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山羊文学2020/07/09 12:47
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Thumbnail of 放置の町

 煙草の煙を追い出す為に車の窓を開けると、代わりにプラスチックの溶けた様な臭いが入り込んできた。右手には巨大なコンビナート。この町の子供は皆、雲は煙突から生まれるのだと思って育つ。自分もそうだった。
 2tトラックの荷台には、大量の塗料が積まれていた。その多くが建築現場で使われる防水塗料で、全てこの町のコンビナートで生産されたものだ。
 窓を閉めるとプラスチックの臭いが残った。この町には、この臭いだけだ。色も活気も、プラスチックの粒子と石油の煤に覆われて霞んでいる。
 抜け出したい。
 物心ついた頃から抱いていた思い。大学を中退して家業を継いでからも、その思いは強くなる一方だった。ただ自分は、この町に染まり始めていた。同業者も取引先も皆知人。町を歩けば知人のひとりや二人には必ず会った。母は自分が生まれる前からあるスーパーに毎日通うし、父は親友のやっている煙草屋で何十年も煙草を買っている。何年も会っていない友人の髪の色を、床屋で不意に知らされたりする。
 狭い、狭い、狭い。しかし窮屈なくせに居心地は良かった。それが、酷く恨めしく思えた。
 夕方、煙草を吸いに家を出た。倉庫が併設されている我が家は常にシンナー臭くて、引火する危険がある程ではないが、ゆっくり息をするには不向きな場所だった。
 いつもの公園に腰を下ろす。もう学校が終わっている時間のはずだが、公園には誰もいなかった。今日に限ったことではない。この公園には、いつも人がいない。
 塗装が剥がれて錆び付いた遊具。砂利だらけの砂場、風で揺れる度に不快な音を立てる鎖……。座ったベンチも、遊戯協会かなんかの寄贈品の様だが、文字はほとんど消えているし、身体を少し動かすだけで大きな音を立てた。そして吹く風に混じるコンビナートの臭い。
 誰も使わないから、クレームを言う者もいないのだろう。もう何年も、この場所は放置され続けている。
 家よりはマシと思っていつもここで煙草を吸うが、眺めれば眺めるほど、陰鬱とした気分が胸に広がってくる。目の前にある現実。そしてそれは、自分の将来を暗示しているようでもあった。この町から抜け出すこともできず、この町に染まっていく。放置され、錆び付き、朽ちていく。
 嫌だ嫌だと区切りを付け、ベンチを後にする。

 ポストを開くと、高校の同窓会の招待状が届いていた。まだやっていたのか、と思う。何年か毎に届くが、参加したことはなかった。ITだなんだと言っても、この国の第一線は未だ工業だ。家業を継いだ者、独立した者、起業した者。コンビナートが生み出すカネは莫大だ。町自体はくすんでいても、羽振りが良い奴は多い。そんな中に細々と塗料の卸しをやっている自分が入れる訳はなかった。家に入るなり招待状をゴミ箱に捨てる。本当は「欠席」の返信をしなくてはならないが、その気にもなれなかった。
 このままでいいのか、と思うこともある。今でも名前と顔が浮かぶ友人は何人かいる。おそらく見た目は変わっているだろうが、会えば現状を変えるきっかけをくれるかもしれない。友人でなくとも、人脈は大切だ。羽振りが良い奴が集まるなら、それだけチャンスもあるということだ。しかし、参加するには自分のぬぐいきれない劣等感をなんとかしなければならなかった。ホテルの一室。高いスーツと高い靴、時計に名刺。三十を過ぎればそんな世界が当たり前だろう。塗料の汚れが身体に染み込んだ自分が入れるとは思えなかった。
 結局自分も、自分を放置していくんだろう。

