進藤 進2022/02/04 05:33
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白く細い指が、グレーのキーボードの上をタップダンサーの様にリズムを刻んでいる。 

  

カタカタカタ、パシッ、スタタタトン、タンタン、タタン・・・。


机の脇のペーパースタンドのなぐり書き書類が、まるで魔法の様にモニターの中で整然とした文字に置き換えられていく。


唇はさして彩りも与えられず、少し乾いたままキュッと結ばれている。


うなじから覗く白い肌はシミ一つ無いのだが、引っ詰め気味に野暮ったく結ばれた髪と同様に社内でその美しさを知っている者はわずかであった。


女の名前は秋山礼子。

現在、二十八歳で独身である。


心地よいリズムを刻んでいた指は4枚目の書類にあった赤字のメモによって、一瞬ではあるが踊る事を止めた。


「8:00PM」

と、だけ端の方に書かれていた。


礼子は小さくため息をつくとメガネの縁を人差し指でずらし、窓際の机の方をチラリと見た。


電話の呼出音とキーボードのノック音のオーケストラをバックに、怒鳴る様な人の声がこだまする中、黙々と書類に目を通している男がいる。


がっしりとした上背に、きりっとした眉毛をしている。


礼子が勤めているコンピューター・ソフト開発会社専務の瀬川である。


現社長の娘と結婚しており、いずれ会社を継ぐ立場にある。


ただプライドも高く名誉欲が人一倍強い彼は、社長を継ぐまでに自分自身の手で会社を大きくする事に野心を燃やしていた。


かなり強引な戦略を立てては成功させ、会社に莫大な利益をもたらせていた。


彼自身は文系出身でパソコン自体もあまり自分で触らない。


企画書のたぐいもこうして手書きで書いて別の者に入力させている。


しかし業界ではこの異色の経営戦略を持つ男に軽蔑と恐怖の感情が渦巻いていた。


コンピューターに対して素人であるのだが、それゆえにユーザーの希望を素直に満たす無茶であるが新鮮な企画が次々とヒットしていくからである。


「島田君、ちょっと・・・。」


瀬川に呼ばれてボサボサの髪をかきながら、幾分、小柄な男が近づいて行った。


「何だね、今度の新ソフトは?これのどこが新しいんだ?」

憮然とした表情の上司に対して、島田はボソボソと答えている。


「いえ・・・で、ですから、このソフトを使いますと工場管理システムがリアルタイムで把握が出来て・・・。」 


「そんな事はわかってる。俺が言いたいのは、検索時間が何でこんなに掛かるのか、という事だ・・・3分の1にしろ。」


「そ、そんな・・・。今の設定でも従来のソフトに比べれば格段に早いですし、それに製作費用も日数も倍掛かります。」


「金は1・5倍・・・。日数は同じでやるんだ。」


瀬川にこう強い口調で命令されると、誰も何も言えなくなってしまう。


島田はスゴスゴと自分の席に戻り、企画書の作り直しにとりかかった。


だが強引な指示であるにかかわらず、不思議といつもギリギリの線で新ソフトを完成させヒットするのであった。


大手にはない強みであった。


もっともその中の多くは優秀なプログラマーである島田の力が大きいのであるが・・・。 


瀬川もその事は充分承知していて、この少し気の弱い男をうまく使いこなしている。


ただ脅すだけでなく時には持ち上げ、自信を持たせるようにしている。

もちろん、報酬も破格で島田は同業他社のプログラマーの3倍以上もらっている。


他の部下達もそんな瀬川のやり方に対して信じてついてきている。


今、この会社は急成長を遂げ株式の上場を控えている所であった。


瀬川は何も恐れるものは無かった。


「専務、企画書の作成を終わりました。」


美しい指と共に差し出された書類に挟まれたメモに、チラリと視線を送った瀬川は「ああ。」と言ったきり、再び別の書類を読むのに没頭していった。


女が自分の席に戻り暫くしてから、瀬川は顔を上げてチラリとメモを読むと、クシャッと丸めてゴミ箱に捨てた。


礼子はその仕種を遠くで見つめながら又ため息をつくと、やるせなくキーボードのホームポジションに白い指を置いた。


ふと窓を見ると、雨が降りだしたのか高層ビル群がガラスの雨足に少し歪んで見えていた。 


ただ、雨音は社内の喧噪で礼子の耳に聞こえそうもなかった。