午后の講義


山羊文学2020/07/09 12:45
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午后の講義

「では皆さんは、この写真を見て、どのようなことに気付くでしょうか」
 先生は一枚のスライドを大写しにした。それは奇妙な写真だった。
「君、説明してみて」
 四百人程が入れる大教室。その前方に座る学生の一人を先生は指差した。
「開かれた本の写真です」
「その通り」
‎ 机に開いて置かれた本が、大写しになっていた。
「これは開かれた本の写真です。あるいは、本の写真と言うだけでも十分でしょう。それが普通です」
 先生は改まって学生たちを見た。
「ここからが本題。これは本の写真。それで普通。それが一般的」
 ‎半分程が埋まっている大教室。初めは私語で充満していたが、皆徐々に先生の話に引き込まれていくようだった。好き勝手に話をしていた学生たちが先生に注目し始める。
「しかし、この写真からはもっとたくさんの情報を取り出すことができます。分かる人、手を挙げてみましょうか」
 もちろん手を挙げる学生はいなかったが、ついに教室は静かになった。
「では僕から質問です。この本、何の作品でしょう」
 ‎あっ、と声を漏らした学生がいた。私だった。プロジェクターの画像だからさほど鮮明ではないが、それでも特徴的な単語を文章の中に見つけた。
 コンヒサン。
「声を挙げた学生がいたね。もし分かったのなら作品名を言ってもらっていいかな」
 ‎先生は指を差しこそしなかったが、その目はまっすぐに私を向いていた。
「遠藤周作の、沈黙です」
「その通り!この本は遠藤周作の沈黙という作品です」
 先生は私にかわって、もう一度作品名を言った。
「もうひとつ訊かせて。なんでこの作品が沈黙だとわかったの?」
「コンヒサン、という単語が見えたからです」
 先生は私の言葉を味わうように、ゆっくりと何度か繰り返した。
「そう、その通り。素晴らしい。コンヒサンとはキリシタン用語で告解、懺悔という意味だね。このページはキチジローというキリシタンがロドリゴという宣教師にコンヒサンを求めるシーンだ」
 ‎先生の声はよく通る。しかもマイクを通しているから声は教室の隅々まで響く。
「そして、コンヒサンという単語が出てくる本はそう多くない。その目で見ればキチジローやロドリゴという表記にも気付くだろう。そして沈黙という作品に行き着くことができた。違っていたら訂正してね」
 その通りだった。登場人物の名前まで覚えていた訳ではなかったが、コンヒサンという単語からいろいろな場面が頭を通り過ぎ、写真の中からキチジローとロドリゴの名前も見つけていた。
 ‎一人の学生が手を挙げた。
「なんだろう」
 ‎先生が尋ねる。
「この写真は、この教室で撮られたものだと思います」
 ‎多くの学生が声の主を見た。
「なぜそう思ったのかな?」
「写っている机の木目が、この教室のものと同じです」
 ‎学生たちが一斉に写真と手元を見比べる。この教室の机は樹脂製で、木目の印刷されたシールが貼られている。
「そして多分、窓側の席です」
 この発言には、多くの者が驚いた。
「続けて」
「この写真はとても明るい日差しのもとで撮影されたように見えます。この教室の廊下側は、こんなに明るくありません」
 先生は数秒黙った。その表情はとても楽しんでいる様に見えた。
「素晴らしいね。その通り。これはこの教室の窓際で撮影されたものだ。その席だよ」
 先生が指差したのは窓際の一番前の席だった。
「ありがとう。この棟だけ、他の棟とは椅子も机も違う。新しいからかな。しかもこの机、どう見ても家用じゃない。教室向けのデザインだね、しかも不思議な模様だ。気づくことができれば、ここで撮影された可能性が高いことが分かる。それにそうなんだ、僕は明るさを求めてそこまで移動した。窓際とまで指摘されるとは思わなかったけど」
 ‎他の学生が静かに手を挙げた。
「はい、そこの君」
「あの、これは、写真というより、先生の発言を受けてなんですけど、いいですか?」
 ‎先生は少し思案顔をした。自分の発言を振り返っている様だった。
「もちろんいいよ」
「この写真、先生のスマホで撮られたものだと思います」
 先生はハッと驚いた表情をした。
