鬱彼女

第11話 - #11

水谷なっぱ2020/07/06 13:40
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「沙斗子!! 沙斗子、いるか!?」

 沙斗子が笹井先輩に告白した次の日の放課後、慶介が血相を変えて教室に飛び込んできた。

 「なんだよ、騒がしいな。沙斗子なら笹井先輩の見舞いに行くって……」

 「姉貴が病院から抜け出したらしいんだよ!!」

 一瞬意味がわからなくて反応が鈍る。

 「はあ?」

 「今、親から連絡があって……姉貴が病院からいなくなったって……」

 「心当たりは?」

 「たぶん……沙斗子だ」

 沙斗子? なんで今さら?

 「昨日、たまたま沙斗子と、姉貴が会話してるとこ聞いちまったんだよ。沙斗子が姉貴に、大好きだって伝えてて…。そこまでは良かったんだ、そこまでは。その後に、勅が、お前がいたからそのことを思い出せたって沙斗子の奴が言っててさ。それ聞いて、姉貴が無言になっちまって……。沙斗子が帰った後も無表情でなんにも言わなくなっちまって」

 慶介は顔を真っ青にしていた。

 「それで、なんで笹井先輩がいなくなっちまうんだよ?」

 「たぶんだけど……姉貴は、本気で“自分は沙斗子にとってもう不要だ”って考えたのかもしれない」

 気が付けば、悟が俺の後ろで話を聞いていた。冬弥はすでに部活へ行ったのか姿が見えない。もっとも今冬弥がいたら話が混乱するのでいなかったのは幸いだ。

 「どういうことだ」

 俺は、まだ意味がわからなくて慶介を促した。

 「姉貴は、沙斗子を守ることを生きがいにしてきた。なのに、自分が敵視していた男が沙斗子の感情を揺れ動かした。それも良い方に。姉貴は、もう自分がいなくても沙斗子は他の誰かとちゃんとやっていけるってことに気がついちまったんだよ。本当はもっと早くに気がつくべきだった。それこそ姉貴が入院するほどまでに思いつめるより前に気がつくべきことだったんだ。だけど、手遅れと言ってもいいくらいに遅くなってから気がついた。姉貴はどうしていいかわからなくなっちまったんだ。なあ、もし、そういうときマイナス思考の人間ならどうすると思う?」

 「どうするって……」

 最悪の想像しかできなくて、言葉に詰まる。

 「元に……戻そうとするのか」

 悟が、静かな声で言った。

 「そういうことだ。姉貴は沙斗子を姉貴がいないとダメなように言いくるめようとするんじゃないかって俺は思ってる」

 「やべえじゃんか!?」

 「やべえんだよ!! だから勅、悟!! 沙斗子と姉貴を探すの手伝ってくれ!!」

 駆けだそうとする慶介を悟が制した。

 「まて、やみくもに探したってそうそう見つからないだろ。慶介。普段、笹井先輩が三日月と話したり2人きりになろうとするとき、どこに行く?」

 「どこって……。あ!! 屋上?」

 「それなら慶介と勅は屋上に行け。俺は一応他の場所も見てくるから」

 そう言って、悟は慶介の背中を押した。

 「サンキュな、悟!! 勅、行くぞ!!」

 「お、おう!!」



 急いで急いで急いで。

 屋上へと駆け上がる。

 このままでは、笹井先輩は沙斗子と心中しかねない。

 そんなのダメだ。

 沙斗子の笑顔が怒り顔が、泣き顔がフラッシュバックする。

 バタン!!

