円柱2020/06/05 13:00
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「さて……」

 

 ラプンツェルを小屋に置き塔へと戻った私は、彼女がいつも使っていた椅子に座り一息吐いた。

 まさか彼女が脱出――巣立ちの直前にあんな失策を犯すとは思わなかった。何とかボロを出さずに悪役として振る舞ったつもりだが、はたしてラプンツェルは上手く騙されているだろうか……。

 ともかく後は、彼女を迎えに来ようとやって来るはずの王子を歓迎してやるだけだ。適当に悪役のフリをして、王子がそれなりの気概を見せたなら居場所を教えてやってもいい。

 

 ふと、椅子に座ったことで机の下に纏められた荷物があるのを見つけた。ラプンツェルがここを出る際に持っていこうとした物だろうか。彼女が何を持ち出そうとしていたのか何となく気になって、がさごそと物色していると。

 

「この本は……」

 

 その中にあった一つの絵本に目が留まる。『魔法使いの王子』、幼い頃の彼女が最も好んだ絵本だ。

 寝る前に読んで欲しい、と何度もせがまれた記憶がある。同じ話なのに飽きもせずよく聞いていたものだ。

 どこにだって普通に売られているこの本を、どうして持ち出そうとしたのだろうか。

 

「自分の子供にでも、読み聞かせようとしていたのかもしれんな」

 

 魔女は少女のいない塔で一人、古びたページをぱらりとめくった。

 

 


 

 

「ラプンツェル! ラプンツェル! 君の髪を下げておくれ!」

 

 果てに落ちつつある太陽が、最後と言わんばかりにその身を真っ赤に輝かせ、辺りを橙に染め始めた頃。

 声変わりの最中にある少年の少し高い声が、塔の上の部屋で待ち構えている私の元まで届いた。

 

「あの子は合言葉を私以外が言っているのを初めて聞いて、誰かも分からない少年を部屋に入れたのか……防犯意識が心配だな」

 

 ラプンツェルの警戒心の低さに溜息を吐きながら、私はこの塔唯一の窓の近くへと歩いていく。

 今私が持っているのは、彼女が自身の呪縛と共にこの塔に残していった鎖。人の身長よりずっとずっと長い、彼女の魔力が残る強靭な金の髪の毛だ。

 最早ただのロープに成り果てた金色のそれを、折れ釘型の魔道具に巻き付け窓から落としてやる。

 

 王子は目の前に降りてきたそれを見て、大して疑いもせずに上へと登ってきた。

 さあ、ここからは演技の時である。ラプンツェルをどこかへ追いやった悪役として彼の前に立ち塞がり、いい感じにやられてなければならない。

 普段は使っていない黒いローブを羽織り、そのフードを深めに被って目元を隠し不気味さを演出する。魔法の補助に使う杖をわざと掲げ、見せびらかすような持ち方をする。

 そして登ってきた王子の目の前で手を広げ口角を上げて、驚愕のあまり動きを止めた彼を悪役らしく出迎える。

 

「ハハハッ!」

「!?」

 

 悪役らしい笑い方をしようと試みたが、かなり不自然になってしまった。ラプンツェルが見たら「どうしたの?」と訝しむだろう。こういうのは性に合わない。

 一方の王子はこれ以上なく目を見開いて、直後にその顔を恐怖の感情に染めていた。まあ当然であろう。可愛い少女を迎えに来たはずが、目の前にいるのは悪夢の象徴たる魔女なのだから。

 

「らっ、ラプンツェルはっ……」

「あの子を連れ出しに来たのだろうが、既にどこかへ行ってしまったよ。今度はお前の身の保証も出来ない。彼女とはもう二度と会うこともないだろう……!!」

 

 腕を広げ、事件の顛末を声高々に語る。獰悪な笑顔を浮かべようとしているのだが、こめかみがピクピクと引きつっている気がする。柄にもないことはするものではない。

 斬りかかってくるなり突っ込んでくるなりしてくるなら、やられる演技の一つや二つやって、居場所を教えてやろうとは思うが……はたしてこの少年にその気概はあるか。

 

 窓際に呆然と立ち尽くす王子は絶望を顔に浮かべ、魔女の前にいるということさえ忘れたかのようにしばし硬直した後。

 

「う、うわあぁぁぉぁああ!!」

 

 叫び声をあげ、私に背を向け窓から|飛《・》|び《・》|降《・》|り《・》|た《・》。

 

「――はあっ!?」

 

 何故そうなる!?

