第11話 - 恋人ごっこ 2
お腹いっぱい焼肉を食べて、いつもよりゆっくりとビールを飲んだ。
ねえさんはジョッキの生ビールを何杯もおかわりして、かなり酔っている。
焼肉屋を出ると、ねえさんはおぼつかない足取りで、陽気に笑っていた。
一人で帰れるかな?
送ってあげられたらいいんだけど、僕はねえさんの住んでいる場所を知らない。
ねえさんはどこに向かおうとしているのか、フラフラしながら歩く。
今にも転んでしまいそうで危なっかしい。
見かねた僕は、ねえさんの体を支えた。
僕の背が低いから、ねえさんの綺麗に整った顔がすぐ目の前にあることにドキドキする。
「ねえさん、いくら僕の奢りだからって飲みすぎですよ。帰り、一人で大丈夫ですか?」
僕が尋ねると、ねえさんはさらに顔を近付けた。
「もう一軒!もう一軒行こう、アンチャン!」
ち、近い……!
こんなに嬉しい状況、もうないかも知れない。
だけどもう結構いい時間だ。
本当はまだ一緒にいたいけれど、こんなに酔っているねえさんを連れ回すわけにもいかない。
「もう一軒じゃありません、こんなに酔ってるのに。帰りますよ」
僕が少し語気を強めてそう言うと、ねえさんは立ち止まり、僕に抱きついた。
「ねっ、ねっ、ねえさん?!」
突然のことに驚き、僕は声を裏返らせた。
ねえさんは僕にしっかりとしがみついてくる。
「……まだ……」
「……え?」
「まだ……帰りたくない……」
ねえさんのか細い声が震えていた。
「一人でいたくない……」
「ねえさん……」
僕の肩口に顔をうずめて、ねえさんは迷子の子供のように僕にしがみつく。
いつになく頼りなげなねえさんの背中を、僕はおそるおそる抱きしめた。
「僕で良ければ、一緒にいます」
「うん……」
ねえさんは小さくうなずいた。
一緒にいるとは言ったものの、このままここでずっとこうしているわけにもいかない。
僕はこれまでにないくらい胸が高鳴るのを感じながら、ありったけの勇気を振り絞る。
「僕の部屋……来ますか?」
「……うん……」
また小さくうなずいたねえさんの背中を、僕は優しくトントンと叩いた。
「行きましょう。タクシー拾います」
いつかねえさんが競馬場でそうしてくれたように、僕はねえさんの手を引いて歩き出した。
仁川の駅前でタクシーに乗り、20分ほどで自宅に着いた。
部屋の明かりをつけて、エアコンのスイッチを入れた。
部屋に入ると、ねえさんはベッドにもたれて床に座った。
ねえさんはあれから一言も話さず、ただ黙ってうつむいている。
けっして広くはない一人暮らしの僕の部屋に、ねえさんがいることが不思議で仕方ない。
歳も名前も住んでいる場所も知らないのが当たり前で、ただ競馬場で会うだけだった僕たちの関係が、ここ数週間で変わり始めているような気がした。
「気分は悪くないですか?」
ぼんやりしているねえさんに、ミネラルウォーターを注いだグラスを差し出した。
ねえさんは黙ってうなずいて、それを受け取りゆっくりと飲んだ。
「僕のしかないけど……着替え、出しますね」
引き出しの中からゆったりめの部屋着を出しながら、この状況が普通じゃないことをだんだん理解し始めて、酔いが覚めていく頭とは逆に、鼓動はどんどん速くなった。
まずいな、これ。
後先なんにも考えずに僕の部屋に連れてきちゃったけど、僕だって男だし、何が起こってもおかしくない状況だ。
酔って正しい判断ができなくなっているねえさんを前にして、僕の理性は保てるだろうか?
ホントにいろいろまずい状況だ。
男なら美味しい状況だと思うのが当たり前かも知れないけれど、僕はねえさんが好きだからこそ、その場の雰囲気に流されて一線を越えるようなことがあってはいけないと思う。
理性が崩壊して無理やり襲いかかるとか、とにかくそれだけは何があってもしないように気を付けよう。
「今日は暑かったから汗かいたでしょう。ねえさん、シャワー使って下さい。これ着替えです」
目一杯平静を装って部屋着を手渡すと、ねえさんは小さく首を横に振った。
「アタシは後でええから。アンチャン先に使って」
やっとねえさんがしゃべった。
酔っていても意識はしっかりしているのだとわかって、少しホッとした。
「じゃあ……もししんどくなったら、横になってて下さいね。ベッド使っていいですから」
「うん、ありがとう」
シャワーを浴びながら、ありもしないことへの期待に、うるさいくらいに胸が高鳴っていた。
頭では有り得ないと思っているのに、体は正直なようで、理性では抑えきれないみたいだ。
とにかく身体中が熱い。
身体中の血が沸きたつように、熱い。
テンパって非常にまずいことになっている。
このままではねえさんを襲いかねない。
もし万が一そんな状況になったとしても、まさかの事態だから、なんの準備もしていない。
それこそ非常にまずいだろう。
そうならないための予防策として、自力でなんとかクールダウンしておこう。
……情けないけど。
僕がシャワーを浴びながら煩悩まみれになっているなんて、ねえさんは思いもしないだろう。
歳だけはもう大人なのに、余裕の欠片もない、こんな自分が本当に恥ずかしい。