壱原優一2020/05/20 09:38
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 春の陽気の差し込む六畳間に、二人がちゃぶ台を挟み向かい合っている。


 一人は女。

 髪の毛に代わって真っ白で小さな蛇が、無数に生えているのが特徴的な。


 もう一人は、子供ほどの背丈の老人である。

 ちゃぶ台の上には一枚の写真があった。


「うちの|王子《プリンス》を探して欲しいんや!」

 と彼は言った。


「はあ」

 と彼女――|蜷局山《トグロヤマ》ガラ|代《ヨ》は相槌を打ち、小老人と写真とを二度三度、見比べる。


(そっくり……てか、瓜二つ)


 老人は子泣き爺という妖怪であった。

 その|重涙《オモナミダ》氏の子供にあたる子泣き爺が一週間前から行方知れずなのだと言う。


 彼はまだ七歳とのことだが、写真に映る姿は全くの老人だった。

 子泣き爺なのだから当然と言えば当然なのだろうが、流石に面食らう。


「ただの家出という線は? アタシも最初は、このくらいの歳でした」

「いいや! うちの王子に限って、そんなことはありえん!」


 子の心、親知らず。

 なんてこともある、とは口に出さず。


「有志で捜索隊も組んでもおるけんど山狩りのようにはいかんで……。ほなけんど! 蜷局山嬢はこれまでにも幾度となく荒事難事を、卵をするっと飲み干すが如くに、たちまち解決してきたと聞き及んでおる! どうか、なにとぞ、うちの王子を! なにとぞ!」


「重涙さん、頭をどうか上げてください」


 荒事難事かはともかく。

 たちまちかは、ともかく。

 確かに諸問題を解決してきた経験はある。なりゆきで。


 そのようなことが続くうち噂となって、今では問題が向こうからやって来る有様。

 つまり今日みたいなことはもう半分以上、慣れっこだった。


「まぁ、やれるだけのことはやってみます」

「おぉっ! ありがとうがーす!」

「日当一万円、経費は別。成功の暁には、その倍を。ってことで最近はやってるんですけど」

「三倍でも五倍でもどんと任せてつかい!」


 気概はわかるが、この段階で言われるとプレッシャーだなと思うガラ代だった。


「えーっと……それで? お孫さんのお名前は?」

「|王子《プリンス》や」

(……比喩じゃなかったのか)


「ええ名だろ?」

「……あっ、はい。王様になったら逆から読んでも王子王で良いと思います」

「そうやろ、そうやろ」


「他には、なにか特徴とか、ありますか?」

「そりゃもう泣き声やよ。王子の泣き声は庇護欲を掻き立て、おぶってしまいとうなるんや。天才やよ!」

「はあ、なるほど」


 こうして依頼を受けたガラ代は、まずは当日の足取りをなぞってみるべく、隣町の学校へと足を運んだ。

 ちょうど時刻も下校時間と重なる。

 依頼人は捜索隊に顔を出すとのことで別れた。


(誘拐の線はねーと思うんだよな。身代金の要求もないし、そんじゃ能力が欲しくて? ってなると使い道が限定されるし。泣く他には確か、体がすごく重くなるくらいっしょ)


 彼の話によると子泣き爺の息子は、下校の際は、いつも途中まで友達と帰っているそうだ。

 ガラ代はスマホに映した地図を手に友達と別れる地点まで歩いてみた。

 だいたい十分ほどのところだ。更にもう十分歩けば家につく。

 手にはもう一つ、紙の束が握られている。

 重涙氏から貰った資料のコピーだ。


(目撃情報なしかー。きっついな)


 だがこれは重涙氏や捜索隊が翌日に通学路にある家々を訪ねたときのものだ。

 そのときには留守であったり、手が空いていなかったりで、話を聞けなかったところだってある。


 この一週間で思い出したことも、あるかもしれない。

 とにかく手掛かりが欲しい。

 氏の家へ向かいながら、途中途中、聞いて回ることにしよう。


 けれども残念。

 目立った成果はあげられず、頭を掻くガラ代。


(ま、こういうのは地道にやってくしかないか)


