第19話 - 証明示すは彼の言
差し出していた器を危うく落としかけ、ラスターは慌てて手に力を込める。
女性は笑みをたたえたままで、怒りも焦りも見えない。それが逆に不安をあおられて。
「それは……」
「お、奥様!」
「私はこの方に問うているのです。口出しは無用ですよ、セーミャ」
口を挟みかけた治療師見習いは、しぶしぶ引き下がった。
――保証。
治療師の見習いであれば、薬草の種類は大まかにわかるのだろう。けれどもそれは、慣れている人にしかわからないものもある。見習いである彼女にどこまで判別ができるのか定かでないし、それだけでは完璧な保証とは言えない。薬と非常に似ているけれど、実は毒と呼ばれる草だったりすることだってあるのだ。
何かを試されているようで、次第に焦りが浮かんでくる。早く飲ませてあげたい。けれどそのためには、これが毒ではない保証をしなければならない。
誰にでもわかりやすく、説明するにはどうすれば――
「失礼」
ラスターの持っていた器が、後ろから伸びてきた手に奪われる。
「シェリ――」
携えられていた手巾が容器に巻きつけられる。彼は空の器に中身を少量入れ、少し減った薬湯はもう一度盆に戻されて。そうして移した方を、シェリックは無言で飲み干したのだ。盆に置かれた小さな容器が、やけに大きな音を立てた。
「あ――」
誰もがあっけにとられている中で、彼は言ったのである。
「こいつの腕は私が保証します。即効性はなくとも、万が一毒であれば私も共倒れするでしょう。それでもまだ疑うというのなら、この薬を差し上げない方が良さそうですが――いかがする」
唖然とした空気をものともせず、シェリックがそう言いきる。空になった器が何よりの証拠だと、彼はそう言っているのだ。
淡々と語るその背中を、今ほど頼もしいと思ったことはないかもしれない。
「――わかりました。その言葉を信じましょう」
今度こそラスターの手ずから盆ごと器を受け取り、女性はラスターに向けて言ったのだ。
「不快に思ったならごめんなさいね。あなたが私たちを害しようとしたのではないことはわかっています。あなたを疑っているのではありません。そうした立場にいるものですから、警戒を怠るわけにはいかないのです」
「そうなんだ……」
ラスターには想像もつかない世界。もしや、シェリックが言っていた『保険』とは、このことを見越してだったのだろうか。
「ううん。ボクにも配慮が足りなかったから……飲ませてあげて」
「ありがとうございます――セーミャ、お願いします」
「はい、お任せください!」
ラスターの器は女性から、呼ばれた治療師見習いへと渡される。セーミャと呼ばれた彼女はラスターに微笑みかけた。受け取られた陶器はその手から、いったん寝台にある卓上に。彼女は眠る少女の肩を叩いて起こした。
「キーシャ様。起きてください、キーシャ様」
「う、ん……」
布団がもぞもぞと動き、まだ夢心地にいるような声がした。
女性の影になっていたのであまり見えなかったが、寝ていた少女は金の短髪で、どこかで名を響かせている貴族の令嬢を思わせた。そうだ。船員の人と、そしてセーミャが『お嬢様』と言っていたのだった。
声と容姿から推定すると、ラスターと同じくらいの年齢のようだ。
「なあに、それ……」
熱に浮かされたぼんやりとした声音で、弱々しいものではあったがはっきりと聞こえた。
「お薬です。早く良くなりましょう?」
一度こちらをちらりと見て確認してきたセーミャに、ラスターは顎を引いた。間違いない。シェリックも証明してくれたのだ。毒などでは、決してない。
セーミャが背中に手を当て、少女の体勢を起こす。
「甘いけど――にが……」
「良い薬は得てして苦いものですよ」
「そう、なの……?」
「ええ、そうです。飲んでしまえばあとは効果を待つだけですから、嫌なことは早く済ませてしまいましょう?」
「そうね……」
途中で顔をしかめながらではあったが、木さじを使いながら時間をかけて飲み、器をセーミャに渡した。
「……ごちそうさまでした」
「はい、確かに。ゆっくりお休みください、お嬢様。すぐに良くなりますから」
「ええ、ありがとう……おやすみなさい、セーミャ、お母様……」
