ローマでお買い物!(第三部)

第3話 - 第十四章 汽笛と睡眠薬、そしてウイスキー1

進藤 進2022/02/09 19:43
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レストランのテラスから見える夜の運河を、一槽の船が汽笛を鳴らして通り過ぎていく。


ワイングラスを持ったまま、高田はぼんやりその光景を眺めていた。


広子は少し酔ったのか、ほんのり頬を染めて高田を見つめている。


視線に気づいた高田はワインを飲み干し、わざと大きな声で言った。


「やあーうまかった、イタリア料理は飽きないですなー。魚が新鮮なせいか、くどくなくてワインによく合う・・・・。」

 

広子は何も言わず微笑みを浮かべながら、男を見つめている。


「じゃー、帰りますか・・・・。」


二人は並んでホテルへの道を歩いていた。 


夜の風が心地よく酔った頬にあたる。


広子はそっと高田の腕に白い手をすべりこませ、もたれるようにして歩いている。


「少し・・・酔ったみたい。ふふっ・・・若い子みたい・・・・・。」


香水が男の鼻孔をくすぐる。 


いつもの調子で軽口をきこうとするが、あまりにも女が魅力的過ぎて声が出せないでいる。


「今夜は・・・静かなのね。」


「いやぁ・・・あの二人、どうしたかと思って。大西君、しゃべらないからなー。」


はぐらかすように男が言った。


腕にある温もりが心に迫る。

ホテルが見えてきた。


男は女をエレベーターに乗せると、部屋まで送った。


「私・・・もう少し飲みたい気分なの。」


瞳が潤んで、妖しい光を放っている。


男は吸い込まれるように広子の手を取り、部屋に入った。


窓のカーテンが開いていて、港の夜景が美しく見えていた。


汽笛が時折、思い出したように鳴っている。

 

手を握ったまま女は少し体を反らし、男の手に重みを感じさせていた。


瞳は男を見つめたままキラキラと輝き、微笑みを含んだ唇は結ばれたまま柔らかそうに何かを待っている。


やがて、唇が薄っすらと開いた。


「バカ・・・鈍感・・・・・・。」


女は握っている手の力を強め、男の胸に飛び込んでいった。


唇が重なる。


甘い香りが胸の奥まで入ってくる。


女は勝利の余韻に浸りながら、男を心で操っていく。


部屋の照明は点けられることなく、二人を優しい闇に包んでいた。


二人の息づかいだけが、微かに部屋に響いている。


時折鳴る船の汽笛が、それを消していく。


やがて音が遠ざかり、闇の中で白い指が男の背中に爪を立てた。


言葉が欲しいのに、声にしてほしくなかった。


このまま心で男を操り、何も言わず強く抱きしめて欲しい。


「ああ・・・・・。バカ・・・何も・・・何も、言わないで・・・。抱い・・・・て・・・・もっと強く・・・もっと・・・ああ・・・。」


二人の時が刻まれる。


ついこの間までまったく違う人生を流れていた時間が今、合わさってぎこちなく形を確かめるように動いていく。


女の手が、何かを探すように頭や背中をさ迷よっていた。


闇の中で、男がどこかに消えてしまいそうで不安になるのだった。

 

重なり合う唇が女を安心させる。


一つに溶け合いながら、時間を二人のものにしていく。


汽笛が又ぼんやりと耳に帰って来た。


ヴェネツィア最後の夜。


二人の時間が今、始まった。