 リビングにゴキブリが出た。倉庫では油も多く扱うから珍しいことではないが、今回は次々と五匹も現れた。対策は取っているが、恐らく毒に耐性のついたゴキブリが繁殖し始めたのだろう。注文の確認作業を中断して、親子三人で退治するが、物の多い我が家では、簡単にはいかなかった。家中が殺虫剤臭くなってきた頃、虚しい思いが押し寄せてきて、思わず煙草を持って家を出た。
 いつもの公園。いつもの通り誰もいない。数カ所の蛍光灯には虫が群がっていた。
 抜け出したい。
 同窓会に顔を出して見るべきだろうか。それ位しか自分を変える手段はないような気がした。スーツや靴を買う金はあるだろう。なんとか見てくれだけでもそれらしくすれば、変化のきっかけが掴めるかもしれない。
 そんなことを考えていると、強い風が吹いて、公園中に鉄の錆同士が擦れる嫌な音が響いた。しばらく揺れるブランコを眺める。
 はっと思い立って遊具達を見る。それは唐突な思いつきだった。

 塗ってみるか。

 倉庫には不良在庫になった塗料が山ほどある。今は扱っていないが錆落としもあったはずだ。防錆剤にペンキ……。原色ばかりで小洒落た色のペンキはないが、公園には調度良いだろう。ゴキブリを探すために家中を右往左往するよりずっと良い。父は元々塗装工だった。基本的なことは教わっていたし、人材が足りない時には現場に駆り出されることもあった。ここなら難易度はそう高くない。市か県か、町のものか、よく分からないがタダでやるんだ。文句を言う者はいないだろう。人気がないなら、乾くまでの間、誰かが触る心配もない。
 やれる。
 そう思うと、長い間感じていなかった胸躍る感覚が襲ってきた。早足で家へと急ぐ。
「あれからまた出てね。今回ばかりは業者に頼むわ」
 母の言葉を他所に倉庫へ急ぐ。倉庫を開けると、やはりゴキブリが何匹が出てきた。必要な道具を外に出す。まずは今の塗装を全て剥がすことと、錆を落とすことだ。

 作業は仕事が片付いた夜中に少しずつ行った。塗装を剥がし、錆を落とす。防錆剤を塗って、乾いたらペンキを塗っていく。二週間かかったが、その間気づく者は誰もいなかった。
 変化が起きたのはそれから一週間程経った頃だった。いつものように煙草を吸いに行くと、子供と母親が遊んでいた。日が経つにつれ、その人数は増えていった。そして塗り直された公園は、町の話題となり、新聞にも載った。
『無言のボランティアが遊具のペンキ塗り直す』
 騒ぎを知った父が「お前か?」と訊いてきた。「うん、まぁ」と答えると、
「面白いことする奴だな」
 と言った。父に面白いと言われたのは初めてだった。
 それからは、予想もしていなかったことが起きた。住民の声というものは、集まると大きな力となるらしい。放置されたままになっている他の公園の周辺住民が、自分たちの公園を整備しろと市に詰め寄った。当然市は難色を示した様だが、有志が設備の点検をした所、安全に問題のある遊具が次々と見つかった。自分が塗り直したブランコも、撤去されることになった。恐らく新しいブランコが設置されるのだろう。
 次に住民たちが牙を剥いたのは、空気だった。公園の空気を検査した結果、国の基準値を上回る有害物質が検出された箇所があった。そして県がコンビナートへ立ち入ったところ、六社が大気汚染物質の対策を怠っていた。これに関しては国が改善命令を出した。
 ひとつの公園を塗っただけでエライ事になったものだと思った。放置された町だと思っていたが、案外、自分たちが町を放置していたのかもしれない。

 いつもの公園で煙草を吸っていると、ひとりの女性がこちらに向かって歩いてきた。なんだと思って顔を上げる。すると女性は軽蔑した目を向けて、
「子供たちが遊んでいるんです。煙草は控えていただけますか」
 と言った。あぁそうか、そうなるのか。そう思うと笑いが込み上げてきた。
「なにを笑っているんですか!」
 女性が詰め寄る。
「いや、すぐ消しますから、すいませんすいません」
 こんな皮肉なこともないと、笑いを噛み殺しながら公園を去った。
 さて、これからはどこで煙草を吸おうか。ぶらぶらと、町を見回しながら歩いた。

 2tトラックに塗料を積んで、現場へと向かう。右手には巨大なコンビナート。煙草の煙を追い出すために窓を開ける。代わりに入り込んで来た空気は、心なしか澄んでいる様に感じた。

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