第1話 - 第十二章 けっこう・・・
列車の窓から潮の香りが漂ってくる。
海が見えてきた。
もうすぐサンタルチア駅に着く。
さゆりは窓から顔を覗かせ、潮風を胸いっぱいに吸った。
風が髪をなびかせ、白いおでこをなで上げている。
さゆりは又、いつものように大きな黒いメガネをかけ、地味な服に戻っていた。
しかし昨夜の余韻は、まだ身体の中に心地よく残っている。
夢のような一夜であった。
自分が本当に物語の主人公になった気がする。
あれから部屋に帰り、遅くまで広子と語り明かしたのだ。
二人はベッドにもぐり込み、楽しそうに互いを見つめていた。
「どうだった、さゆりちゃん・・・。」
「えっ・・・?何ですか、広子さん。」
「とぼけないでよ。まんざらでもなさそうだったわよ、大西さんの事。」
さゆりは、頬が赤く染まるのを悟られないように、寝返りをうった。
「し、知らないっ・・・・・。」
しかし、すぐ振り向くと広子を見つめ、いたずらっぽく笑った。
「ふふっ・・・うそ・・・。びっくりしちゃった。結構、カッコいい・・・んだもん。」
「けっこう・・・?」
広子が意地悪く聞き返した。
「もう・・・いじわる。広子さんだって高田さんと、お似合いだったですよぉ。」
さゆりが反撃すると、広子はため息をつくように笑った。
「そうね、いい人ね、あの人・・・。優しいの、よく人を見てるし・・・・・。もっと早く・・・・会いたかった・・・・。」
「広子・・・さん・・・・。」
さゆりが、驚くように見つめているのに気がついた広子は、笑みを浮かべた。
「ふふ・・・・私の事はいいの。それより、どうなの・・・大西さん?
真剣にさゆりちゃんの事好きみたいよ。私も彼・・・いい人だと思うけど・・・・・。」
さゆりは再び顔を赤くして言った。
「うーん・・・、最初はイヤだったんだけど・・・正直よくわからないんです・・・。私・・・恋愛経験あんまりないし・・・・。だから、どう言っていいのか・・・・。それに、プレゼントもらってから付き合うのって、何か軽薄な感じがするし・・・。」
「いいじゃない・・・別に恋愛に形はないもの。彼・・・不器用だからプレゼントぐらいしか愛情表現できなかったのよ・・・・。でも、あせる事ないか?ゆっくりお付き合いしていけばいいわ。とにかく、これからの旅を楽しみましょうよ。」
広子にそう言われて、さゆりは少し心が軽くなった気がした。
そう、今はこの心地よい余韻に浸りながら、楽しい旅を続けていたかった。
二人は次第に意識が遠くなり、安らかな寝息をたてていった。
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列車が駅に着いて一行は荷物を受け取ると、バスでホテルに向かった。
海に近く小高い丘にあるホテルで、テラスからはヴェネツィアの街が一望できる。
例によって簡単な説明が終わり、一行はそれぞれの部屋に散っていった。
今回も単独行動は4人だけであったが、今日は疲れをとる為にホテルで休むことにした。
さゆりはロビーで待機して他のカップル達のオプションの相談にのったりしていた。
ヴェネツィアの一日目は、おだやかに始まっていった。