第6話 - 五噺 夢
「おばあちゃん、ミルク飲んでいい?」
椅子に座り本に目を通していた私を、透き通った声が呼んだ。
私が頷くと、少女は笑顔でヤギの乳が入った壺を取り出してくる。コップにミルクを注ぎ、魔法の藁でそれを包んで魔力を込め始めた。
ラプンツェルは十歳となり、体格的にも精神的にも随分と成長した。
添い寝をしなくても眠れるようになったし、身長も私の胸元まで伸びた。
だが同時に、神の加護を受けた者としての片鱗も見え始めた。
彼女の長い金色の髪は、腰の辺りで折り返して後頭部に戻り、そこで銀の髪留めによって纏められている。
解けば大人一人分程の長さになる。生まれてこの方一度も切っていないとはいえ、その年齢を考えると異常に長い。
「あつっ……あー、また『まりょく』を入れすぎちゃった……」
パッと藁から手を離したラプンツェル。その碧眼は悲しげに潤んでいる。
数年前から魔力の扱い方を教えてはいるが、身体の成長に合わせて増加していく魔力に追い付いていない。
髪の成長速度が早くなっているのも、その有り余る魔力の影響だろう。髪の毛は魔法の媒体となりうるため、魔力の影響を受けやすいのだ。
魔力の扱いも少しは上達したが、習得するのに後五年はかかる。それまでは、この髪を切ると媒体を失った魔力が暴走する可能生があり危険だ。
不便かもしれないが、しばらくはこのままでいて貰うしかない。
「大丈夫か?」
「うん、全然だいじょうぶだよ」
ラプンツェルは心配ないと言わんばかりにニコリと笑って、手のひらを私に見せてきた。少し赤くなっているが、火傷にはなっていないようだ。
彼女が温めた藁に触れてみると、かなり熱くなっている。相当な魔力を込めたようで、コップの中のミルクもモクモクと湯気を飛ばしている。
「でも、ミルクがアツアツになっちゃった……」
「熱くても美味しいだろう」
「だってこれじゃあ、ちょびっとずつしか飲めないもん」
しょんぼりとしたラプンツェルは、それでもミルクが飲みたかったのかコップに向かって息を吹きかけ始めた。
彼女は猫舌なので、いつもは私が程よい温度にしているのだが、最近は魔力のコントロールの練習のために自分でやらせている。
自分の好みの温度に調整出来るようになるには、もう少しの鍛錬が必要だろう。
「どうやったら、おばあちゃんみたいに上手く『まほう』が使えるのかな?」
「毎日コツコツと練習することだな」
白いコップとにらめっこを続けるラプンツェルの頭を撫でると、彼女はその小さな頬を膨らませた。
当然、練習を積めば扱いは上手くなる。そうすれば、いずれ魔力のコントロールが効くようになり、私の元を離れても大丈夫になるはず……。
そこまで考えた私は、ふと浮かんだ疑問をラプンツェルに投げかけた。
「お前は将来、どうなりたいんだ」
私の急な問いかけにキョトンとした彼女は、直後に質問の意図を理解したのか唇を尖らせて答えた。
「だから、おばあちゃんみたいに『まほう』を使えるようになりたいんだってばー」
「それは、そう遠くない内に成し遂げられるだろう。その後のことを聞いている」
私の元を離れた時――と、今は言わないが。
「お前は魔法を使えるようになった後、どうしたいんだ」
「んー、わたしのゆめ、ってことだよね。『まほう』は使えるようにならないと分からないけど……」
手に持つミルクをしばらく見つめた後、ラプンツェルはこう答えた。
「おいしい料理を作って、みんなにふるまってあげたいな……あったかいミルクといっしょに」
その言葉を聞いて私は認識した。彼女は、私とこの城で寂しく二人で暮らすラプンツェルは。
望んでいるのだ。『皆と過ごす日常』を。
私は皆から恐れられる魔女だ。共に行動しているだけで恨まれる可能性がある私と、暮らし続けることなど望まれても出来ないのだが。
彼女が『皆と過ごす日常』を望むのなら。私は、彼女が巣立てるように手を貸そう。
「じゃあ料理の練習も頑張らないとな、今日から自分で料理するか?」
「えー!? まだ無理だよ……おばあちゃんのおいしい料理が食べたいよー!」
厨房の方を指差しながらからかうと、途端にラプンツェルは悲哀の表情を浮かべた。
「冗談だ、だが少し手伝ってくれ。今日はお前の大好きなシチューだからな」
「うん!」
私が食材の準備をしようと、ラプンツェルは笑顔で後を追ってきた。
今日は腕によりをかけて美味しい物を作り、お前のおかげで美味しくなったと言ってやろう。
微笑みかけてくる少女の道が、彼女の描く夢へと続いていることを願いながら、私はミルクの壺を手に取った。
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少し背の高い草が生い茂る野原。その一ヶ所、大きな岩の陰に佇む影が二つ。
一つの人影は岩にもたれかかり、その身体は小さく上下している。
もう一つの影はその傍に立ち、眠る片割れを静かに見守っていた。
「……余程、夢見ていたのでしょう」
ボソリと口を開いたのは、黒き悪魔のダン。腕を組んで寝ている赤き悪魔に、話しかけるように呟く。
「あの時から貴方は、ひたすらに己を鍛え続けてきました」
優しく微笑みかけたかと思うと、突然真面目な顔付きになり赤き悪魔の顔を見つめる。
「たとえどのような結末を迎えることになろうとも」
膝を折り頭を下げるダン、その赤い髪の隙間から、決意のみなぎった眼が覗く。
「私はどこまででもお供いたします、ソルマ様」
ダンは赤き悪魔の前でひざまづき、忠誠の言葉を口にした。
一陣の風が草むらを揺らす。その中で二人は静かに、だが確かに、燃ゆる心を宿していた。