どこかの街で聞いた話

第1話 - ねこ部長

禎祥2020/06/07 06:16
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 嫌なことがあった日。

 辛いと思った日。

 疲れたと、何もかも嫌になった日。

 そういう日に決まって立ち寄る小さな本屋さん。


 敷地面積がとにかく狭いビルの二階から四階までがその本屋さんで

 二階は雑誌、三階は書籍、四階にコミックが並んでいる。

 欝々とした気分の私をいつも癒してくれる存在が、

 その本屋さんのマスコット「ねこ部長」だ。



 といっても本物の猫ではなく、イラスト。

 まるくて、少しおっさんくさいねこ部長が色々な商品のPOPに描かれていてまるでセリフのように作品を紹介する。

 それを探して色々なPOPを見ていくうちに気付けば暗い気持ちなど消えている。

 今日もほら……。


「あれ? 何か違う……。ねこ部長じゃない……?」

「あ、わかっちゃいました? おかしいなぁ。しっかり真似してタッチとかもモノにしたつもりだったのに」


 私の呟きに答えたのは、まだ若い女性スタッフ。


「青野さん、辞めちゃったんです」


 青野、というのはねこ部長の産みの親にして、この店の全フロアのPOP作成担当の男性スタッフだ。

 何度か商品の問い合わせをするうちに少し喋るようになったけど、物静かで人が苦手そうな印象だった。

 それでも、口ごもりながらも聞かれた商品の面白さを伝えようとする姿は好印象で。

 聞いてもいないのにベラベラと喋りかけてきて押しの強さで商品を買わせようとするスタッフとは真逆の誠実な人だった。


「ここだけの話、新しい店長とソリが合わなくて。ほら、あの人、コミュ障でしょ? 接客業向きじゃないって」

「そうなの……残念ね。あの人の描くねこ部長が好きだったのに」

「ですよねー。POP書くのも早いし、イラスト上手いし、商品知識は物凄いし。接客苦手っていうのを差し引いても頼りになる人だったのに……」


 辞める際にねこ部長の著作権をめぐって少し揉めたのだけど、結局青野さんが押し負けてしまったそうだ。

 女性スタッフ自身も新しい店長に色々思う所があるのか、本来は喋るべきではない裏事情がマシンガンのように飛び出てきて。

 癒されに来たはずが、かえってモヤモヤを抱えてしまった。


 もともとそれほど大きくない本屋で、レファレンスができるスタッフを辞めさせてしまうとか。

 他のスタッフも不満を抱えながら働いているからかお店全体の雰囲気が暗くてギスギスしている。

 売場も荒れ放題で、この店ももう長くないな、と思いながらその場を後にした。



 数か月後。

 新しいストレス発散方法が見つからないまま駅一つ分フラフラと歩いて、偶然、小さな本屋を見つけた。

 吸い込まれるようにして入った店内で見つけたのは、ふっくらとした丸い顔に特徴的な小さな目をした「きつね部長」。


 間違いない。彼の絵だ。

 イラスト相手に一方的に感じる運命の再会をしたという気持ち。

 お店全体を見たけれど、まだきつね部長の姿は多くない。

 きつね部長がこのお店のマスコットとして定着するのを、通いながら見守ろうと思う。