
6章,京都大学を7回受けることに
中学の数学を徹底的に教え込んでいるうちに基礎が固まったのか、中年になって精神が鍛えられたのか、よく分からない。とにかく、「オリジナル」を2周、「一対一」も2周、「チェック&リピート」も2周、「京大の数学」も2周。並行してZ会の「京大即応」を8年間やり続けた。
その間に腕試しに「京大模試」を10回、「センター試験」を10回、「京大二次」を7回受けた。
そのくらいやらないと、優秀な生徒の指導には役立たない。成績開示をしたら、京大数学で7割正解だった。「暁6」の特待生、「国際科」の上位の子を指導しても困らなくなった。
しかし、そういう点数の問題だけではない。自分の中で大きな変化が起きた。数学アレルギーが全く消えた。トラウマが消えた。怖くなくなった。今では
「まぁ、たいていの問題は質問されても困らないだろう」
とリラックスして授業に臨める。当塾は、大規模塾のように準備した授業を一方的に話すスタイルではなく、生徒の質問に答える形式なので常に本番なのだ。
今では、英語より数学の方がはるかに面白いと思える。だから、私は19歳の時点で「文系」「理系」に分類することに疑問を持っている。人間はそんなに簡単に分類できるものではない。
文系だった私が今では
「この世の現象は数式で表現されない限り、分かったと言えない」
と信じている。これは、完全に理系の発想だろう。
学校では習わなかった「数学3」も独学で勉強している。そうこうしているうちに30年も過ぎてしまった。まさに、
「少年老い易く学成り難し」だ。
ただ、分かったことがある。私は自分の指導させてもらっている理系女子のような才能はないのだけれど、人の何倍も苦労して数学を身につけたために「生徒はどこでつまづきやすいのか」がよく分かるようになった。これは、数学講師としてはスゴイ武器になるのだ。
ひっくり返って、病院送りになったり、受験会場で不審者扱いを受けて入場拒否をされたり、みっともないことが多かった。お世話になったホテルの人も最初は送迎バスは父兄は乗れないと勘違いしてみえた。
しかし、それもこれも必要なことだった。
「とても頭に入らない」が「わかる!」に変わる瞬間を知った。
こうして、今は英語と数学の両方が指導できる講師として重宝されている。
考えてみると、高校生の時に吐きそうな思いで数式を見ていた時から30年が経過した。高校生の方は私もそうであったように2年後、3年後しか見えていないはず。そりゃ、そうだ。私もまさか自分がアメリカで生活したり、数学Ⅲを勉強するハメになるなんて予想ができるはずがなかった。
父は亡くなる前に自分が大学入試に落ちた話をしていた。戦争で中国に行ったとも言っていた。大学に行って戦争に行くのを避けようとしたのだろうか。今となっては分からない。
私の進学に強い関心を示していたのは、自分の原体験があったのかもしれない。もっと優しく接していたらよかったが、もう遅い。
皆さんも、今の段階では想像も出来ない経験をするはず。私たちがネット社会の到来に驚いたように、時代も激変を繰り返すだろう。そんな高校生の方たちに言えることがあるとすると、ありきたりだけれど
「目の前のやるべきことに全力を尽くすこと」
くらいだろう。
そして、ご両親を大切にしてあげてください。
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