愛し恋

第3話 - 兆し② side Ren *

蒼唯2022/04/12 07:23
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 グラウンドに桜の花びらが舞い散るこの季節は、常に梅雨が近付いているのだと意識してしまい嫌悪感が一際増す。何故かと問われれば、たぶん、あの日を思い出してしまうから。


 そう、あの雨の日。

 涙ぐんだ瞳の愛大から紡ぎ出された別れの言葉に、心臓が停まるかと思う程の衝撃をうけた。


 以来、俺は雨が嫌いだ。


「んっ。レン、最近……何か変っ」

「うるせえな。テメェは黙って腰振ってりゃいいんだよ」

「ゃん! ああ待ってぇ、ハッ――あ、ん」

 下から突き上げてやる。そうすると馬鹿みたいに良い声で啼く。

 昔から、誰とだろうがセックスしてる時に脳裏に浮かぶのは愛大の顔。アイツが後ろに突っ込まれて喘いでるのを想像しただけで、何回でもイける。


 愛に、会いたい。


 考えているうちヒナがイったようだ。おまけにそのまま気絶したらしく、俺の上でぐったりしている。

「俺より先にイくなんて良い度胸してんじゃねぇか 」

 汗で額に張り付いた前髪をかきあげながら言ってみるが応答はない。

 コイツ、日向要ヒナタ カナメに愛大の面影を重ねて抱くようになったのは、こっちに引っ越してきてから直ぐの事だった。でも、いくら顔や体格が似ていても性格は全くの別物だ。対極に位置していると言っても過言ではない。