吐息にも似た挨拶を口にしたあと、少女は再び眠りについた。発される寝息は、先ほどよりも穏やかになりつつある。
「ありがとうございます。こちらの器、お返ししますね」
「あ、うん」
セーミャから返された器を受け取る。小さな葉くずが少しばかり残され、それ以外は空になっていた。
ラスターの吐いた息が、我知らず強張らせていた肩をゆっくりと下ろす。あとは薬が無事に効いてくれるのを祈るばかりだ。
薬効はあるとはいえ、効果が出るまでは個人差がある。それに関して、ラスターには何とも言えないのだ。
「あなたのお名前を、伺ってもよろしいかしら?」
セーミャの横、目礼した女性が尋ねてくる。彼女の物腰は柔らかく、とても丁寧だ。
「ええと、ラスター……です」
彼女に合わせて答えたものの、慣れない言葉遣いにしどろもどろになってしまった。敬語なんて普段使わないから、どう話していいのかわからない。見よう見まねという表現が一番合っている。
「私はシャレルと申します。あなたがいてくださって助かりました」
「大したコトしたわけじゃないケド……力になれたなら良かった、です」
「ええ、十分過ぎるほどです。どうもありがとうございました」
「ど、どういたしまして」
丁寧すぎるとどうしていいのかわからなくなる。
「あなた、いい腕をお持ちですね。うちの薬師に似て」
女性は目を細め、遠くを見るように言った。助けを求めてシェリックに視線を送れば、息を吐くのが見えて。もしかしなくてもあきれられたのだろうか。
「――この辺で失礼する。ラスター」
シェリックの瞳が行くぞ、とうながしていた。
「うん。あ、待って!」
船員が持ってきてくれていたらしい鞄を肩にかけ、陶器と盆をその手に持つと、シェリックの元へと走り寄った。陶器は鞄に入れても割れはしないだろうけど、これはさっと水で洗いたい。忘れないようにするためでもあった。
シェリックに続いて部屋を出ようとして、何か忘れたことに気づく。
ラスターは一旦部屋の中へと引き返す。
「失礼します!」
女性に向けてお辞儀をしてから、ばたばたと逃げるように部屋をあとにする。先に出ていたシェリックがそこに待っていてくれて、遠慮なく隣へと並んだ。顔が熱い。
「なんとかなったな」
「うん、良かった」
一時はどうなることかと思ったけれど、シェリックがいてくれたおかげだ。
「……でも」
「気になることでもあったか?」
「ううん。気になることっていうか――」
ラスターにとっては大問題がひとつ。
「……大人の言葉って、難しいね――って、笑わないでよ! ボク、すっごい悩んだんだからね!」
「っはは、わかったわかった。何を考え込んでるかと思ったら――くくっ」
そんなに面白かったのか。ところどころ顔を背けて笑わないでほしいのだけど。
「……ボクは、シェリックみたいに大人じゃないんだから、シェリックみたいにはいかないの」
ラスターは腕を組んでそっぽを向く。
大人になりたいと願っているのに、思いだけではどうにもならないことだってある。
「悪い。無理に誰かの真似をしなくたって、お前の言葉でいいだろ。伝えたい気持ちがあれば十分じゃないか? あとは……まあ、慣れだ」
頷きながら聞いていたのに最後のひと言で台なしにされた。
「経験とか積みながらーなんて言っちゃって、どうせ大人にならないとわからないってやつでしょ? 知ってるよそんなの。大人ってずるいんだもの。ボクたちには届く位置にいないんだから」
「そう言われると言い返せないのが辛いな。俺だったら――そうだな、おまえくらいの頃に戻りたい」
ぷうと膨らませた頬はすぐにしぼませて。
シェリックはおかしなことを言う。ラスターとはまるきり反対の意見を出したことに、首を傾げた。
「どうして?」
大人になったらなんでもできるのに。大人が子どもに戻りたいなんて、なんだか不思議だ。
お互いに自分にはないものを欲している。
「今と違って好き勝手できるからだよ。誰かさんみたいに」
含み笑いをしながら話すシェリックの視線の先。そこにいるのは。
「……それ、ボクのコト?」
「さてな」
ばっちり合わさった目を見返してみるも、シェリックは笑うだけで教えてくれない。なんて意地悪なのだ。
「ねえ――」
「――待ってください!」
言おうとした文句に別の声が被せられた。