たされたわけではないのだ。未だに二人とも空きっ腹なのはやむをえない。

 だからと言って今それを解消できるわけでもないし、どうしたものか。八方ふさがりとはこのことで――


「――おや?」


 向こうからやってきた男性が立ち止まる。人だ。見つけた煙から無人島でないのはわかったけれど、やはり実際誰かに会うと安心する。何とかなりそうだ。そんな希望すら抱いて。


「君たち、もしかして流されてきたのかい?」


 丸くなった目が自分たちの格好を示す。確かに、こうも酷いなりをしていては一目瞭然だ。


「ああ、そうです。この近くに宿屋などありませんか?」


「ううん……、申し訳ないけど、宿屋はないかな」


「そうですか、ありがとうございます」


 ならば、先ほど見えたあの煙の方向に行って聞いてみるしかない。とにかくこの格好をどうにかしなければ。そう思っていたら。


「――あのう」


「何か?」


 先の男性がおずおずと声をかけてきたのである。


「お困りなら、僕の家をお貸ししようか?」


「願ってもないことですが、よろしいのですか?」


「ええ」


 彼からすればこちらは得体の知れない人間だろうに。そんなことはお構いなしに、男性は朗らかに言ったのだ。


「ここに漂着する人は少なくないし、その格好では動きづらいだろう?」


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


「僕の好きでやっていることだから、気にしないでくれ。さ、こっちだ」


 背を向けて、男性は先導していく。ついて行こうとしたその時だ。後ろから裾を引かれ、シェリックは進もうとしていた足を止めた。


「なんだ?」


「あ、ううん。何でもない」


 ラスターの手はすぐに離れていく。後ろ髪引かれた様子が少し気にかかったが、大したことではないと結論づける。


「ほら、来ないと置いてくぞ」


「うん……行くよ」


 ラスターもどうしてそうしたのかわからないようで、裾を離した手をいつまでも見下ろしていた。


「ラスター、よそ見してるとまた転ぶぞ」


「……はーい。気をつける」


 男性に連れられながら、三人ともに歩いていく。煙の方へと近づいていくにつれて、海からは遠ざかり、代わりに木造りの家がいくつか見えてきた。

 木々に囲まれ、拓けたそこを居住としているようだ。ざっと見渡した限り十軒もないので、ささやかな集落、と言ったところか。


 舗装されておらず、けれども多くの人がそこを歩いたであろう様子がうかがえる、踏み固められた道。靴が砂まみれになるけれど、石だらけの砂浜と比べたらこちらの方が断然歩きやすい。

 ここから海を見ようとしても、木立が邪魔になっていて見えない。海から離れた奥には、他の家よりも大きい屋敷がひとつそびえていた。


「あれが僕の家だよ」


 男性はその屋敷を指さして言ったのだ。


「へえ……他にも人がいたんだね」


「あっちの方には誰も住まないからなあ。その様子だと、僕以外には誰にも会わなかったんじゃないかい?」


「お察しのとおりです」


 だからか。もう少し歩いていれば、もしかしたら彼以外の人に出会えたかもしれない。


「でも無理はないかな。用事がない限り、あっちには誰も行かないだろうし」


「そうなの?」


「僕が君たちを見つけたのは、運が良かったのかもしれないね」


 それを聞いて浮かんだのは、素朴な疑問だった。


「あなたはどうしてあそこに?」


「石を取りに」


 シェリックの問いに、彼は端的に答えたのである。


「石?」


「ええ」


「それに、僕はここの景色が一番お気に入りでね。たまに見に来るんだ。今日みたいに天気がいい日ならなおさらだ」


 立ち止まる男性がそれを示す。木立の間から見えるのは、いっそう明るい景色だ。


「ほらこの光景、凄いだろう?」


 そこは海から離れた高い位置。眼下には先ほど歩いていたあの砂浜があって、シェリックは目を見張った。

 歩いている時にも多少気にしてはいたのだが、こうして見下ろしてみるとよくわかる。陽の光を反射して、そこは色彩以上にまぶしい。ただの白、と称するよりは白光。きらきらと輝いているのはあの石だろうか。彼が取りに来たと言っていたのも、おそらくは同じ石だだろう。


「きれい」


「圧巻だな」


 忘れていた言葉を取り戻して、しばしその風景に見入る。感想もなくして魅入られるとは思わなかった。

 ほうと、ため息をこぼしたラスターの気持ちがよくわかる。


「なんか、別世界に迷い込んだみたい」


「気に入ってもらえて何よりだよ」


「あの石はどこにでもあるんですか?」


「あれは、この島の名物なんだ。輝源石きげんせきとか星輝石って、聞いたことないかい?」


「せいきせき……?」


 つぶやいたラスターが何かを思い出そうとして黙り込む。その様子を見て、先に思い当たった可能性が、シェリックの口を動かした。


「輝源石は星輝石の元となる石だ。つまりは、星命石の元となる石だな」


「そうそう、よく知ってるね?」


「たまたま最近話題に上がったもので」


 シェリックの説明で、ラスターはぽんと手を合わせる。


「そうだ。フィノから聞いたんだ。どうりで聞いたことあると思って――あれ。待って、それって……」


 シェリックはラスターと顔を見合わせる。


「ねえ、シェリック」


「考えてることは同じだな」


「うん。もしかして、ここって」


 逸る気持ちが彼女の表情に現れる。嬉しさが抑えきれない。そんな顔がそこにはあって――やがて少し陰りを帯びた。


「ああ。着いたみたいだな」


 湧かない実感が、そこに広がる景色を蜃気楼《しんきろう》のように映し出す。

 いかんせん格好がつかなかったのは、シェリックも来たことがないからだ。きっと感動する場面とは今みたいな状況を言うのであろう。


 けれども、隣にいるラスターの表情には、感動とはほど遠い想いが去来しているような気配がする。あえて名づけるというのなら、放心、がそれに近いかもしれない。嬉しいのに素直に喜べない。きっとそんなところだろう。


 こんな状況でたどり着くなんて、一体誰が思っただろう。

 過程がどうであれ、目指していた輝石の島にたどり着いたのだ。そこは幸運だと言えようか。

 ――いや、しかし、幸運だなんて。

 そんな何も根拠のないことにしていいのだろうか。本当に? 偶然にしては――


「シェリック? 行くよ?」


「――ああ」


 いつの間にか先へと進んでいたラスターに呼ばれ、現実に引き戻される。

 男性の後ろをついていくラスターがいて、跳ねた足が軽やかに見えた。一瞬見えたあの表情は嘘だったのかと思うほど。それならいい。

 あの気持ちを沈めてしまうのは忍びない。だから何も言わずにいよう。今は、まだ。