ローマでお買い物!(第七部)

第3話 - 第二十七章 ケ・セラ・セラ

進藤 進2022/02/14 21:06
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空港ロビーで涙ぐむ女を見つめながら、男は少し後悔していた。


昨日ダイヤを渡す為とはいえ、プロポーズをしてしまった。


もちろん男は死にゆく前に、正式ではないにしろ神の前で結婚を誓えた事は無上の幸福なのであったが、何も知らない女を残す事は裏切りのような気がするのと、その後の女の悲しみを思うと強く心が痛んだ。


『だが男よ、そう悩む事はない。』


ロビーに貼ってあるポスターの、真実の口の像が言っている。


いくら何十年生きようとも、本当の愛に巡り会える人は少ないのだ。


二人はこの三週間あまり、世界中の人がうらやむ程の恋をした。


この思い出を一生忘れる事はないであろう。


色々これから悲しみもあるだろう苦しい事もあるかもしれない、でもそれも人生なのだ。

 

『ケ・セラ・セラ・・・・・なるようになる・・・・さ。』


『まっ、いいか・・・・・・。』の人生でいいではないか。


卓也の耳にこの神の声は届いていない。


暗い表情でハンカチを取り出すと、泣き虫な女に差し出した。


涙を拭いて返そうとする白いおでこに口づけして言った。


「いいよ、持っていって欲しいんだ・・。ローマで最後のプレゼントさ・・・・。」


女は男の言葉に少し微笑むと、その手を強くつかんで言った。


「早く帰ってきてね。それに・・・絶対、電話して・・・・。明日の2時・・・。電話にかじりついているから・・・トイレだってがまんするわ。」

 

男はくすっと笑ったが、さゆりの眼差しは真剣そのものだった。


いつまでも強くにぎりしめてくる。


男は女を引き寄せ、唇を重ねた。


さゆりも恥ずかしがることなく男の背中に両手をまわし、唇をあずけている。


「早く・・・帰ってきて・・・・・・・。」


同じセリフを何度も繰り返し、ためらうように搭乗口の方へ消えていった。


卓也はロビーの窓に立ちつくし、飛び立っていく飛行機のシルエットをいつまでも見つめていた。


やがて振り返り、ゆっくりと歩きだした。


自分の靴音がむなしく響いている。


急に疲れがどっとあふれだし、胃が痛みだしてきた。


女はいなくなった。


今日で二人の旅は終わったのだ。


うつろな表情で、男はあてもなく歩いてゆく。

  

飛行機が降り立つ轟音が聞こえてくる。


又、このローマに人々がやってくる。


幾つかの出会いを見つける事だろう。


しかし。


男は重い身体を引き摺るようにして、タクシーに押し込めた。


消え入るような声で行き先を告げると、タクシーは走りだしていった。

 

後ろを振り返ると、空港から又新しい飛行機が飛び立っていく。


「さようなら・・・さゆりさん・・・・・。」


男は小さく日本語でつぶやいた。


タクシーの運転手は一瞬振り返ったが、再び前を見て車を操っていく。


ローマでの一人旅が始まった。


終わりのない旅であった。


卓也はもう一度、心の中でつぶやいた。


(さようなら・・・。)


      ※※※※※※※※※※※※


夕闇が迫る空港の上空で飛行機はランディング体制に入り、シートベルト着用の表示ランプがともった。


さゆりは窓の外を眺めている。


(帰ってきたのね・・・日本に。何だか、すごく長い間向こうにいたような気がするわ。私の人生が変わっちゃったみたい・・・・・。)


地上が近づいてくる。


ゴルフ場がいくつも山々に点在している。


飛行機が着陸して入国手続きを済ませると、たくさんのスーツケースをワゴンに乗せ、宅配便の所によってマンションに送った。


高価な品物と業務日誌の入ったスーツケースと、左手に光るダイヤのリングを連れて、さゆりは自分の部屋に帰ってきた。


父と母には先に実家により、おみやげを渡して早々にひきあげてきた。


まだ、卓也の事は言わずにいた。


その時だけ、指輪はポケットに大切にしまい見せないでいた。


いずれ卓也が帰ってから、ゆっくり紹介するつもりであった。


軽くシャワーを浴びると、すぐ寝仕度にかかった。


明日の午後2時には卓也から電話が入るのを楽しみにしている。


広子にも明日、電話しようと思った。


今は、とにかく疲れていた。


さゆりはベッドに入ると、すぐ夢の世界へ旅立っていった。


カーテンをあけた窓から、月明かりがもれている。


ローマも天気がよいのだろうか。


卓也が見るサッカーの試合も晴れればいいと思った。


長いまつ毛は閉じたまぶたのライン沿いに、ゆるやかなカーブを描いている。


小さな唇は微笑をたたえ、安らかな寝息を漏らしていた。


女の隣に男はもういない。


再び抱きしめてくれることを疑うことなく、女は夢の中を幸せそうに旅していく。


月明かりは何でも知っているかのように、女の顔を優しく照らしている。


卓也はまだローマにいる。


明日の2時、電話をかけるのだろうか。


月だけが、それを知っていた。