鬱彼女

第8話 - #8

水谷なっぱ2020/07/06 13:40
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 ある雨の日の昼休み。藤崎冬弥と追瀬悟と3人で昼食を食べた後、教室の隅でトランプで遊んでいると冬弥が盛大にため息をついた。

 「は――――――」

 「そんなにため息つかなくったって、まだお前に勝ち目はあるさ」

 「そうじゃねえよ、バカ勅」

 冬弥が俺を睨む。

 「勅。これは俺の勘だけど、それ以上冬弥に突っこまない方がいい」

 「は?」

 「何だよ、悟。俺まだ何も言ってないじゃんか」

 悟がいかにも面倒臭そうに眼鏡を押し上げた。

 「言わなくてもわかる。笹井先輩か笹井先輩か、もしくは笹井先輩のことだろ?」

 「ばっ、おま、なんでわかるんだよ」

顔を赤くして冬弥が焦りだした。

 「悟、お前よくわかるな。」

 「わかるよ。冬弥の誘い受けは十割笹井先輩のことだから」

 「100%じゃねえか……」

 「う、うるせえなあ。人がいつも笹井先輩の話しかしてないみたいな言い方するなよ」

 冬弥はこう反論しているが、悟の様子から察するにおそらくほぼいつも笹井先輩の話をしているのだろう。先日、悟が『冬弥は笹井先輩のことで幸せそうにしたり落ち込んだり荒れたりしている』と言っていたのを思い出す。たしかにこの調子でしょっちゅう誘い受けの挙句に語られてたらうざいかもな。現に悟は

「あ、俺大富豪な。これで次勅が出したら終わりだから、冬弥は大貧民決定だな」

 と、やや機嫌悪めに話をそらしている。冬弥に勝ち目ねえじゃねえか。ここは悟の気持ちを汲んで冬弥のため息をなかったことにするのが優しさってもんなんだろう。

 「じゃあ、はい。俺、上がりだから冬弥が大貧民な」

 「ちょ、何だよお前ら!! ため息をつく友人に優しい言葉とかないわけ?」

 「今日の俺の優しさは閉店しました。」

 悟は本気で冬弥の相手はしないことにしたらしい。少し冬弥が可哀そうになってきたので、結局俺は冬弥に声をかけてしまう。

 「しょうがねえなあ。何だよ冬弥。何かあったわけ?」

 「やめとけって」

 「悟うるさい。聞いてくれよ、勅。笹井先輩がさあ」

 「……本当に笹井先輩の話なのかよ」

 悟にならって無視しなかったことを俺は早くも後悔した。さっきのは冗談だと思ったのに……。

 「いいから聞いてくれって。笹井先輩、最近元気ないんだよ。前に言ったじゃん? 先輩が無茶な練習ばっかしてるってさ。それが最近目立っててさ。もちろん部活中に練習してるのは悪い事じゃねえよ? でも先輩、中距離走と長距離走の選手なのに、ずっと腹筋とか腕立てとか筋トレばっかしてるんだよ。そんでさ、たまに、ごくごくたまにタイム測ったりもしてるんだけど、これがまた全然縮まらなくてな。よく顧問が他の練習や気分転換を進めてるんだけど、そういうの全く無視してんだよ。なあ、先輩どうしちまったのかな」

冬弥は不安そうな顔で俺らを見ていた。でも、俺に、その問いに対する答えはない。

 「勅、なんか答えを出そうと思ってるなら出さなくていい」

 悟が口を開いた。

 「冬弥は不安をただ口にしたいだけだ。だから今、勅が何か言ったとしても、それは冬弥には届かない」

 「どういう意味だよ」

 突き放したようにも聞こえる悟の発言に、返す言葉が見つからない。

 「そのまんまだよ」

 「悟、そんな言い方したら勅が困るだろ」

 無表情で話す悟を冬弥が止めた。

 「あのな、俺があれこれうだうだ言うのって、ただ言いたいから言ってるだけなんだよ。悟の言う通りさ。だからその話に対して意見とか慰めとか言っても、俺はそういうのが欲しくてしゃべってるわけじゃないから、話が食い違っちゃうんだよね。悟が言ってるのはそのことなんだ。なんかうまく言えなくてごめんなんだけど、伝わった?」