 屋上の扉がうるさく開く。

 いた。

 沙斗子と笹井先輩。沙斗子が泣きそうな顔で笹井先輩に話しかけている。笹井先輩はそれに対して苦虫を噛み潰したような顔で首を横に振る。

 「沙斗子!!」

 思わず叫んだ。2人が驚いたように振り返る。

 「た、ただ」

 「何しにきたのよ」

 助けを求めるような沙斗子の声を、笹井先輩が遮る。

 「沙斗子に用事です」

 努めて冷静に返事をする。ここで下手に笹井先輩を勅激してはダメだ。

「後にしてちょうだい」

 しかし笹井先輩は俺の返事を一蹴した。そこにいるのは、いつものかわいらしい笹井先輩ではなくて。

 「今でなくてはダメです」

 ここで逃げちゃ男がすたる。

 「後にして」

 「これ以上、あなたと沙斗子を一緒にはしておけない」

 自分でも驚くほど冷たい声だった。

 「あんたにっ、あんたなんかに何がわかるのよ!!」

 「わかりません」

 「だったらっ」

 「だから、わかろうとしてるんです」

 「っ……」

 笹井先輩がわなわなと震えていた。

 「あんたなんかっ!! 別に沙斗子じゃなくたって、女だったら誰でもいいんでしょ!? 沙斗子に近付かないで!! これ以上、沙斗子に迷惑かけないでよっ!!」

 笹井先輩が激昂する。その後ろで沙斗子が小さく震えていた。

 だから。

 俺はすたすたと笹井先輩を素通りして、沙斗子の腕を自分に引き寄せる。目を丸くする沙斗子と怒りに顔を歪める笹井先輩を無視して、沙斗子を自分の背中に回した。

 そして、笹井先輩に向き合う。その距離、約1メートル。

 「笹井先輩。あなたは怖いだけだ」

 夕暮れの生暖かい風が笹井先輩の髪をなびかせる。慶介まで、泣きそうな顔をしていた。

 「沙斗子が元気になることが」

 「そんなわけないでしょっ!!」

 笹井先輩は顔をさらに歪ませる。

 「沙斗子が元気になって」

 「うるさい!!」

 黒い瞳が揺らめく。

 「笹井先輩を」

 「あんたには関係ないっ!!」

 「必要としなくなるんじゃないかって」

 「だまれっ、だまれっ……」

 うつむき、声が小さくなっていく。

 「自分がいらない人間になるんじゃないかって」

 「うるさい……」

 へたりと、笹井先輩はその場に崩れ落ちる。

 「祥子姉……」

 笹井先輩に駆け寄ろうとする沙斗子を手で制する。沙斗子は不安気に俺を見る。

 「自分が不要になるのが怖かったんだ」

 「だから沙斗子が一定以上元気にならないよう、監視してた」

 「そんなこと!!」

 「だから沙斗子を支えようとする俺を排除しようとした」

 「私は」

 「あなたは、怖かったんだ」

 「……」

 間。

 そして。

 「私は、私は…もう、いらな」

 「「いらなくなんかない!!」」

 笹井先輩が、もっとも恐れていたことを自分で口にしようとした。けれどそれは2人に遮られた。

 「お前…いつから…。」

 一人は沙斗子。俺の手を無視して、笹井先輩に駆け寄る。もう一人は。

 「冬弥……くん……?」

 笹井先輩を愛して止まない、俺のクラスメイト。藤崎冬弥だった。冬弥の後ろには息を切らせた悟がいる。どうやら悟は他の場所を探すと言いつつ本当は冬弥を探しに行っていたのだろう。

 「笹井先輩。笹井先輩はいらない人なんかじゃないんです。俺の大好きな人なんです。俺にとっていなくてはならない人なんです。だから、自分をいらないなんて言わないでください」

 肩を振るわせながら、冬弥は笹井先輩に近付く。屈んで、へたり込む笹井先輩に視線合わせて抱きしめた。

 「ちょ……と、とう……や、くん」

 「俺の好きな人をいらないなんて、言わないで」

 冬弥は笹井先輩を抱きしめて泣いていた。笹井先輩は突然のことに呆然としている。

 「冬弥君の言うとおりだよ、祥子姉」

 沙斗子が笹井先輩と目線を合わせて、ゆっくりと微笑んだ。

 「祥子姉、今まで私を支えてくれてありがとう」

 「沙斗子。」

 「これからは、守られるだけじゃなくて」

 「さ……と……」

 「一緒に並んで歩きたいな」

 「っ……」

 泣いていた。沙斗子も、笹井先輩も。

 「やれやれ」

 振り向くと、慶介と悟が苦笑いをしていた。

 「サンキュな」

 悟に軽く手を振る。

 「冬弥のバカが突っ走っただけだ」

 悟が呆れたようなフリをする。本当は嬉しいくせに。

 「ありがとう。勅。姉貴を止めてくれて」

 「結局美味しいとこは冬弥と沙斗子に持っていかれたけどな」

 「それでもさ。お前が姉貴に本当のこと言ってくれたから、姉貴も気がつけたんだよ。本当は俺が言わなきゃいけなかったんだけど……。俺、今まで完全に傍観者だったわ」

 慶介は苦笑いする。

 「ま、バカが告白できたんだ。結果オーライ。一石二鳥だろ」

 悟が冬弥に視線を向ける。まだ、三人は泣いていた。でも、笑っている。冬弥は当分、笹井先輩から離れなさそうだ。沙斗子がはと気がついてこちらに向かってきた。そしてはにかむ。

