第4話 - 始まりはいつも雨④
彼女は自分をベンチに座らせ、自身も腰掛けるなり「本当に申し訳ありません」と唐突に言い放った。
頷く事もせず、そっぽを向くわけでもなくただ無言で聞く。
「……実は私、あまり人と話すのが得意ではなくて……。それで慌ててしまってあんなことに。だから時枝さんは何も悪くありません」
口が達者な人間ならばうまく返すことが出来ただろう。
しかし、自分もそれほど口が達者というわけではない。むしろ苦手な方だ。それでも東雲を傷付けないように精一杯頭を使って言葉を探し出す。
「自分はあれくらいのことじゃ気にしない」
どこか打ったのだろうか、目に涙を浮かべているように見える。女の人が涙を浮かべている所などほとんど見たことがない。
困惑しながらも偶々ブレザーのポケットに入ったハンカチを取り出し無言で手渡す。
「はい、ありがとうございます」
涙を拭きながら言う。そしてそれを彼女のポケットにしまい込む。
自分のハンカチはどこに持っていかれるのだろうか。
ハンカチの処遇は後程聞くとしてまずはこの気まずい状況を打破しに行く。
「どうして自分に話しかけてきたんだ?」
そう言うと東雲はハッとした様子で再び周りを見渡す。自分も辺りを見渡してみる。今のところ周りには人はいないようだった。東雲もそれが分かったのか口を開き始めた。
「実は時枝さんにお願いがあってきました。時枝さんはお気づきでしょうが、私、東雲美咲は星野志乃という女優です。今朝言っていた発表会というのは今日の特別ゲストとしての出演でした……。
……私は女優であることを隠して普通の高校生活を送るつもりだったのです。ですが……」
ここまで堂々言われると、今日自分は初めてあなたを見ました、とは言えない。
「さっきの会館の時に見てしまった、と」
「早い話がそういうことです」
「それは悪いことをしたな」
立て続けに疑問をぶつける。
「でも、どうしてそれが自分だと?」
彼女は少し考えた後
「時枝さんの鞄についているそれです」
と言い、自分の足元に置いている鞄を指差す。
厳密にはそこに括りつけられた赤いお守りを指差しているのだろう。
「今朝、体育館でも鞄に同じものを付けた人に出会いました。彼は名を時枝翔と名乗りました」
「ふうん。でも、会館でちらりと見ただけなら見間違えってこともあったんじゃないか? それに体育館だって暗かったじゃないか」
「そう……ですね。確かにそれだけで見た人を時枝さんだと確信する材料にはならないですよね」
何かを言おうとしているのを躊躇っているように見える。それを言うか言うまいか自問自答した後口を開く。
「実は、時枝さんのカメラ、なんです」
「カメラ?」
「舞台……、というか祝辞ですね。それが終わった後、舞台袖で待機していました。時枝さんがいた場所も祝辞を述べている途中から気付いていたんです。
みんなが会館から出払った後、私も着替えに行こうとしたんですが、その時に時枝さんが座っていた場所にカメラが落ちていたんです」
彼女はここまで言うと一旦言葉を切る。ここまで説明されればおおよその結末は予想できる。
「確かに初めは私のことを見たのが誰だかは断定できませんでした。しかし、後で職員室に届けに行こうとしたカメラがそこにはなかったんですよね」
そこまで聞いてようやく口を開く。
「それで自分が見た犯人だと断定したわけか」
「はい……」
あえて犯人という言葉を使ったがそのまま受け入れられてしまった。
「でもあれは仕方がありません。事故みたいなものですし」
すぐにフォローは入った。
今まではこちらをあまり見ることなく淡々と話していたのだが、身体ごとこちらに向く。
「ここからが本題なのです。時枝さんには私、東雲美咲が星野志乃であることは黙っていて欲しいのです」
なるほど。そう来たか。
壇上で見た時と会館や教室で見た時では東雲の恰好は大きく変わっているのだが、それは自身の正体を隠すためだったのだろう。
東雲美咲の時は、背までかかるほどの黒髪に眼鏡をかけているが、星野志乃の時は、長い髪を結い上げて眼鏡もしていない。
化粧をしているかは知らないが、それをしていると仮定しても、東雲美咲が星野志乃であると言われた上で、彼女をよく見ないとわからない程だ。
東雲美咲と星野志乃は見た目以上に性格が大きく違うように見えるのも変装に一役買っているのだろう。
「それぐらいなら別に構わないが……。本当にそれだけか?」
しばらく沈黙が流れる。少し時間が経ってから東雲は言葉を選ぶようにして口を開く。
「本当のお願いは……もう一つあります。東雲美咲が星野志乃である、とばれそうになった時、手助けしてもらいたいのです」
「手助け……か」
拒絶するほど嫌なわけじゃない。だが、ここで「はい、わかりました」といってしまうと自分の高校三年間に制約が付くことになる。
先程とは違い、悩む自分の姿を見て東雲は明らかに不安そうな顔をしているように見える。今にも泣きだしてしまうんじゃないかと勘違いさせる程だった。
中庭から廊下を見ると教室でおしゃべりしていた人達も帰り始めた頃だ。ここで泣かれると後々噂になってしまうかもしれない。
心の中で溜息をつく。
「仕方がない。わかったよ」
東雲の顔がパッと明るくなったように見えた。
「ありがとうございます」
「ただし、条件はある」
「条件ですか?」
「ああ、自分は面倒事が嫌いだ。だから……」
ちらりと東雲の方を見る。
「だから……?」
東雲はそのあと何を言われるのか気になっているのか首を少し傾げながらこちらをじっと見ている。
「ばれないように尽力してくれ」
自分は面倒事が嫌いだからあまり巻き込まないでくれということを言おうとしたが東雲の無垢な顔を見ると強くは言えなかった。
もちろんそれが演技である可能性が十分にあっただろうが不思議と信じても大丈夫だと思えた。
立ち上がって鞄を背負う。
「どうかされましたか?」
「いや、帰るだけだ」
「そうですか……。私は片付けがあるのでここでお別れですね」
「そうか。じゃあ、また月曜日に」
「はい」
中庭から出ようとすると後ろから
「今日はありがとうございました」
と聞こえた。
どちらかというと原因を作ってしまった側である自分は素直にそのありがとうを受け止める事が出来ず、ちらりと東雲の方を見てすぐに目を逸らす。
幸い距離が遠いため自分が東雲を見たことはわからなかったはずだ。たぶん東雲は時枝に聞こえていないという認識だろう。
自宅への帰り道。
今日のことを考えていた。自分の予定ではほんの平凡な一日として終わるはずの一日だったが、どういうわけか妙に濃い一日となってしまった。
こんなことでは自分のまったり平凡な高校生ライフの雲行きが怪しくなってくる。
確かに面白い事を望んだが、こういうものは自分が巻き込まれず、傍から見ているから面白いのである。このままでは自分自身がその中心に入ってしまいそうな気がした。
もし神様が本当に要るのだとしたらなかなかに悪戯好きなのだろうと自分は思う。ふぅと小さく溜息をついた後、自転車のペダルを強く漕ぎ出した 。