本多 狼2020/09/02 12:21
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 旅立ちの前夜、村の広場で、メルは初めて貴重な牛の肉を食べた。

 それは、村のみんなが準備してくれたものだった。

 あまりのおいしさに言葉を失うメル。みんなの優しさがうれしかった。

 大人たちはそんなメルの反応を笑顔で見守った。

 

 すっかり出来上がったジンクに勧められ、マリーがお酒を飲む。

 母さんがお酒を飲む姿を、メルは初めて見た。

 表情の変わらないマリーの横で、やがてジンクが眠りに落ちる。

 

 フロールは、メルが手渡した料理を受け取ったものの、ほとんど口を付けなかった。

 メルが話しかけても、いつもの調子の明るい答えは返ってこない。

 「女心が分からないんだから」という謎の言葉に、メルはなすすべもない。

 

 フィーナは、娘のフロールに話を聞いたようで、アウラに興味津々だった。

 撫でまわされたアウラは、隙を見てみんなの輪から抜け出した。

 その様子を見て、メルも席を立つ。

 

 静かな場所を求めて歩いた末に、二人は見覚えのある木に辿り着いた。

 出会った日、村の外でアウラを待たせていたあの大きな木だ。

 

「人間ってよく分からないけれど、メルがとても愛されているってことは分かったわ」

「僕は、この村で生きてきたことを誇りに思ってる。みんな素敵な人ばかりなんだ」

「そうね」

「だから、目的を果たしたい」

「えぇ」

 

 やがて、メルは腰のホルダーからナイフを取り出した。

「あの、えーっと……笑わないで聞いてくれる?」

「どうしたの?」

「実は……声が、聞こえるんだ」

「誰の?」

「これの」

 そう言って、メルがナイフを顔の前に持ってくる。

(じャじャーん)

「じゃじゃーん、って言ってる……」

 

 薄暗い中でも、アウラの冷たい視線が痛いほど感じ取れる。

「うー、えーっと……だよね~」

「ふふっ、冗談よ。信じるわ」

「ほんと?」

「アタシには聞こえないけど、メルが言うんだから本当なんでしょ?」

「僕の声は届かないみたい……触れている間だけ、思っていることが聞こえてくるんだ」

「ふ~ん」

 アウラは不思議そうにナイフを見つめ、鼻を近付ける。

(くスぐッてエな、オい)

「絆の民の力なのかは分からないわね……他の物の声も聞こえるの?」

「ううん、今のところはこのナイフだけ……いや、そういえば、ジンクと戦ったときに、あのダガーからも聞こえてきた」

「……武器ってことなのかしら。いつか、役に立つかもしれないわね」

 

 ふと、アウラが村の広場のほうを見つめる。

「メルを呼ぶ声がするわ。そろそろ戻らないとね、今夜の主役さん」

 そう言ってアウラは村の広場へと歩き出した。

 メルはナイフをしまいながら、その後ろ姿を追った。

 

     *

 

「豪華な食事だったわね。お母さん、久し振りにお酒までいただいちゃったわ」

 メルと共に家へ戻ってきたマリーが、うれしそうに言った。

「母さん、お酒飲んでも平気なんだね。ジンク、真っ赤な顔でいびきかいてたよ」

「ジンクだって、本当は強いのよ。今日はたぶん……うれしかったのよ。メルが立派に成長したことが」

「そ、そうかな」

「アウラと一緒に、ジンクを倒したんですって? 負けたのに、ジンクったらすっごくにこにこしながら教えてくれたわよ」

「師匠がいいからだよ。それから……アウラのおかげ、かな」

 そう言ってアウラをなでようとしたが、姿が見当たらない。

 アウラは二人の邪魔をしないように、先にメルの部屋へ入っていたのだ。

 

「メル、これを持っていきなさい」

 マリーが手渡したのは、腰につけるカーキ色のかばんだった。

「いつかあなたがこの村を離れるときのために、私が作っていたものよ」

「母さん……」

 メルは、ゆっくりと腰に巻き付けてみる。

「ぴったりだよ!」

 そう言ってメルは、部屋を動き回る。しゃがんだり、走ってみたり……。

「良かった。意外と物も入るはずよ」

「ありがとう……」

 

「さあ、明日に向けて、そろそろ寝ましょうか」

「うん。今までありがとう、母さん……おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 

 窓から見える空には、宝石のような星が散りばめられていた。

 明日もいい天気だ。

 そう思いながら、メルは目を閉じた。

 たくさんの人に育てられてきたことに感謝しながら。