 ……超かわいい。思わず顔が緩む。

 「もう、いいのか」

 「うん。祥子姉には冬弥君や慶介がいるから。もう、私がいなくても大丈夫」

 笑顔で笹井先輩と冬弥を振り返る。冬弥はまだ笹井先輩を抱きしめている。笹井先輩が首を縦や横に振っているあたり、一応会話はしているようだ。

 「勅、ありがとう」

 「何もしてねえよ」

 「そんなことないよ。ありがとう」

 「どういたしまして。お姫様」

 「えー? 何それ」

 訝しげに沙斗子か首を傾げる。俺は意外とロマンチストなんだ。

 「魔女に捕まったお姫様を助け出すのは王子様の役目だろ」

 「祥子姉は」

 「そんで、魔女に変えられたお姫様を助け出すのも王子様の役目」

 「……そうだね。」

2 人で笑い合う。気がつけば、慶介と悟が見当たらない。気を使ってくれたんだろう。

 「ところで」

 せっかくなので2人の気遣いに感謝して話を最初に戻す。

 「返事、くれるか?」

 「返事?」

 やはり沙斗子は覚えていないのだろうか。

 「そう。返事」

 (「三日月沙斗子、俺と付き合え。」

 「君、本当に図々しいね。」)

 まあ、一回ふられてるし。

 リトライしよう。

 「沙斗子」

 「?」

 「好きです。俺と付き合ってください」

 「!!。」

 沙斗子がびっくりした顔でこちらを見つめる。徐々に顔が赤らんで、視線がうろうろし始めた。

 「ごめん」

 「!!」

 今度は俺がびっくりする番だった。

 え!? この流れでふられちゃうの!?

 キョドる俺。あたふたとうオノマトペを図示したら、今の俺がまさにそれだろう。

 「あっ、あの……、いつも、一緒に居たから、付き合ってないの忘れてた」

 え?

 俺緊急停止。

 急ブレーキ。

 「だからごめん。そういえば最初にふってからそのままだったね」

 沙斗子は苦笑いして俺を見つめる。

 「よろこんで」

 「え?」

 「返事。勅の、告白への返事」

 えへへ、彼氏できちゃった。と沙斗子がにこにこしている。かわいい。超かわいい。いやいやいや。

 マジすか。流れどおりとはいえ嬉しい。訳わかんないくらい嬉しい。

 「ありがとう」

 「どういたしまして。王子様」

 どちらからともなく手をつなぐ。ふと見回したら、慶介と悟は給水塔の上にいた。前に見た沙斗子のように、2人は並んで給水塔の上に座って足をぶらぶらしながらこちらを眺めている。沙斗子とつないでいない方の手を2人に振った。2人もこちらに手を振り返す。

 「帰ろうか」

 「うん」

 こうして、晴れて俺は人生初彼女をゲットした。



 数日後、笹井先輩は無事に退院した。



 数日後の放課後、夕日の刺す図書室で俺と慶介、悟、沙斗子はのんびりだべっていた。校庭では無事に退院した笹井先輩と冬弥が部活に励んでいる。

 “また、冬弥君と走れるように練習しなきゃ”

 とは退院した日に笹井先輩が慶介に言った言葉だそうで。冬弥はあの日から、笹井先輩が退院するまで毎日部活後、お見舞いに通っていたらしい。そのおかげだろうか。校庭で冬弥と微笑み合う笹井先輩は、間違いなく前を向いて歩いていた。

 「まだ、当分冬弥の笹井先輩語りは続くんだろうな」

 悟はしかめっ面で、でもどこか嬉しそうだ。

 「姉貴と冬弥はなんだかんだで付き合ってないからな。まだまだ冬弥の片思いは続くんだろうさ」

 「あの雰囲気で付き合ってないってのも逆にすごいね」

 沙斗子がクスクスと笑う。

 「ま、誰もかれもお前らみたいに簡単にはくっつかないってこった」

 ひらひらと手を振りながら慶介も笑った。

 「あのな、全然簡単なんかじゃないんだからな。俺が沙斗子と付き合いだすまでどれだけ大変だったか……」

 「はいはい。俺も彼女ほしいわ――」

 俺の話を適当にさえぎって、慶介は再度校庭に目をやった。沙斗子を見ると、彼女も微笑みながら校庭を、並んで走る笹井先輩と冬弥をながめている。

 「さて、俺らは帰りますか」

 そう言って沙斗子に手を差し出せば、彼女は笑顔のまま手を取った。もう、この手は離さない。