 予想外の行動に思わず手を伸ばしたが全く届かず、王子は塔の下へと真っ逆さまに落ちていく。

 私は即座に魔力を操り、彼の落下地点を計算して魔法を発動したが……。

 

「……派手に、突っ込んだな」

 

 バキバキッ! と木々の折れる音の最後に、ドン! と地面に衝突する音が聞こえた。

 落下地点にあった植物を成長させクッションにしたが……顔から突っ込んだので無事かどうかは分からない。

 

 まさか後先考えずに飛び降りるとは……ラプンツェルの髪を見せたのが悪手だったかもしれない。彼女が死んだと勘違いしたのだろうか。あまりの喪失感に耐えきれず、現実から逃げ出そうとしてしまったのか。

 せめてラプンツェルの用意した紐の梯子を使えばよかったか。いや、結局彼女がいないという事実に絶望してしまって、私に挑むような気概などなかっただろう。

 こんな奴にラプンツェルを任せたのは、間違いだったかもしれない。

 

 溜息を吐きながら空を見上げると、白い雲の群れが強風に流され青い原を駆けていった。

 

 

 

~~~

 

 

 

「ハハハッ!」

「!?」

 

 石造りの塔に辿り着いたアルベルトが金の髪を登った先で出会ったのは、彼の切望していた少女ラプンツェルではなく、片手に杖を持ち黒いコートに身を包んだ怪しげな女性であった。

 

「らっ、ラプンツェルはっ……」

「あの子を連れ出しに来たのだろうが、既にどこかへ行ってしまったよ。今度はお前の身の保証も出来ない。彼女とはもう二度と会うこともないだろう……!!」

 

 ラプンツェルとは二度と会えないと言われ、めまいに襲われふらりとよろめく王子。

 女性が持っている髪は確かにラプンツェルのものであり、彼はラプンツェルが「髪を切ったら死ぬ」と言っていたことを思い出した。

 そこから彼女が既にこの世にいないと思い至るまで、そう時間はかからなかった。

 

「う、うわあぁぁぉぁああ!!」

 

 アルベルトは窓から空へ飛び出した。一刻も早く、ラプンツェルのいない世界から飛び出したかったと言わんばかりに。

 逆さまに落ちていく彼の眼前に広がるのは、木々の茂る緑の空と雲浮かぶ青い海。

 

 鮮やかな世界の最後に少年が思い返したのは、美しい金の髪を持つ少女の顔だった。

 

 


 

 

 塔から飛び降りてからしばらく後、アルベルトの意識が戻った。彼は自らの身体がふわりと包まれているような感覚から、草むらか何かの中にいるのだろうと考える。

 

「僕は……」

 

 ボロボロの王子はまぶたを開いたがしかし、彼の視界は暗闇に包まれたままだった。

 白い肌に降り注ぐ太陽の熱が、光の存在しない真夜中であるという彼の仮定を否定する。

 

「失明、したのか……?」

 

 どうしてこのような状況になっているのか、王子は記憶の糸を辿っていく。

 

「確かラプンツェルを迎えに来て……」

 

 塔から飛び降りたことを思い出したアルベルトは、開いていても役に立たない目をギュッと閉じた。

 

「……ああ、僕は死にぞこなったのか」

 

 王子がまぶたを降ろすとその裏には、ラプンツェルの切られた金の髪、そしてその髪を持つ女性の姿が思い起こされる。

 

「彼女は、魔女だったんだろうな」

 

 片手に持っていた杖、ラプンツェルを知っているような口ぶり、何よりラプンツェルの代わりに塔にいたという事実から、王子はあの黒いローブの女性こそ魔女なのではないかと推測した。

 

「だけど、魔女は本当に、おとぎ話のような悪者なんだろうか」

 

 だがしかし、彼はどうしてもあの魔女が悪の権化であるとは思えなかった。

 ラプンツェルの言動、そして魔女のラプンツェルの扱いを思い返し、魔女は本当は悪い存在ではないのではないかと疑い始める。

 

「魔女の言葉を信じるなら、ラプンツェルはどこかで生きているかも……」

 

 どこかへ行ってしまった、という魔女の発言を思い出したアルベルトは、絶望するのはまだ早いかもしれないと両足に力を込め立ち上がる。

 

「今度は、逃げない」

 

 少年は何とか立ち上がり見えない地面を踏みしめて、どこに向かうかも分からない一歩を踏み出した。