 静と動で例えるならば、愛が静でヒナが動といった感じだろうか。

 取り留めもない事を考えていると、ベッドサイドの携帯が音を立てる。目に映りこんだ着信表示で瞬時に委えた。


 〝蘇芳成海スオウ ナルミ


 出たくなければ出なければ良いときっと誰もが思うはずで、もしその誰かががそう助言したならば適切だ。実際自分の頭にも毎度過ぎっているし。

 けれど俺はまだ、この着信を拒否する権利を持たない。

「はい」

『とっくに入学式は始まっているが、何をしている?』

 矢継ぎ早に言われたが、想定内だったので返事に困る事は無かった。

「用事が済んだので今から向かうところです。そちらこそ式の途中ではないのですか?」

 しかし、何を血迷ったのかくだらない質問をしてしまう。我ながら幼稚だ。返ってくる答えなど分かりきっているのに。

『お前と違ってきちんと自分の責務を果たして退席した所だ。その旨も随分前から伝えてある』

 呆れたような物言いに、ついムキになってしまう。

「それはつまらない事を聞いてしまいましたね」

『本当につまらない。まぁ良い、話がある。理事長室まで来なさい』

 無駄な足掻きだが、一応抵抗してみた。

「今から挨拶があるのに、ですか?」

『何の策もなしにこの時間までウロウロしているのか? お前は』

「いえ、間に合わなかった場合は奉日本に任せてありますが……」

『ならば問題ないだろう』

 恐らくこの人の鶴の一声で、俺が入学式を欠席したとしてもお咎めはない。

「ですが、やはり自分が入学式に出ないのは如何なものかと」

 だが、そんな加護は受けたくもないのだ。

『構わん』

 意味の無いやり取りに、受話器の向こう側から威圧感が伝わってくる。

「電話で済ませられない用件なのでしょうか?」

『だから呼んでいる』

 これ以上の異論は認めない口調に屈するしかない自分が腹立たしい。でも、その怒りのやり場はどこにも無い。

「……分かりました」

 携帯をポケットにしまうと同時に、ヒナに埋まったままのソレと乱れた服を素早く綺麗にしてからベッドを降りる。足早に保健室を出ようと、ドアに手を掛けた瞬間。


 ――ガラッ


「! っと、恋。や〜っと見つけた。大講堂で姿見えないから校内中探し回ったのに……こんな所に居やがったか」

 現れたのは男女問わず格好良いと人気な学園の名物保健医、矢尾英来ヤオ エイキ

「もうそろそろ生徒会長挨拶だぞ」

「今から行くつもりだっんですが、理事長から呼び出し喰らったんでそれ所じゃなくなりました」

「あーぁ、なるほどね。相変わらずの傍若無人っぷり。……ん? 何だお前、顔色悪いぞ。珍しく風邪か?」

 額に触れようとした手をバシッと叩き落とす。

「痛ってぇ!」

 粗末な扱いに思わず声を上げたものの、怒る気配のない英来さんは少しは手加減しろよと笑いながら小突いてきた。しかしその手は少し赤みを帯びている。

「すみませんね。自己防衛は手加減するなと教わってるんで。じゃ、失礼しました」

「いってら~。って、あれ? つか保健室に用事があったんじゃねぇの?」

 突然の英来さんの登場で、どうしてここに居たのか一瞬吹っ飛んだが聞かれて思い出す。

「あ……。奥にヒナ寝てるんで、あと頼みます」

「はあ? 何言ってんの……まさかお前! ココ使うなってあれだけ言っただろうがッ!」


 逃げ出した保健室からの聞こえてくる叫び声に、腹を抱えて笑い倒してやりたかったが、どうしても重苦しい気分に掻き消されて駄目だった。


 なるべく顔を合わせないようにしている人物が待つ場所へ足を運ばなければならないのだから。




 ◆❖◇◇❖◆


 気付けば理事長室の前に立っていた。

 無心で歩いて来たので、瞬間移動でもしたのかと思う程だ。

 決まってここで深呼吸してしまうのは、緊張を紛らわす為のものではない。


 ――コンコン


 ノックすると質の良さそうな木の音が廊下に反響した。一拍置いて中からどうぞと言う声が聞こえて、俺は憂鬱な気分でドアノブを捻る。

「失礼します」

 部屋に入ると重厚なデスク上に置かれた大量の書類に目を通している男が、こちらを確認すること無く言葉を発した。

「今からまた海外出張なんだ」

 言うまでもないかもしれないが先程の電話の相手、蘇芳成海だ。この学園の理事長にして、様々な分野で幅広い事業を展開し世界にその名を轟かせている蘇芳カンパニーの現総帥。

 そして、紛れもない俺の父親。


 血縁関係上は。


 何せ俺は蘇芳恋スオウ レンになっても尚、この人を父親だと認識していない。どう足掻いたってその事実は変わらないというのに、自分でも呆れる。

「そうですか。お気をつけて」

「思ってもない事は言う物じゃない」

 この、全てを見透かしているというような目が気にくわない。


 アンタに俺の何が分かる?


「……それで、用件は何ですか? わざわざ呼び出すくらいですから出張報告をしたかったわけじゃありませんよね」

 さっさとこの場から立ち去りたくて早口になる。

「ああ。この間の話だが、留学先は決まったか? まだなら私が手配しておく」


 またその話か。


「先日お話した時と気持ちは変わっていません。今年ではなく、このまま蘇芳の大学に進んでその4年間の内に留学するかあちらの大学を改めて受験するつもりです」

 俺の返答に冷たい表情を向けてくる。

「早くから留学しておいて損はない。国外の大学受験を視野に入れているなら尚更有利になるだろう。日本なんかにいるより余程勉強になる」


 うるせぇなあ。いちいちロを挟むなよ。


 心の声が漏れ出そうになるのを必死に抑えながら、あくまで冷静さを装った。

「それはそうかもしれませんが、在学中にやっておきたい事があるんです」

「何なんだ、そのやっておきたい事というのは?」

 この人に本心を知られたら負けだ。耐え忍んできた3年間が水の泡になってしまう。

「貴方からしてみれば取るに足らないような事です」

「ふん。あくまで答える気はないと」

 冷たい表情が更に冷たくなる。それにも最近は慣れてきた。

「何と言われようが考えは変わりませんし、それに自分の進路くらい自分で決めます」

「頑固だな。まぁそう言うとは思っていたが、大学をリストアップしたものだ。気晴らしくらいにはなるんじゃないか」

 分厚い書類が入った茶封筒を投げて寄越される。

「……有難うございます。ではこれで失礼致します」

 部屋から出ようと踵を返しドアの方へ向かった。

「待ちなさい」

 が、呼び止められる。

「まだ何か?」

 イライラを抑えながら声を出したが上手くいかず、その言葉に明らかな苛つきを乗せてしまう。

「数ヶ月は日本に帰って来られそうになくてね」

 言いたい事はだいたい予想がついた。


明香莉アカリの命日は来月だったな」


 その名前を、気安く呼ぶんじゃねぇ。


「……そうですが」

「もう、墓参りに行くのはよしなさい」

 いつかは言い出すだろうとは思っていたので、驚きはない。

「何故です? 供養に行くぐらい当然でしょう」

 だがこんな反論などすぐにねじ伏せられる。

「お前はいずれ蘇芳を継がねばならん。否が応でもな。その為にわざわざ私の元へ連れてきたんだ」

 そして続けざまに出てきた台詞に、自分の歯を食いしばる音が身体中に響いた気さえした。


「昔のことはいい加減忘れろ」


 どうしてアンタに……そこまで指図されなきゃならねぇんだよ!


 喉元まで出かかった感情をグッと押し殺して、黙って部屋を後にした。

 廊下に響いた扉が閉まる音と自分の足音がやけに冷たくて、林しく聞こえるのは何故だろう。

 なんて考えながらゆっくりと来た道を戻っていると、急に可笑しさが込み上げてきた。抑え続けた怒りは限界を超えると別の感情に変わるのだと初めて知った。

「忘れろ、か……。簡単に言ってくれる」

 嘲笑しながら呟く。


 忘れられるなら忘れてしまいたい。


 誰よりもそれを望んでいるのは自分自身だ。けれど、出来ない。出来るはずがない。

 幸せだった頃の記憶を手放すなんて。