第25話 - 提示された選択肢
「まっ、おしゃべりはここまでにして、本題に入ろうか」
再度手が伸ばされる。強く目をつむると、横からとん、と音がした。片膝を突いて、リディオルは至近距離で目を合わせてくる。視線が、離せなくなって。
「なあ嬢ちゃん、王宮に来る気はねぇか?」
「――え」
思いもしなかった言葉を聞いて、反応に戸惑う。――王宮?
「いい素質を持っていると思うぞ? あの場でガローを作って勧める薬師なんて、そうそういねぇからな。誰もが自分の腕試しをしたい、その一心でクゥートを作るもんだ」
――それ、クゥートですか?
脳裏に蘇るのは、治療師見習いのセーミャが不思議そうにつぶやいたあの時。
「……そんなコトない。状況を考えれば、誰でもできるよ」
「その状況を考えるってのがなかなか難しいんだよな。結局、誰だって自分が一番可愛いんだよ」
ぐるぐるぐる。考える。
目の前のリディオルは、無言で笑っただけだった。
「まぁ、嬢ちゃんならわけねぇわな」
もたげた頭が怪訝な思いを深める。
「なんたって、あの村の生き残りだもんな? ――いや、生き残りなんて言ったら語弊があるか。村が全滅したって言っても、誰一人死んじゃいないし。無事だった嬢ちゃんは、あの村から逃げ出したんだよな」
固有名詞など一切出さない。それでも何のことを言われているのか、思い当たってしまった。取り繕う間すらなくて、身体が畏縮する。
「――どうして、それを」
面白げに細められた彼の目は、ラスターに知らないなどと言わせる気は一切ない。
「さぁて、どうしてでしょう?」
あれは三年以上も前のことだ。今なお調査されているなんて、思ってもみなかった。
「――やっ!」
額の『印』に触れられ、ラスターは力の限り首を振った。しかし、力の入らない現状では大した抵抗になるはずもない。彼の、寝台の縁に突いていた手が下ろされる。そうして、口を開いたのだ。
「今となっちゃ違うものだが、これはひと昔前までの薬師の印だよな」
「――ボクは、そんなの、知らない……」
そうだ、知らない。だから、きっと違う。
喉が張りついて、声にならない。
だって、母親に教えてもらうはずだったのだ。どうすれば薬師になれるのか、その方法を。だから、教えられていない自分はまだ薬師ではなくて、それを目指している最中であって。この印だってそんな大層なものではない。これは、母親からもらった、大切な――
「だったらあいつに言えるわけねぇよなぁ。『互いの過去には干渉しない』っつってたあいつにはさ。話したら絶対軽蔑されるもんな」
「――て、よ」
かすれた声が漏れる。
聞きたくない。
「嬢ちゃんは自分の村を、」
その先の言葉は。
「もうやめてよ!」
「っと!?」
渾身の力でリディオルを突き飛ばし、気のせいではない震えを隠すために手を握りしめた。覆い隠すように、強く。
――ラスター。
耳の奥に甦る、大好きな祖母の声。
――あんたは行っておいで。あとは私がなんとかしよう。大丈夫、たいしたことじゃないさ。あんたはあんたのできることをしておいで。
そこから人目を忍んであとにした村と、見送ってくれた祖母の笑顔と。
ラスターは、決して村から逃げたのではない。逃げてきたわけではないのだ。
「ははっ、嬢ちゃん意外と力あんな」
「――リディオルは」
出てきた声は酷く震えていた。恐怖なのか、怒りなのか。説明つかない身震いを抑えながら、ふさぎたい耳を懸命に立てて。
突き飛ばしたおかげで、少しばかり距離の空いたリディオルを見やった。
「……どこまで知ってるの」
「多分、嬢ちゃんと同じくらいには」
では、全て知っているのか。あそこで起きたことは、全て。
「まさか、ついでに調べてたことがこんなところで役立つなんて思っちゃみなかったけど、何でも調べておくもんだな。嬢ちゃんも覚えておくといい。知識と経験はいくつあっても足りないそうだ」
「――っ!」
視界の端、伸びてきた手をとっさに振り払う。払われた手とラスターとを、意外そうな顔で交互に見ると、リディオルは苦笑した。
「やれやれ。そんなつもりじゃなかったんだが、ずいぶん嫌われちまったな」
腕を抱え、縮み込みながらリディオルをにらみつける。もう、リディオルの望むものは何も渡さない。情報も、状況も、彼のしたいことは何ひとつとして。
「こっちとしてはどうしても嬢ちゃんの力を貸してもらいたいんだよ。な、ひとつ承諾しちゃくれねぇかな」
「嫌だ!」
ラスターは間髪入れずに言い返す。
絶対、嫌だ。何があっても。どんなことを言われても、望んだ通りにはさせない。
そんなラスターの様子を見て、リディオルはわざとらしく息を吐いた。
「勘違いすんなよ――所詮は暇つぶし、だろ。どうせやれることは何もないんだ」
「それはリディオルの、だよ。できることが何もないわけじゃないもの」
さっきは払えたけれど、手も足も、まだ自由には動かせない。そもそも体格で彼に勝てるわけがないのだ。
けれどもリディオルをにらむことだけは止めない。せめてもの反抗とばかりに。
過去は変えられない。過ぎ去ったことを変えるなんて、できやしない。だけど、これから先に起こることは、自分次第で変えられる。
だって、まだ途中だったのだ。シェリックに水を持って行っていない。時間が経てば、薬だって作ってあげられる。相対してしまった事態にだって、知らないとはいえ間違えてしまったことだって、変えることが可能なのだ。自分は何もできないんじゃない。――無力じゃない。
「じゃあ、こう言ってやろうか? 嬢ちゃんにあいつは救えない」
「そんなコトない!」
冗談でもそんなこと、言われてたまるものか。
「……冗談じゃない」
「冗談を言ったつもりはないけどな。今まで退屈だったんだろ? 丁度良い遊戯をさせてやるんだ。ありがたく思えよ」
言い返せない。そうではないと言いたいのに、だんだんと声を発するのも億劫になってくる。言葉が出てこない。言葉が出なくても、手が出せずとも、意志だけは彼の思い通りにはならない。そう決めて。
リディオルがかがみこんでくる。
「さて、選んでもらうぜ? なに、二択だからそう難しいことじゃない。嬢ちゃんがどちらかを選べば終わるんだ、簡単だろう?」
影が差し、真上から見下ろされる。つかまれた腕はびくともしない。彼に対する抵抗なんて、あってないものに等しい。それがわかってしまったから無性に悔しい。これが体格の差なのだと、思い知らされているようで。
吐息のかかる距離。耳元でゆっくりと囁かれた。
「これは、命を賭けた選択なんだからな」
「――っ!」
いつもよりも低い声音に、背筋が総毛立つ。もしも叶うなら、今すぐにでもここから逃げ出したいけれど、そんなことは不可能で。耳だけは鮮明に、遠くの風を拾っていた。