 「要するに、ただ同意してほしいだけってことか?」

 「そうそう。そういうこと! 勅は話が早くて助かるぜ!」

 冬弥がにかっと笑ってみせた。

 「そっかー。そういう考え方もありか」

 「そうそう。みんな違ってみんないいんだよ」

 「金子みすゞか。」

 悟め。妙にうまいこと言いやがって。



 「ってなことがあってさ」

 その晩、沙斗子に電話をかける。昼間の冬弥と悟の会話をかいつまんで伝えると、沙斗子は感心したように声を上げた。

 『なんていうか、藤崎君と追瀬君らしいねえ』

 「なあ。あいつら本当に仲いいっつうか、お互いを理解してるっつうか」

 それがモテる秘訣なんだろうか。

 『うーん。たしかにあの2人ってお互いの一歩先をわかって会話してる感じだよね』

 「俺には羨ましいよ」

 『……勅にそんな気があったなんて』

 「待て、なんの話だ。違うって。俺は話しても話しても沙斗子のことわかんないままだから。だからお互いを理解しあってるあいつらが羨ましいって言ったの」

 電話の向こうで沙斗子がクスクス笑っていた。

 『なんだ。そんなこと?』

 「そんな事とはなんだ。俺には大事なことなんだよ」

 『あはは、笑ってごめん。私は今の感じで十分楽しいよ?』

 「そうか?」

 『うん。だって探索の余地があるってことじゃない。明日はもっと知らないあなたに出会える。ね、素敵なフレーズじゃない?』

 「なんか、女子力高そう」

 俺には少々甘すぎるそのフレーズはなんだか映画とかCMとかで使われていそうだ。

 『そう?それはありがとう』

 「じゃあ俺は明日会える新しい沙斗子を楽しみにしてるよ」

 『――勅の方がよほど女子力高いこと言うよね……』

 そうかな? 女子力ってなんだっけ?

 『たしかにさ、藤崎君と追瀬君みたいなやりとりも面白いんだけどね』

 沙斗子が話を戻した。女子力という単語がゲシュタルト崩壊しかけていた俺は慌てて頭を切り替える。

 「おもしろい?」

 『うん。聞いてる分には面白いよ。でも、私はいいや』

 「誰かとそういう風に話したことがあるの?」

 『うん…。祥子姉と会話するときはそういう感じになるかも』

 わずかながら、沙斗子の声のテンションが下がったような気がした。

 『やっぱり従姉妹だからさ。お互いにそれなりに考えてることわかるし、話がどう転がるのかもある程度はトレースできるしさ。でも……そればっかじゃ疲れちゃうかな。相手の思考を手繰って探って先を読んで会話するの、頭使うんだ。だから、こうやってなーんにも考えないでつらつら勅と話すの楽だし好きだよ』

 “好きだよ”

 その言葉が頭の中でリフレインする。それは反則だ。誰もいないから良いようなものの、今の俺はきっと顔を真っ赤にして、さぞかし緩みまくった顔をしていることだろう。

 『勅?どうしたの?』

 「あ、いや、なんでもないれす」

 『そう?』

 「その、沙斗子さんが嬉しいこと言うからにやけてました」

 『私何か言った?』

 「いや、気が付かないならいいから」

 『そう?』

 変な勅。

 そう言ってまたクスクス笑う沙斗子がかわいくて。目の前にいたら目一杯抱きしめるのに。そんでキモがられるんだろう。そんなことをぼんやり考えながら、二言三言、言葉を交わして電話を切った。

 相手の考えがわかるってどんな気持ちなんだろう。

 “お互いの一歩先をわかって会話してる感じだよね”

 その言葉はまさしく冬弥と悟にぴたりと当てはまる。逆に俺と沙斗子にはまったく当てはまらない。そんな風に、沙斗子の考えていることがわかったら。好きな相手の考えがわかるって、すげえ幸せなことなんじゃないか?

 そこまで考えて気が付いてしまう。

 もし、もし俺が沙斗子の考えがわかったなら。

 沙斗子が俺のこと全然好きじゃないってことにも気がついちまうんじゃねえの?

 先ほどまでの幸せな気持ちが、音を立ててしぼんでいくようだった。

 ああ、そうか。沙斗子が言っていた

 “疲れちゃう”

 は、そういうことなのかな。相手の考えがわかるっていうのは相手の良い感情だけじゃなくて、自分にとっては嫌なこともわかっちまうってことで。だから悟は冬弥が笹井先輩の話を始めるときには冬弥が何か言う前からもう嫌な顔をするんだ。それを思うと、確かに“疲れちゃう”よな。

 ふう、と一人ため息をつく。人の考えてることなんて、やっぱ、わかんない方がいいや。俺はまだ、俺の知らない沙斗子に出会いたい。