第12話 - 雨晴プライマリー②
翌日、学校に着くや否や机に突っ伏す。その様子を見てか、少しにやにやしながら花山が近づいてくる。
「結果はなんとなく察するけど一応聞いていいかい?」
机に突っ伏した状態から目線だけを花山に合わせる。
「もうわかっているだろうに」
突っ伏した状態から鞄に手を伸ばし、カメラケースをちらりと覗かせる。
「これで入部決定だろ」
「まあ、そうだね。でも、本当にいいのかい? ああは言ったけど、どうしても嫌なら強制はしないよ」
「昨日の段階なら喜んで話を無かったことにしたんだがな」
「家で何かあったのかい?」
「まあ……な」
そうつぶやき、また机に突っ伏した。未だ、昨日のことが鮮明に思い出せる。
昨日、自宅に帰ってからの出来事。自分の中の考えでは、
「姉貴、カメラ貸して欲しい」
「だめ」
この二言で終わるはずだった。
出来る限り、言葉数を少なくして、ちょうど道端に転がっている石のように意識させることなく終える予定だった。
しかし、現実はそう上手く事が運ばなかった。
学校から帰ると、姉はいつも通り自室にいるようだった。
姉の部屋の前で少し深呼吸をした後、コンコンっとノックして、姉の姿が少し見える程度に顔を出す。
「誰?」
「自分」
「何?」
「カメラ貸してくれ」
「いいよ」
「ありがとう」
一連の会話の後、全く予定と異なる結果に「えっ?」となる。動揺のあまり姉の部屋の扉を開ける。
「どうしたの?」
「いや、カメラ貸すってどういうことだよ」
「え? あんたが貸してくれって頼んできたんでしょ?」
姉は全く意味の分からない質問に首を傾げている。
「まあ、そうなんだけど……。予定と違う……」
「予定……? 何のことかはわからないけど」
わざわざ立ち上がって部屋の棚に置いているカメラを一つ手渡す。
頭の中はまだ混乱している。
自分を落ち着かせるために少し深呼吸をしてから話す。
「昨日まであんなに不機嫌だったのに、今日は機嫌よさそうだな」
「あ、わかる?」
そう言うなり満面の笑みでこちらを見ている。
やはり何かあったようだ。
「ねえ、何があったか聞きたい?」
どうやらかなりいいことがあったようだ。話す気満々のようでこの調子なら何を言っても話に付き合わされるだろう。
「……まあ」
待っていましたと言わんばかりに嬉々として話し始める。
「今日、友達と隣町で買い物していたらテレビの収録がやっていてね。私、それに出演したの!」
姉はなぜかテレビ番組の視聴者インタビュー的なやつに良く出演する。
そういう場所を狙って歩いているのか、何か運みたいなものを持っているかは知らないが……。
しかし、前に出た時は、こんな風に喜ぶことはなかった。
むしろ、「私が取材を受けた所をカットしないなんて……。あんまりいい人いなかったのね」といった感じである。
姉は自身がテレビに出演することに関しては全く興味がないのだろう。
「へー、すごいな。でも、前にも出演してなかったっけ? インタビューに答えるみたいなやつ」
「あれとはわけが違うのよ」
高らかと言う。何が違うんだろう。
「今日はね、超有名俳優の日向瑞樹さんもその場にいたの」
日向瑞樹――。それなら自分でも軽く聞いたことがある程度だが知っている。
確か今流行りの売れっ子俳優だったはずだ。
「それで、握手してもらったんだけど、日向瑞樹さんのご配慮で私が持っていた色紙にサインまでしてもらっちゃった」
証拠にと言わんばかりに棚の上から二段目の所に飾られた色紙を指差す。確かにそこには誰かのサインが書かれた色紙が存在していた。
町中に色紙を持って歩く姉も色々とおかしい気はするが、なぜ機嫌がいいのかがよくわかった。
「凄いな。よかったな」
いつも通りの相槌で返す。
「でしょー」と言いながらそのサイン色紙を眺めている。
それにしてもどうして今日に限って姉にいいことが起こったのか、もし、神様なんてものがいるならば聞いてみたい。
姉は色紙の自慢をして満足したようで今ならスッと部屋を出られそうだ。
借りたカメラを持って姉の部屋を出ようとする。
「ちょっと持って」
「何?」
「今思ったんだけど、どうしてカメラを借りようと思ったの?」
よく考えたら理由を全く説明していなかった。むしろ理由も聞かずによくカメラなんて高価な物を貸そうと思ったな。
「友達に一緒に写真部に入らないかって誘われたんだ。それで、カメラを借りられたら入るって約束したんだ。
予定ではカメラを借りられずに部活に入らないって言うオチを予定していたんだけどな」
一瞬の間の後、姉は高らかと笑いだす。
「今日は本当に面白いことがいっぱい起きるよ。明日雪が降るかもよ」
笑われたことに若干ムッとしながら姉を見る。
「あんたが部活ねぇ」
まだ笑い続けている。
「そんなに自分が部活に入るのがおかしいか?」
「おかしくはないよ。でも、高校に入ったら、人に気を遣うことはしたくないって言っていた人のやる行動ではないよね」
意地悪そうな表情を浮かべている。
「悪いか」
「いや、悪くない。むしろいいことだと思うよ」
返事はすぐに返ってきた。
「人間、社会に出たら絶対に他の人と関わらずには生きられないんだ。そして社会に出たら人間関係の失敗は許されない。
人間関係に失敗してもまた関係を作り直せるのは学生の間だけなんだよ」
珍しく姉が真面なことを言っている気がする。
「だから、少年。いっぱい失敗してこい!」
一言余計だ。
しかし、妙に納得させられるだけの説得力があった。
自分は高校生で大人の世界というのはわからないけれど、少なくとも姉が体験してきた中で導き出した答えの一つなのだろう。
「部活で使うならそのカメラあげるよ」
「いいのか?」
「いいよ。まだ別のがあるから」
「わかった」
ありがとう。果たしてその言葉が姉に届いたかどうかはわからないが、呟かずにはいられなかった。
普段はあまり関わりがなかったが、それでも姉なりに自分のことを心配してくれているのだろう。
何とも言えない嬉しさが込み上げる。
自室に戻りカメラを取り出す。
決して新しいわけではない、むしろ古いカメラではあるがなぜだか少しだけ輝いて見えたのは気のせいだろうか。
「昨日、何かいいことがあったのかい?」
昨日のことを回想していると、その様子を見ていたのか花山に話しかけられる。
「どうして?」
「だって、時枝が笑っているからさ」
「笑っていた? 自分が?」
「それはそれは楽しそうにね」
「そうか」
果たしてその思い出が楽しいものだったかどうかと聞かれると何とも言えないが、もしかしたら自分の意識していない所でそういう気持ちがあったのかもしれない。
「さてと、じゃあ今日の放課後に行きますか」
「え、どこに?」
「写真部の所だよ」
「……そうだな」
返事を聞いて満足したらしくそれ以上話をすることなく花山は自分の席へ戻っていった。