 今度は来た道を戻りながら、脇道に入ったところにある家々を訪ねることにした。


「お忙しいところ恐縮です。子泣き爺の息子さんの件で少しお話しを」

「以前にも言ったことだが、全く助けてやれそうにないのだ。すまぬな」


 と、のっぺらぼうの主人。


「そうですか……。当日でなくても良いのですが、例えば泣き声のようなものを、この近くで聞いたり、なんてことはありませんか? 人の赤ん坊の泣き声です」

「そう言われてもな。この辺りじゃよく聞こえるのだ」

「えっ?」


 ガラ代が訊き返すと彼は背後を指さす。その先には公園があり、


「あっちの裏手の通りで、先月ほどに生まれた家がある。よう聞こえとるよ」

「そうでしたか。ちなみに種族は?」

「なんだったかな……そうだ、猫又だな」


 ガラ代は資料をパラパラめくる。

 留守だったらしく聞き取りは出来ていなかった。


「泣き声を聞いて、特別なにか感じることはありますか?」

「なにかって?」

「こう、なんて言うんでしょう、どうにかしないとって感じ?」

「そりゃまあ、多少は。でも赤ん坊の泣き声を聞けば、みんなそうだろう?」

「かもしれません。ご協力感謝いたします。他に何か気付きましたら、あー、自警団のほうにお伝えください。それでは」


 次いで他の家々も訊ねたところ同じような話を聞けた。

 いよいよ件の家を訪れようとしたときだった。


(ん、泣いてるな。元気、元気)