「平均クラス以上のデジタルカメラであれば、この教室の照明だけでも十分に撮影できます。でも先生は明るい場所に移動したと言いました。それは、室内照明で撮影したときに出やすいノイズを避けた為だと思われます。だから、先生のスマホで撮影されたものだと思いました」
 先生は考え込んでいる様子だった。
「素晴らしい。きっと君はカメラに関する知識があるんだろうね。僕は何気なく移動したんだけど、立派な理由があったわけだ」
 なんだか、一番楽しんでいるのは先生の様に見えてきた。
「皆、素晴らしい。こんなにも情報が出るとは思っていなかった。でもまだ出てない情報があるね」
 そう言って先生は写真を改めて見た。
「これ、文庫だよね。出版社はどこだと思う?」
 あっ、と声を挙げた学生がいた。今度は私ではなかった。というよりも、私には出版社を示すような手掛かりが写真にあるようには見えなかった。
「声をあげた学生がいたね。答えてもらえるかな?」
 声の主は、やってしまったという様な表情をしていたが、やがて口を開いた。
「多分、新朝社だと思います」
 先生は大きく頷いた。
「正解だ。理由は言える?」
「字体、フォントです」
 なるほど、と私は思った。
「そう、その通り。この文庫本は新朝社のものなんだ。これについては、僕はすぐに気付くんだ。新朝社のフォントというのは、妙に四角ばっていて字と字の間が狭い。これが好きな人もいるんだろうけど、僕にとっては至極読みにくい。だからすぐに気づく。今答えてくれた学生がこの字体にどんな思いを寄せているのかは分からないけど、きっとたくさんの本を読んでいるんだろうね、ありがとう」
 先生はまだ話したそうだったが、時計を見て話題を止めたように見えた。
「さて、この写真。最初は本の写真というところから出発しましたね。それが、この本は新朝社が出版した遠藤周作の沈黙の文庫本であることが分かりました。そして、この教室の窓側の座席で、スマホによって撮影されたものだということまで分かりました」
 それは何だか、凄いことの様に思えてきた。
「それを支えたものはなんでしょうか。なぜ、ただの本の写真であったものから、これだけの情報を取り出せたのでしょうか。
 ある人は推理力と言うかもしれない。考える力だと言うかもしれない。確かに大事な要素です。しかし違う。コンヒサンから沈黙に行き着くには?机の模様から撮影場所に気づくには?いくら頭を使ったって、考えるだけでは無理でしょう。字体から出版社を見抜く。これも推理力だけでは到底無理です。
 これらの気付き、その基礎となったのは、皆さんの知識なんです。知識の力です。知識がなければ、これだけの情報は得られません。ただの本の写真です。ここに集った頭脳が、知識を使ったからこそ、もうこの写真は単なる本の写真ではないんです。
 ‎講義の本題に入りましょう。私は、この講義で皆さんに様々な知識を提供します。ぜひそれを吸収して欲しい。すると、この写真と同じように、これまでなんの変哲もなかった様々な物事が、形を変えて見えてきます。
 ときに私は矛盾した複数の理論も紹介します。それもそのまま吸収して欲しい。すると、様々な視点から、万物を見られるようになります。
 ‎もちろんそこにはリスクもあります。実はこの写真、私のスマホで撮影したものではありません。私の携帯では十分な画質が得られなかったので、ゼミ生が貸してくれたスマホを使いました。発言してくれた学生は悪くありません。でも、情報を取り出すことには、リスクがあります。時に、自分では分かりようのないことまで分かった気になることもあります。間違い、思い込み、先入観。そんな怖さもこの授業では扱っていけたらいいと思っています。
 今日はオリエンテーションです。このくらいにしておきましょう。単位の取得条件については二回目の講義の時に。それではまた来週」
 ‎先生は頭を下げた。学生が一斉に話しだし、方々に分かれてゆく。
 私は、ここで先生を捕まえなくてはならない、今話をしておかなくてはならない、そう強く思い先生のもとまで走った。
「先生!」
「ん?あぁ、コンヒサンの子だね」
 ‎先生はプロジェクターを片付けているところだった。
「知識と情報は、どう違いますか?!」
 先生は動きを止めてゆっくりと私に向き合った。
「それは、いい質問だ」
 それが、私と先生との出会いだった。

おわり

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