 猫又家の中からに間違いない。

 泣き声が止むのを待ってチャイムを鳴らした。

 子供がまた泣いたらと心配はあったけれど、泣いてる途中で呼び出されるのも嫌だろう。

 猫耳の女は始め、迷惑そうな顔をしていたが、話を始めると一変、アーモンドのような目を丸くする。


「そんにゃことがあったの!? 大変ねぇ!」

「……ご存知ありませんでしたか?」

「うん! だって昨日まで実家にいたんですもの。孫の顔が見たいってうるさくってねぇ! こにゃいだ見たばっかでしょって言っても、子供はすぐ育つからって」

「なるほど。そうでした、か」


 言いながらガラ代は頭を掻く。

 蛇髪についた抜け殻が粉になってパラパラ降った。

 猫又がまた少し迷惑そうな表情をしたけれど、ガラ代は気付かなかった。


「……あ。ありがとうございました。またなにかございましたら、自警団のほうへ」

「う、うん。早く見つかるといいね!」

「ええ、全く。それじゃあ」


 さてはて、これはどういうわけだろう。

 公園のベンチに腰掛け考える。

 猫又は、少なくともこの一週間、家にいなかった。

 となれば、その間の泣き声は誰のものか。

 資料を見直す。

 近隣で他に子持ちの家は、あるにはあるが、赤ん坊という歳でもなし。


「あんまり、やりたくはねえが」


 ガラ代がそう呟くや否や、頭の蛇が数匹するするりと抜け落ちた。

 それぞれに近隣の、前回、そして今回も話を聞くこと叶わぬ家々へ。

 にょろにょろり。


 小一時間も経った頃、蛇たちは帰って来た。

 しばし目を瞑るガラ代。

 その目が急にカッと開かれた。


「見っけた」


 次いでスマホを取り出しならば、いづこかへ電話を掛ける。


「あ、もしもし? ちょっと、ある住人について調べて欲しいんだけど。住所は|魑魅《チミ》県|妖街道《ヨウカイドウ》市――」



   *   *   *



 翌日。

 ガラ代は重涙氏を伴って、例の公園に来ていた。


「ほ、ほんにプリンスが見つかったんか?」

「ええ、まあ。すぐにでもお会いしたい気持ちはわかります。ただ、その前に少しお話を」

「ふ、む。蜷局山嬢がそう言うけんには、なにか|理由《わけ》があるんやろう。続けてつかい」

「ありがとうございます。さて……ご子息はなんというか、努力家でもあるようですね」

「努力? なんのことか?」


 ガラ代は足元を指さして、

「彼は学校帰り、ここで泣き方の練習をしていたそうです」


「泣き方の? それは知らんやった……」

「まだ子供なのに立派なものです」

「だが、そのために誘拐されてしもうた。そういうわけじゃな?」


 首を横に振った。


「いいえ。ご子息は彼女に、自らついていったのです」

「なんやと?」

「そして今も、彼女の傍にいたいと願っておられます」


 重涙氏は目を丸くし、そして唸った。


「うむむ……もしも許さんと言うたら……」

「ご子息のもとへ案内することは、出来ません」

「やはりか。それだけの理由があるんやろうな。蜷局山嬢にも、あの子にも。ならば……うむ……わかった。案内をお願いします」


 半ば脅しだったにもかかわらず、信頼で返されてしまった。

 ガラ代はだいぶ、ばつが悪く思いながら咳払い。


「えー……では、こちらへ」


 公園から三分も掛からず目的の家。

 チャイムを鳴らせば、存在感の薄い人間の女性が現れ、氏を見るや否や深々と頭をさげた。


「このたびは申し訳ありませんでした」


 戸惑う重涙氏にガラ代は、


「こちら、|木下《キノシタ》|花華《ハナカ》さん。ご覧の通り人間の幽霊、そして|姑獲鳥《ウバメドリ》の雛です」

「ウバメドリ……母親がなる、あれか」


 氏が本当に悲痛そうな顔を見せた。


「木下さん。お辛い目に……お顔を上げてつかい」

「すみません。本当に、本当に申し訳ないことを」


 異なる存在と言えど、親としての共感がそこにはあった。

 ガラ代は二人を窺いつつ話を続ける。


「我が子を抱けなかった母は、しばしば姑獲鳥へと変妖してしまいます」


 完全にこの妖怪となったが最後、人だった頃のことなど忘れて、子供を見ればたちまち襲い、殺すようになってしまう。

 人間側からしてみれば、もはや害獣に近い。

 妖怪の子供が被害にあうことはないが、妖怪からも|怪物《ケモノ》と呼ばれる存在だ。

 意志疎通は出来ない。懐きもせず、調教も出来ない。

 そのため人間との余計な問題を生むことがないよう、出現次第、駆除することになっている。


「今は雛。兆候が見られる程度のため難を逃れていますが、時間の問題です。そんな折に、彼――王子君の泣き声を聞いたそうです」


 木下は涙声で語った。


「王子君の泣き声を聞いたとき、どうしようもなく背負いたくなってしまって……お願いしたんです。それで背負わせてもらうと、子供のことを思い出して、切なくって。でも不思議と、安らぐところもあって……こんな風に元気に泣いていたら良いなぁ、とか」


 ガラ代にとって本日二度目の、ばつの悪さ。

 この場で彼女だけが知っている。

 本人には決して告げられることのない事実。

 木下花華は一週間前に、出産を目前に亡くなった。

 事故だった。子供も、助からなかった。


 そうはならなかったと信じている者。

 このまま妖怪変化しなければ消えゆく運命にある者。

 ほんのちょっとだけ余生を与えられた者。

 そんな彼女に、わざわざ追い打ちをする必要があるだろうか。


「王子君も甘えてくれるから、それでつい……私も甘えてしまって」

「ええのやよ。事情はようわかったけん。王子のことを、お願いします」


 そう言って立ち去ろうとすれば、木下は、

「え、あの、王子君は、今は寝ていますけど」


 しかし重涙は首を横に振る。

「伝えてつかい。気の済むようにしなさい、と」


 すると彼女は改めて、深々と頭を下げるのだった。


「あ……ありがとうございます!」


 蛇女と子泣き爺の二人が見えなくなるまで、ずっと。

 そのまましばらくの間、二人は無言だった。

 先に口を開いたのは、爺のほうだった。


「……子というのは親が思うよりも育つのが早いものなのじゃなあ」

「良い育ち方をしていると思います。アタシが言うのも変ですが」

「いや、なんの。今回は助かった」



   *   *   *



 それから一ヵ月後。

 氏からご子息の帰還の報が届いた。

 彼女は無事に、人のまま、余生を全うしたそうな。




     (了)